物作りの企画時にやりがちな、困った一つの要求

 企業や研究機関における物作りは、まずその製品の要求事項(仕様)を定めることから始まる。これを企画という。それを行う部隊は、多くの場合「企画部」と呼ばれる。企画部は、次期新製品に求める事項を要求仕様書にまとめる。その際に、実際の販売現場で活動する営業部の声やお客様の声をヒアリングしたり、自分たちが想定している(=仮説した)使い方に社会的需要があるかを統計的に調査分析したりして、戦略目標に貢献できる仕様を定めていく。本日は、こうした要求仕様の中で、開発の観点から極めて問題視するべき一つの要求事項について述べたいと思う。

 早速だが、企画部が出す困った一つの要求とは、「最小」である。

 新製品の仕様に最小サイズという要求が出された場合、多くのエンジニアは、下記のアプローチをとる。まず製品の機能発現のために必須の要素部品を開発、または選定を行う。次に、その要素部品の組み合わせを、「冷却・EMI・エンクロージャといった機能維持のための必須部品の開発や選定、及び必要な空間」を考えながら行う。そして、最後に余分な空間を削り出し、これをもって実現可能な最小サイズという。ところが、こうしてエンジニアが割り出した最小サイズは、どんなに上手くやっても、企画要求サイズの1.2~2倍程度になってしまう。なぜなら、必ず機能を満たすために、理論上の余裕を持った設計をせざるを得ないからである。そして、これは多くの場合、企画部に許容されない。そこで、エンジニアは、「必須要素部品の開発や選定の見直し」「その組み合わせの見直し」を行う。しかし、この見直しでサイズが大々的に変わることは基本的にありえない。というのも、すでに一番初めの見積もりの時点で、各要素部品は、無理なくできる最小開発・選定をされているからである。よって、これ以上のことが必要な場合は、確実に、無理しないとできないことを意味している。無理をした設計は、強度、機能発現、機能維持のいずれかの観点で、必ず問題を抱えることになる。そしてそうした問題を、「付け焼刃の構造対策や、ソフト仕様での対策」で社内処理し、必然性のあまりない締め切り内で出来るだけの改善を試み、それをもって「開発期限内に最善を尽くした形態」が定義され、世の中に製品が送り出されるのである。しかし、こうした無理な製品は出荷後に不具合が多発するので、設計部や品質保証部は度重なる市場問題対応に追われ開発体力を奪われていく。また、こうした製品は非常に繊細な製品になりがちで、その性能を出せる環境が特殊になることが多く、それが市場クレームにつながる。こうした中、営業部は数字と接待に追われて製品理解は上の空、企画部は企画書を発布した時点で次なる要求書をまとめ始め、技術限界と開発体力の消耗は眼中になし。新たな要求書には、新規機能の追加と、最小要求がもれなく記載されており、それを実現する技術的選択肢がなく、開発は暗礁に乗り上げるのである。

 確かに、高い要求に対してエンジニアが試行錯誤することで技術が促進するのは事実であるが、それは研究の場合に許されることである。日程が差し迫った開発の場合は、できる技術の集積で、堅実な製品を作ることしかできないのである。なぜなら、お客様の安全が第一だからである。無理をして意図しない死傷事故をおこしてはならないからである。こういうと、「高い要求を満たす製品を出さないと、我が社は死ぬんだ!研究しつつそれを開発に盛り込め!」という人が多いが、それをやって成功しないことは歴史が教えてくれている。第二次大戦時の日本の戦闘機開発などはその良い例である( 後で一例を述べる )。もし、どうしてもというのであれば、「要求事項を分割し、限定した仕様を無理なく実現させ、互いに弱点を補うラインナップを揃える。同時に、研究班を作り、要素研究を進める」を提言したい。例えば、「A,B,C という機能をもった世界最小製品」が今の技術ではできない場合、「A,Bという機能の世界最小製品」「B,Cという機能の世界最小製品」などを検討し、堅実にできるなら量産化し、その開発期間中に「A,B,Cという機能を同時に目標最小サイズに実装できる技術研究を行う」のである。それも許容されないなら、もうその事業は閉じるべきである。なぜなら、エンジニアが死ぬや去るからである。

さて、話がそれたが、最小要求が問題である理由を、ここで一度まとめて、具体例を示したいと思う。

【最小要求が問題である理由まとめ】:繊細な製品ができ、問題が多発し、開発体力を消耗させるから

 最小要求が出された時点で、エンジニアは無理なく(=堅実に)できる要素選定と開発を行い、その組み合わせから実現可能な最小製品サイズを回答する。しかし、それらは企画要求よりも大きくなることが多く、それが譲歩されない場合は無理をした設計を余儀なくされる。その結果、強度・機能発現・機能維持の観点で重要な問題を抱えた繊細な製品ができる。これにより、量産後の市場問題対応で開発体力が削がれつつ、企画からの次期製品の要求に対して開発余裕がなく事業が息切れを起こすのである。

 こうした小型化によって繊細な製品が作られ、問題が多発し、開発体力が消耗して敗北した例を述べる。比較的有名なのは、第二次世界大戦時の日本の戦闘機開発であろう。主力艦上戦闘機:零戦 は、開発要求されたときから、あらゆる点で他を凌駕しうる万能戦闘機たることが要求され、妥協は基本的にゆるされず、(三菱重工の技術を結集させて) 困難を無理やり形にしたものであった。艦上戦闘機であるために小さく軽くある必要があり、( 勝つために )他より速く、旋回性能に優れ、長大な航続力を備えることが要求された。結果、防弾消火装備の削除と、部材の限定的安全率の引き下げと、肉抜きによる徹底した軽量化が施され、何とか要求を実現させた。しかし、これらにより、強度的な問題とその対応に三菱は追われることになり、また余裕のない設計のために、敵国の新型機に対応するための性能向上のための改良設計が追い付かなかったり、新型機の設計体力がなかったり、防弾装備がないことによる操縦士の戦死の増加を招いたりした。これは、( 戦略戦術的位置づけは違えど )同時期のイギリスのスピットファイア、ドイツのBf109にも同じことがいえる。一方、アメリカのF6F、P-47、ドイツのFw190は、機銃を容易に通さぬ頑丈な装甲を備え、荒れ地でも運用ができる堅実な設計で作られていた。そのため、確かに、空力的洗練や、軽量性、旋回性能や航続力といった要素は日本機ほどではなくとも、堅実堅牢な設計ゆえに改良設計や機能追加を施す余地があり、結果的にいずれも大幅な性能向上がなされて弱点をほぼ克服し、大戦全般にわたり運用され続けた。当時の欧米は、大馬力エンジンと多段過給機の製造技術が優れており、その時点で速度と高高度性能で日本機に勝っていたので、日本機が勝機を見出すには、戦略戦術上の理由に加え、小型な機体設計で無理をせざるをえなかったのであろう。しかし、その小型設計によって得られた優位性も、堅実な設計の改良によりなくなってしまっては、完全に技術力の敗北と言わざるを得ない。

 以上、無理な要求による、無理な小型軽量設計が招いた残念な結果を述べた。こうした失敗例は、過去の電卓競争、携帯電話開発競争、ノートパソコン開発競争でもみられたものである。では、こうした失敗をしないためには、これからの企画はどうすればよいのであろうかを述べたいと思う。

 結論から言うと、特定の戦略事情を除き、「最小を小形にとどめ、堅実な要求にまとめる」べきである。少し補足すると、「最小を製品のウリにしない」ということである。最小といった瞬間に、前述の課題が起こり、良いことは無いからである。また、人は物の大きさとそれができることに順応した使い方を見出せる知性があるので、ある時に世界最小であることはあまり人の心に響く要素ではない。その世代を俯瞰してみたとき、ある程度小さいことが伝われば十分である。家電や通信機をみて、10mm,20mmの大小であなたのQOLが大きく変わると思いますか? それよりも、「別の機能や特性、使い方をウリとし、堅実な設計により不具合を少なく、また環境耐性を高め、開発体力の消耗を抑えつつお客様の信頼を得る。さらに、機能追加や補強がしやすくて後継機開発に着手しやすいものを作る。そして、要素部品の技術革新が起こった時に、それに応じて製品を小さく構想する。」をした方が、懸命ではなかろうか。例えば、カシオのG-shockはサイズが大きいが堅牢なために安心して使えるのが魅力である。小ささではないところに価値を置き、無理のない設計をした良い成功例に感じる。一方、同社のDPJは最小設計に拘りを感じるし、その出来はスペック上の数値が本当なら他社を圧倒的に凌駕する性能(ex. A5サイズで2000ANSIルーメンなど )であるが、この製品種の使用箇所を考えるに、小さいことに必要性や利点を全く感じない。もし、この会社の企画部が、さらなる小型化を目論んでいるとしたら、既に到達しているであろう技術限界のために設計者が去るので事業は潰れるであろう。是非、最小ではないところに価値を置く、G-shockのような企画がなされることを願ってやまない。なお、特定の戦略事情といったが、これは、後継機の開発を予定しない、一品物を作って市場を刺激する場合の話である。こうした物は、必然的に客寄せパンダとする必要があるので、尖った製品であってよい。ただ、その結果、冗長性がなかったり、何か不具合があったりという繊細な製品が殆どなので、私は、前述したように「要求の限定化を行った最小製品」と「互いに弱点を補えるラインナップ」を堅実な設計で実現しつつ、別途「本来の要求を満たせる技術研究を行う」ことをおススメしたい。

以上、製品開発における最小要求が問題であることの理由と一つの参考例、および最小要求の代わりにするべき要求について、私見を述べた。

最近身近でよく見かける生き物

9月に入り、夜はやっと30℃を下回るような気候になってきました。

東京、神奈川では、蝉の声も一気に少なくなりました。ただ、日中は相変わらずの暑さです。熱中症には注意したいところです。あと、コロナにも。。。

ところで、最近、家でも、会社でも、よく見かける生き物がいるので、今日はそれを紹介したいと思います。まずは写真から、、、

この写真は、先週の夜8:00に仕事を終えて退社するときに、会社の壁に貼り付いていた奴です。私が子供の頃からしばしば目にしてきたトカゲよりはプックリしている奴です。こいつが、会社の広い壁に結構へばりついていたのです。因みに、私の自宅でもこの小さい奴がたまに出没します。。。

調べると、これは「日本ヤモリ」という日本原生種だそうです。北海道と九州の一部を除いて国内に広く生息している生き物だそうです。でも、こんなに沢山いるとは思いませんでした。。。それよりもなによりも、三十数年生きてきて、こんな身近に、こんな生物がいることに気が付かなかったことに、とても驚かされました。精神状態や意識が少しだけ変わったのだろうか。。。

話は少し変わりますが、ヤモリは、漢字で書くと「家守」だそうです。

古来より、火事などの厄災を防ぐ、つまり家を守ってくれる存在として崇められてきた生き物だそうです。また、家を守る、つまり、家を繁栄させるという解釈から、財運や良縁、子孫繁栄の吉兆を示す生き物としてやはり大切にされてきたそうです。さらに、家の内外にいる蟻や蜘蛛、ダニ、コバエなど野害虫を食べてくれるので、とても良い奴だそうです。ということで、最近のこの発見を吉兆として、これから起こることを楽しみたいと思います🤗

都内にもいたるところに出没するそうなので、皆さんも夜、塀や壁をよーーーく見てみてください。きっと、体長10cm前後の日本ヤモリが、壁にピトンッ!と貼り付いているのに気が付くと思います!

ではでは!

外気温の捉え方に注意しましょう

お久しぶりです。

最近、仕事や肉体改造に集中していて、ブログに手をつけられませんでした。

さて本日ですが、「外気温」の捉え方について少し注意したいことがあり、記事にしました。

一般的に示される外気温は、「風通しの良い、日陰の、地上から1.5mの高さの温度」です。小学校のときに外にあった、百葉箱がそれです。

さて、皆さんは炎天下の中で、日陰の涼しさに救われたことは多々あるでしょう。テレビやネットで目にする温度というのは、こういった場所の温度なのです。

そうです。日向の温度は、テレビやネットで目にする外気温よりもずっと高いのです。

一説には、日向と日陰の温度の差は、約15℃です。

ということで、例えば、ある日の外気温が30℃と言われる日の日向の温度は、45℃になるわけです。

もっとも、実際は、湿度や風の影響、および日向の滞在時間の影響でそのように暑く感じることはありません。

「日向の温度は、テレビやネットで目にする温度よりも15℃ほど高い可能性がある」

これを覚えて、日中にどう行動するべきかを考えられたらと思います。

記憶をしやすくするちょっとした工夫

以前からこのブログでは、記憶についてしばしば呟いている。

以前、記憶とは、「記憶する物事に対する感覚・感情・印象のことである」と私見を述べた。従って、日頃から感性を豊かにしたり、瞑想をして感情の制御を柔軟にできるようにすることで、記憶力が向上すると述べてきた。

さて、今回は、最近気が付いた、記憶がしやすくなるちょっとした工夫について紹介する。それは、

「対象を大きく捉える」ということである。例えば、ここに体長1mと、体長0.1mmのゴキブリがいたとする。どちらのゴキブリに、より注目できるであろうか??当然、1mのゴキブリの方であろう。そして、一発で、この出来事は記憶に深く刻まれることであろう。。。

覚えたい対象を大きく捉えることは、そのものへの注意を促すことを意味する。

逆に、小さく捉えることは、そのものへの注意を散漫にすることを意味すると私は思う。

というのも、小さく捉えることは、「視野角で捉えた像の中から必要な情報を選別する作業が、より必要となる行い」であると思うからである。例え、真っ白な紙に、黒のインクで小さな文字を書いたとしても、脳内では、「その広大な空白を意味のない情報であると選別する作業」を無意識に行っているのである。

今後、何かノートにメモを取るときは、できるだけ大きな文字で書くことを推奨したい。

また、ノートがなくても見た物をより強く記憶したければ、対象を脳内のイメージであらん限り大きくし、印象を強くするなどをすると良いと思う。( もっとも、これは昔からよく言われている記憶術ですが… )

【本日の動画】

何気ない自然の風景でも、目立つものは大きな物体です。覚えたい物を目立たせる工夫をして、仕事や勉強を効率的にやっていきたいですね!

アイデアの種類の見極め

世の中には、アイデアマンとか、アイデアメーカーと呼ばれる者たちがいる。

例えば、ある人は「藤子不二雄はアイデアマンだ!だって、ドラえもんの道具をあんなに沢山考えられるんだもん!」という。

ある人は、「某文具メーカーって毎年、ちょっとした工夫を盛り込んだ新しい文具を提案してくれる!アイデアメーカーだよね!百均のダイソーも同じ感じだよね!」という。

またある人は、「(ある重機メーカーの社内で)あの人って、量産機種を開発しているわけでもないのに、毎期特許を何十件も出して凄いアイデアマンだよね。技術報告書や論文も良く出すし、関心させられます。」という。

これらの例に示されるアイデアマンたちの出すアイデアは、その意識の置き方や成果物に違いがあるように思う。文具大賞のランキングに出てくるアイデアと、特許公報に出るアイデアは、私には同質には思えないからである。そこで、本日は、上記のアイデアの違いをそれとなくまとめてみた。俗にアイデアメーカーと呼ばれる人たちが、どこに属する人なのかを分類し、彼らの発想がご自身の参考になるかどうかを見極める一つの指標にしていただければ幸いである。

まず、私が何となく感じているアイデアの種類とは、下図のようなものである。

発案の程度が、高度なものとそうでないもの、実現性を問うものと問わないもので分けてみた。そして、その中にどういった系統のアイデアが多そうかを記入したみた。なお、実現性とは、実際に科学法則に従って作れるということである。現在の技術では作れないものは、実現性は不問とした。

ここで、概念式について簡単に述べておく。これは、発案の程度を、文字式で表現したものである。私のイメージを文字に落とし込んだものなので、一般的なものではないことをお許し願いたい。さて、前提として、私は、「発案というのは、公知の概念の和か積」と考えている。新規のものは、公知の技術から生まれるからである。ここで、ある公知の技術をAやBと言う具合に文字にした。次に、A+B と A×B という和と積についてであるが、これは具体例で示す。例えば、「A=のり、B=紙」とする。このとき、「A+B=のり+紙」であり、それは、のりと紙がその特性と外観を維持しながら一緒になったものをさす。すなわち「 テープ」のようなものができる。一方、「A×B=のり×紙」とは、「のりでもあり、紙でもある」ということである。よって、例えば、「やや粘度を帯びたゲル状の膜」とすれば、「物と物を( 弱くであっても )接着でき、かつ( 特定条件、例えば、乾燥時や特殊インクで )文字を書くことができる」と言う具合にのモノを創造できる。これは、もはや、のりや紙ではない。しかし、のりや紙の特性を有している。このように、A×Bとは、その外観的特徴はAやBには属さず、それでいてAやBの特性を必要、または十分に備えている新たな形態をいう。

ここまで述べてきたように、A+B と A×B は、異なる。前者は、見た目も特性も維持しながら別のものが合体したものであるが、後者は、特性の程度に差こそあれそれを維持しつつ、見た目は別次元のものになったいるものである。一般に、積の方が数段難しい。また、AやBは、どちらかが場であってもよい。例えば、オフィスの机の上、家のベッドの上、棚の上、テントの中、水の中とと言う具合にである。使う場所と、公知の形態がミックスされると、新たな形態が自然と生まれるからである。

さて、では、先ほどの図について少し説明を追加する。「空想世界」の箇所は、最早語る必要はない。ファンタジー小説や漫画の構想を練る人は、ここに属する人なので、今更語るに及ばないであろう。むしろ、意識するべきなのは、こうした空想物語のネタを出すことで評価され、アイデアマンとされる人の発想を、、メーカーの企画部や、技術者、研究者といった実現性を問われる人たちは、参考にしてはならないということである。実現性がなく、出来ないのが目に見えているからである。では、実現性を問われる人の中で、必ずしも高度ではない発案をする人たちについて述べる。

上図のように、こうした人たちは、公知の技術の「ちょこ変え」が得意な人たちである。昨今の、ユニークな立体的なメモパッド、サクラクラフトの拘りのペンなどもそうである。ちょこ変えと言ったが、もう少し具体的に言うと、「微変更によって利便性向上を目的としたアイデア」を出すのが得意なのである。文具や雑貨、ファッション業界は、基本的な製品の形態と言うのが決まっている。生活に直結する物が多いからである。こうしたとき、全く新規のモノが提案しても、皆、恐ろしくて中々手が出せない。そこで、「既存の概念を色濃く残しつつ、こういった形態追加でこんな使い方もできますよ!便利ですよ!」という塩梅の製品を作るのである。よって、有名な文具メーカーや一般公募のコンペで実績を重ね、アイデアメーカーと呼ばれる人たちは、この「ちょこ変え」が得意な人たちである。専門知識に乏しい新人技師や、同じく専門知識が乏しいのに企業の企画部にいる企画者は、、このちょこ変えの意識で新規の考案や企画をしてみると、シンプル故に皆に受け入れられやすく、当人も充実感がえられるかもしれない。

最後に、高度であって実現性のあるものである、特許系アイデアについてである。

これは、文具などのちょこ変えでは中々上手くいかない。理由は二つ。一つは、ちょっと変えた程度だと直ぐに「進歩性なし」とされ特許性無しとされかねないからである。進歩性というのは、「関係分野の専門家が公知技術を見て、容易に思いつかない」ということである。ちょこ変えだと、進歩性がないとみなされる可能性が高い。もう一つは、ちょこ変え程度だと、先の理由から特許になりにくく、競合に容易に模倣されたり、別の技術で回避されるので利益にならないからである。

乗り物、電気メーカー、部品メーカーなど製造業に従事されている技師、企画者は、特許性のある付加価値のある提案をしなければならないので、ちょこ変えを得意とする人たちの助言を鵜呑みにしてはならない。また、そうした人たちに称賛されたからと言って、喜んではならない。むしろ、自分の発案は、浅はかな可能性があったのではないかと反省するべきある。

以上、簡単にではあるが、一言にアイデアといっても、複数の程度があることを私なりに示してきた。自分が求められる考案が、高度なものか?実現性を問われるものか?をよくよく考えて、それに適したアイデアメーカーの方の本や書籍を参照されると良いと思う。

なお、実現性が問われる考案で高度なものは、「トリーズ」を利用することをお勧めする。これは、科学的に高度な発案を促すアイデア補助ツールである。また、ちょこ変え考案は、先の「微変更によって利便性向上を目的としたアイデア」を心に留めながら、ロフト、百均、雑貨屋の商品に触れると良いと思う。その着眼( 想定使用場+公知概念、公知概念+公知概念 )の理解を深めることができるであろう。さらに、全く新規の高度な考案をしたい場合は、「NM法」をお勧めする。これは、閃きのような着想を論理的に導く方法であり、A×B に適したものでる。是非、関係書籍やブログなどを見て活用してほしいと思う。