ながらスマホ は止めましょう

スマホが開発されて何年経つか、、、

今や、色んなアプリが開発されて、スマホ利用者は一時も休まずにそれを楽しんでいる。

ネット検索、通信、買い物、割引クーポン情報、ゲーム、出会い系、SNS、動画etc

我々の生活は、豊かになったかもしれない。。しかし、社会の秩序と品格は大いに下がってしまったのは、間違いない事実であろう。

道を歩けば、歩きスマホしている者ばかりである。前を向いてしっかりした足取りで歩いている人の方が少なく感じる。

その為、道の人の流れが乱れ、、前を向いて正しく歩いている者は、どちらに進んだらよいか分からず困ってしまう。社会の秩序は、皆が互いを思いやる行動をとることで機能するのである。このような、独りよがりな行動をする者が増えてしまうと、秩序はなくなってしまう。。なんと嘆かわしいことであろうか。。。

私は、歩きスマホや運転スマホなどの、「ながらスマホ」を規制する条例を首都圏、政令指定都市で定めてもらいと思う。「ながらスマホをしていたら、原則、罰金」という具合に。。

※ 原則 という具合に含みを残したのは、二つの目的があるる。一つは、そうせざるを得ない状況があった場合に議論の余地を残すこと、もう一つは正義の志のある施策導入者らが仕組みに嵌められるのを防ぐためである。

こうでもしないと、今のままでは街の秩序が乱れる一方である。皆が公共の場を自分のプライベート空間と考える世界になりつつある。自分以外の人を、巻き込んで傷つけてしまってからでは遅いのである。

この記事を読んだ人が、一人でも、「ながらスマホ」を止めて、公共の場を五感をしっかり使って検知し、相手を思いやった行動をとることを願うばかりである。。

【本日の動画】秋川のカワウ

夕暮れ時、日が沈むほんの十数分の間、日の光が川の上に反射し、何とも哀愁のある風景をみせてくれます。癒されますが、独身の心に秋風を吹き込む情景である。笑 もうすぐ、一年も終わりですね。。頑張って行きましょう!

日常を楽しむチョットした方法

人間、変に頭脳が発達したお陰で、何もしていないときでも、余計なことを考えているものです。

ボーっとしているとき、マイナスなことや、変な妄想をしていて上の空になっていると、現実とのギャップに落胆し、気が滅入ってきます。

自分が天才なら!あの時こうしていれば!私はこんなんじゃない!あの人をこうしてああしてこうしたい!うぐぐぐぐ…

(電車の中で、朝、周りを見回してみましょう。ボーっとしている人、ゲームを夢中でやっている人、、皆、そんな心の迷いを忘れようとして、必至になっているのを感じてしまいます。。。)

こんな話をしていて、何を言いたいのかというと、ボーっとしているときに、マイナスなことを考えたり、妄想したりすることは、現実とのギャップに落胆し、気が滅入るので、良くないということです。

ボーっとしているときに、考えちゃうのだから、しょうがないじゃないか!と仰るかもしれませんが、本日は、その時間を楽しく感じられる方法を紹介します。

それは、心の中で、「私は幸せです!ありがとう!」とひたすら言うのです。

※ 宗教ではなく、言葉の効果の話です。

「自分は幸せ」と心で言うと、過去の幸せな状態の自分が、無意識に想起されます。

「ありがとう」と同じように言うと、感謝の気持ちが無意識に想起されます。

この言葉を無限に繰り返すことで、何だか幸せで、感謝の気持ちに、強制的になってきます。。。

ここで、、ボーっと周囲の風景をみます。すると、色んな発見があります。しかも、それを前向きに捉えやすくなります。

なぜなら、幸せで感謝の気持ちでいるときは、世界から悪い物は見えにくくなるからです。

桜の散り際をみれば、徒然草を引用するか、来年が楽しみなどという。。

電車内で子供が大声で騒いでいれば、怒鳴るよりも微笑ましく眺め、「元気ね」などと声をかけたりしたくなったりする。。

スーパーに行けば、陳列されている商品が、何だか輝いて見えたりする。。特に、果物は、、、

外を歩けば、独創的な建築物、可愛い犬猫、面白い雲、、ある家の丹精込めた植物、お洒落な看板、、、そんなものに目が行ったりします。。。

ボーっとしているときも、目の前の現象を、前向きに捉えられたら、有意義で、とても幸せであることは、間違いないです。

私は、余計なことを考えてしまう性格なので、週に二回ほど、朝、電車内でこっそりやっています。。。結構、効果ありと思っています。。おすすめです!

※ 宗教ではないです。言葉の効果の話です。

幸せについて

幸せって何だろう。。いつの世も、我々が常に思うことです。

幸せというと、何とも温かい響きですが、別の言い方をすれば、「実現させたい欲望」になるかもしれません。

どんなものがあるでしょうか?

富と名声をえる、理想の能力を身につける、人々から信用と信頼を得る、この世界を自分の力で豊かにする、理想の人と結婚する、優秀な子孫を残す、笑顔にあふれ毎日が楽しくて仕方がない、健康で文化的である、時間に束縛されない、豊かな自然を常にゆったり楽しむ余裕がある、心に余裕がある、生涯知識と創造性が旺盛である、日々を感謝の気持ちで過ごしたい etc

あげればきりがありません。。

このように書き出していると、幸せ(実現させたい欲望、夢)は、一つの方向性でくくれないことが分かります。

車が欲しい、大きな家が欲しい、大金が欲しい、出世したい、権力を得たい、でも責任は負いたくない、理想の人と結婚したい、不老不死になりたい、、、こういったものは「外面の欲望」です。

一方、

知識を得たい、創造的でありたい、笑顔でいたい、心に余裕を持ちたい、日々を感謝の気持ちで過ごしたい、、、といったものは、「内面の欲望」です。

このことから、私は、我々人間の幸せというのは、「外面の欲望 × 内面の欲望」で出来ていると思うのです。これを簡単に定式化してみましょう。

幸せをH、外面の欲望をX、内面の欲望をY をします。

H = X×Y 

比較のため、二つのパターンを考えます。

パターン1:外面の欲望は大きいが、内面の欲望は小さい

パターン2:外面の欲望は小さいが、内面の欲望は大きい

各パターンに対応する、H、XとYには、添え字を付けました。図にすると下記のようになります。

ここで、仮に、X2 が X1の半分、Y2 が Y1 の三倍 とすると、、、

H2が、H1の1.5倍となります。これは、「外面の欲望を数多く満たせなくとも、内面の欲望を満たした人」が、「外面の欲望を満たしていても、中身の貧しい人」よりも、幸せになりうることを示しています。

たまに、大金は得ても幸せではない という人の悲劇を耳にしますが、これは外面の欲望は満たされても、内面が満たされなかった状態だと思うのです。

外面の欲望というのは、物質的な欲望で、求めたらキリがないです。金、物品、土地、本能的な関係の異性、、、。この種の欲望は物質的に満たされて意味を成すものなので、限りがあります。

しかし、

内面の欲望は、際限はないです。知識は求めれば無限につけることができます。瞑想といった精神修養によって物事の捉え方はより抽象化され、その結果、世界を落ち着いて受け入れることができます。

このように考えると、、幸せを得るために、手っ取り早い方法が、内面の欲望を満たすことだと思うわけです。

幸せになるには、「物欲を満たし続けられる稼ぎがある」か、「物欲はそこそこに内面成長を充実させる」か、「その両方」と思うわけです。

大人になると、ある程度自分の物欲の満たせる範囲が予測がつくはずです。

その中で、幸せを感じ、豊かに暮らせるにはどうすればよいか?の指標になれば幸いです。

では。。

【本日の動画】相模川の亀@葉山島

川に行くと、色んな生き物がいます。。時には、動画のような小さな亀に出会うこともあります。この偶然を感動と感謝で捉えられるか、フーンで終わるか、、それが「幸せ」になる大きな分岐点になります。

路傍の石

石は、何処にでもある。

だけど、ほとんどの人は、目もくれない。

気付かず、踏みつけ、蹴飛ばし、、、

石は、その形に意味があり、もしその形を維持することに命があるのならば、我々人間より長大な時を生きてきたものなのに。。

余談だが、最新科学によると、万物は宇宙の外でつながっているそうである。

物体を分解していくと、分子になり、原子になり、素粒子になり、ヒモのエネルギーになり、膜になる。その膜は広がりを持っており、宇宙の外まで伸びているのだそうだ。。とすれば、我々の吸う空気も、身体も、服も、水も、大地も大気も、惑星も、何もかもが、宇宙の外でつながっていることになる。抽象化した視点を手に入れると、、物も人の境界がなくなり、同質に捉えられるのだ。

私は、自分の今までの人生をフト振り返るたびに、いつも路傍の石を想う。

路傍の石は、その個性に気が付くと、どの石よりも強く輝くことを私は知っている。それは、人も同じである。

路傍の石は、その表面の凹凸を取り除いて研磨にすると、その中にまだ見ぬ宇宙を感じるような、神秘的な模様を見せてくれる。それは、研磨されて美しくカットされたダイヤでは到底表現しきれない、深遠な姿である。容姿の美しさと若さで勝負をしている人は、研磨されたダイヤや水晶に等しい。一つ傷がつけば、ダイヤは輝きという価値を失う。しかし、深遠さを持つ路傍の石は、深みという極めて抽象的な輝きを持っているので、それは見かけの劣化程度で光を失うようなものではない。

今日は、私が拾い、その個性を大切にしている石を紹介する。

赤チャート( 高麗川の河原で採取 )

拡大

これを研磨すると、まるでサンゴのような深紅になる。研磨の際にでた赤色の粉は、水に溶かしてペンで紙に塗ると、ダークレッドになる。

花崗岩( 黒の「角閃石」が大きい。相模川で採取。 )

不思議な石 ( 青梅の多摩川上流部で採取。 )

薄っすら見えるピンク色が美しい。派手さはないが、落ち着きがある。人が手で作ろうと思って作れる様ではない。

現在研磨中のセラドナイト( 相模川水系中津川で採取 )

赤枠箇所に深い凹がある。表面を研磨することで、この凹部をなくすことを目指したいと思う。

【本日の動画】小川のせせらぎ

心と体が癒されます。せせらぎ音を聴いていて眠くなる人は、心と体が疲れているのだそうです。そういう方は、PCを閉じて、ゆっくり眠りましょう。

究極のモノ作りの方法

究極のモノ作りの方法について、つぶやく。

材料費も、加工費もいらない。

日程もそんなにかからない。

設計要求事項を柔軟に変更しても良い。

機能検証に、実物試作やソフトでのシミュレーションで試験をすることもない。

それは何か?

それは、「想像」である。イメージともいう。

イメージの世界は、思う(想う)ことで現れる。

その世界では、在ると思えば在り、無しと思えば無い。

例えば、適当に電気製品のモノ作りをイメージしてみる。

① デジカメを作りたい 

② 外観をイメージする

 ( 下記の具合に個別に列挙し、イメージして統合させる。 )

・筐体形状、サイズ、質感

・レンズ位置、サイズ

・検知用窓位置、サイズ

・ボタン、サイズ

・ズーム、フォーカス調整形態

・モード切替ボタン

・ストラップ

・三脚穴

・ラベル

・電池、カード交換形態 

・部品間のクリアランス(0.5mm以内が良いとか悪いとか…)

③ 動き物をイメージする

( 下記の具合に個別に列挙し、イメージして統合させる。 )

・持ち歩かれ方

・ボタンの扱われ方、操作感

・ズーム、フォーカスの調整のされ方

・ストラップの付け方、付けた後の扱われ方

・モードの切り替え方

・三脚穴の使われ方

・電池とカードの交換のされ方

工業デザイナーは、少なくともここまでの思考ができないと無能である。なぜなら、そうした人間の描くプロダクトは、芸術品に成り上がってしまっているからである。美しい絵を具現化したいのではなく、使う人が快適と思う姿を具現化したいのである

④ 具現化する方法を考える

ここは、メカ設計者の腕の見せ所で、書くときりがないから題名だけにする。

以上を想像の中だけで行うのである。想像が完全にやりきれない場合は、紙にペンでスケッチしてもよい。これを「紙上試作」と呼ぶ。紙上試作も、お金がかからずにできるので、とても能率的である。おすすめである。

え、こんなに想像ができないって?そんなことはない。イメージは思うことで洗現れる。できない(と思うことで)、出来なくなる。囲碁や将棋をやる人は、打ち始めから、最後までを覚えているという。できるはずである。

そう、出来るはずなのだ!

【本日の動画】高麗川

埼玉県日高市にある高麗川のせせらぎです。近くには高麗神社があり、多くの人が野望を胸に参拝に訪れます。この川には、その前の穢れを洗い流す意味があると思うのです。その川の流れを見て、聴いて、心を綺麗にしてもらえたらと思います。。