好き嫌いは、誰にでもある。
だが、嫌いなものを受入れ、好きにできるかは、知性にかかっていると思う。
例えば、炭酸ジュースやビールを初めて口にした時のことを思い出してほしい。口の中ではじける妙な刺激に嫌悪感を抱かなかったであろうか?ビールを味覚で味わったときの、何とも言えない苦さにびっくりしたことはないであろうか?
小学生の頃の私は、毎晩父があまりにおいしそうにビールを飲むので、学校帰りに飲んだことを覚えている。結果は、まずくて到底飲めるものではなかった。それ以来、私の中に「ビール=不味いもの」という関係式が成立して20歳になるまでは一度として口にすることは無かった。大学に入り、友人と居酒屋に行ったときに口にしても不味いままであった。しかし、ある時にTVの宣伝で「喉越しさわやか」などという文句をみて、「あぁ、ビールは味覚ではなく、例えば、喉を通り過ぎる際の感覚で楽しむものだったのか!」と自分なりに理解できてからは、少しずつビールがおいしいものに変わった。いや、厳密にいうと、その喉越し感や、鼻に抜ける風味、アルコールによる癒し(酔い)が、食欲を旺盛にしたり、会話を活性化したりしてくれることに気が付いたからである。こうして、私は、ビールが嫌いから好きになった。同時に、嫌いは、解釈によって好きに変換できると思うようになった。
好き嫌いは、誰にでもある。好きなものが多ければ多い程、人生は楽しいはずである。好きであることは自分を癒し成長させることであるので、それが多いということは、人生が癒しと成長に満ちやすいことを意味するからである。
昼休みに、会社の食堂で同期と食事をしたり、周りに座っている社員の会話に耳を傾けていると、皆、行きつくところ好き嫌いの会話をしていることに気が付く。偏見ではないが、女性たちの会話にはこれが多いように感じる。やれ、旦那や男のこれが嫌だ、野菜や味付けのこれが嫌だ、シュークリームは皮が硬いのは最低だ(本場なんだが…)など…。私も豊食の平成時代に教育を受けた年代であるが、戦前生まれの祖父母、父母との間に遅くにポッと生まれた子であるために、「贅沢は敵だ」「感謝の心をいつも持ちなさい」等と節々に戦前教育の格言を交えて育てられてきたので、彼女たちの言を聞くのが、実はつらい。私に刷り込まれた思考、つまり人格が攻撃されているように感じるからである。
昨今、マッチングアプリや婚活市場における男女の恋愛が増えているようである。メディアによると、男女共に、「普通の人」を求めているそうだが、その内容は、一つのお笑いネタとしてしばしばネットや同界隈をにぎわしている。例えば、ある女性は「手取り400万円前後、30代」なのに、「175cm以上、年収手取り800万円以上、25~34歳」や「175cm以上、年収600万円以上、イケメン」を要望とかである。もちろん人生を共に過ごすパートナー探しなので条件を設定することは良いことである。しかし、そのわずか三つ程度の条件を同時に満たすことすら難しいのが今の日本である。まずそれを理解した上で、ある不足要素をもった男性とどういった関係性を将来築ければそれを楽しく克服していけるか?をメッセージのやり取りやお茶をする中での会話から模索し、決断を下すことが、恐らく成功のカギであろう。つまり、その女性の「嫌い」を、いかに知性によって「好き」に転換していけるかが大事であるということである。
人口の95%は対称率という点で不細工顔らしいので、芸能人のような美形には出会えないと考えるのが妥当である。また、年収の中央値をネットで調べれば自分の主張がいかに間抜けかもすぐわかるので、現実を見る頭があれば、その中でいかに幸福に暮らすか思考するであろう。そういうことをせず、漠然とビビッとくる人を~とか、四高がぁ~とか、尽くされること、美しく盛大な結婚式や旅行や裕福で楽な暮らしをえられること、映画などのドラマチックな出会いであることを、期待し、またそうあるべきと思ってしまっているうちは、どんなに神頼みしても上手くいかないであろう。それらのことを期待してよいのは、乙女であることが許される10代から24歳くらいまでである。それ以降は、自分が日本国民として、社会の一員として、自立し、自覚と責任をもって生きる覚悟をもって生きなければならない。この覚悟を心からできた時、メルヘンのような期待や希望、学生時代の素敵なパートナーが見つかった友人との比較をすることはなくなり、現実的にどんな手段で自分は社会的責任を果たして生きていくか、どういった考え方の人や環境が必要か、を考えて、行動するようになるである。そして、そうした行動をしながら婚活を行うことで、自然にパートナーが見つかるものと思われる。なぜなら、メルヘンや上辺ではない現実的な判断軸があなたの中に出来上がっているからである。つまり、感覚的ビビッとではなく、論理的にビビッとくる人が目にを止まるようになるのであろう。
以上、なんだか婚活の話をしているようになってしまったが、別にこれが婚活に限った話ではない。仕事でも同じである。自立性と社会的責任の意識をもって仕事に向き合うことで、「自分ならどうするか?」という主体性が自然に発生する。であるからこそ、質問をすることもできるし、意見を述べることもできるし、勉強をすることも、協力することもできるようになるのである。私の主張は、理想論すぎるであろうか。。。



