本年もお世話になりました。

本年もお世話になりました。

今年もあっという間にくれました。

コロナ下ではありましたが、私は何だか色んな人や力に守られながら、応援して頂いていることを実感した一年でした。病気もなく、職場環境も思い通りに大好転し、国家資格も習得、色んな方との縁を結べた一年でした。

来る年も、益々素晴らしい一年となるように、日々精進したいと思います。

なお、私は天皇を象徴とする日本人なので、天皇の先祖や関係者を祀っている神社にしばしば参拝しに行きます。

週末、車やクロスバイクで遠出をしていると、つい、フルそうな神社があると立ち寄ってしまいます。今年も沢山の神々様にお世話になりました。ありがとうございます。心より感謝申し上げます。

天之御中主大神( アミノミナカヌシノオオカミ )様

高御産巣日大神( タカミムスビノオオカミ )様

神産巣日大神( カミムスビノオオカミ )様

天照大神( アマテラスオオカミ )様

猿田彦大神( サルタヒコノオオカミ )様

宇迦之御魂大神( ウカノミタマノオオカミ )様

建御雷大神( タケミカヅチノオオカミ )様

経津主神( フツヌシノオオカミ )様

建速須佐之男命( スサノオノミコト )様

高麗王若王( コマオウジャクコウ )様

木花咲耶姫 (コノハナサクヤヒメ)様

〈うんちく〉

賽銭や浄財には、何を入れたらよいのか???

・神社の「紐と鈴」は男性器を象徴しているので、賽銭は、白系のお金を入れることが良いそうです。

・寺社の「蟇股(カエルマタ)」は女性器を象徴しているので、浄財は、赤系のお金を入れることが良いそうです。

ということを、某Youtuberのお坊さんが動画内で説明しておりました。是非、試してみてください!

【本日の動画】中津川のせせらぎ、風の音、カワセミの声

自然に触れたり、風景を眺めたりすることで、心が落ち着き、余裕が生まれ、自己肯定感、自己効力感が増します。そうすると、余計なことを考えることが無くなり、充実した日々を過ごすことができるようになります。素敵な年末年始をお過ごしください。

マイペースであることについて

本日は、マイペースであることについて、述べたいと思う。

① 電車の中で、他人への立ち位置や音など気にせず、自分のゲームや動画鑑賞に没頭する人。

② マフラーを改造して、爆音を立てて公道を走る車やバイク。

③ 職場で、連携した仕事が必要なのに、自分の職域を勝手に制限し、そこだけ完了したらそれで終わりという人。

④ 恋活や婚活をしているのに、自分はマイペースなので一生一人でもよい。良い人がいればいいな程度の人。

⑤ 家の中で与えられた仕事をして金を稼ぎ、ゲームなどの趣味に没頭し、それだけで人生十分とする人。

⑥ 公共の場ではマスクをして、飲食は極力控える。食べても、ガムや飴くらいにする。その上で、本を読んだりする。

これらは、皆、マイペースであることの例である。

マイペースであることは、一見すると、別に悪いことではない。なぜなら、マイペースであるためには、自分がありたい姿、つまり、「軸」があるということだからだ。軸があるということは、それは、自立した人間であることを意味する。だが、自分がありたい姿を描くことは、子供でもできる。社会的責任を負った大人は、この程度のマイペースではいけないのである。「一見すると」と言う具合に、含みを持たせたのは、その為である。

では、大人はどんなマイペースでなければならないのか? 大人は、子供と違い、責任を負う立場にある。何故責任が問われるかといえば、そうしないと社会の秩序が乱れるからである。社会の秩序とは、突き詰めると、人と人との連携・協力・調和のことである。調和は、互いに思いやる姿勢によって初めて成立する。従って、人との調和が成立する個人のマイペースとは、「相手への思いやりを第一に考えた、マイペース」と言うことである。つまり、「利他的なマイペース」が、大人のマイペースということなのである。

では、この利他的なマイペースの視点で、①~⑥を見てみよう。

①は、他人の快適さを考えていないので、利他的なマイペースではない。よって、これをやっている人は、子供である。

②は、爆音を立てている時点で、他人への配慮がない。よって、利他的なマイペースではないので、子供である。

③は、自分の職域の勝手な制限をしている時点で、もはや配慮が欠如している。その職務で十分なことの合意をとれていないので、この人は、他人への配慮がない。よって、利他的なマイペースではない、子供である。

④は、互いに調和できる人を探す行動をしているに、自分は一人でも充実しているので相手は特に必要ないと言っている。こういう主張をする人は、「子供である自分を、ありのままに居させてくれる人」としか結ばれないであろう。なぜなら、「協力しよう!」と言っているのに、「私は協力する必要がないが、あなたが必要と言うから居てあげる」という関係だからだ。さらに、こうした人は、「良い人がいたら」とも言っている。この良い人というのは、考える限り2パターンしかない。一つは、「自分が夫婦やそれに伴う社会活動で非協力的だが、好き勝手させてくれる、大金持ち」。もう一つは、「自分が追いかけたくなるようなプリンス /プリンセス」である。そんな人は、あまり居ないと考えた方がよいことは、いわずもがなであろう。こういった人は、今後「利他的」な意識に変えていかないと、若さゆえに快適な一人の人生を突き進むことになるであろう。只のマイペースな子供だからだ。

⑤は、仕事という形で社会と関わっているので、利他的なマイペースである。仕事を依頼した人は、ちゃんと結果が返ってくれば安心するであろう。だから、この人は、大人である。

⑥は、他人を配慮した行動そのものである。マスクをするのは、他人からの感染を防ぐ効果と、他人へうつさない効果が期待できる。マスクをする行為と、それを公共の場で長時間続けようとする姿勢は、利他的である。よって、大人である。

以上、マイペースであることについて述べてきた。身体は大人になっても、只のマイペースの人は多いです。是非、利他的なマイペースを目指し、身体も心も魂も大人な人が多くなってくれることを願っています。

【本日の動画】オオバンの隊列

野生の生き物こそ、協調性が求められます。自然の前に、一人では生きていけないからです。人は、今一度、原始の在り方を学ばなくてはならないと思うのです。

学ぶということ

 勉強も、習い事も、人生も、学びの連続である。今この一瞬を何気なく過ごしていても、今後何かの瞬間に、その何気ない時間から何かを思ったり、悟ったりしたのならば、その判断の糧になった今は、未来の自分にとっての重要な学びであったと言えよう。

 ところで、学ぶということについて、考えたことはあるであろうか?学校でのテスト勉強、受験勉強、資格試験、昇格試験の勉強、習い事の昇段試験の勉強など色々な目的のための勉強があるが、その方法について、考え、学習を成し遂げた経験はあるであろうか??? これについて私は、60%弱の人は「学習≒暗記」以外の答えを持っていないのではと思っている。まずは、これについて軽く述べ、最後に、私が思っている学ぶ方法について呟きたいと思う。

 まず、60%弱の日本人が「学び≒暗記」と思って大人になると思う理由について述べる。日本の学校教育は、とにかく大人が用意した科目の理解と暗記を強要する。学校の先生たちは、その学び方について触れることは少なく、本人たちが意図してかせずかは別として、暗記を求める。というのも、テストは、基本的に50~60%は基礎事項が出題されるように作るので、指定範囲の基礎事項の暗記で乗り切ることが可能であるからだ。従って、生徒たちは暗記戦略をとるようになり、何とか逃げ切る。この流れは、大学受験でも続く。偏差値60を下回る大学は、基礎事項の理解を確認することが多いので、暗記で乗り切れることが多い。こうして、「学習≒暗記」と捉えて大人になる人が多くなる。これが、私が学びを暗記と思っている人が60%弱いると考える理由である。

 また、昨今の受験は、一部の国立を除き、多くの大学で推薦入試が導入されている。難関大と言われる大学でさえ、その学年の60%程度の人は推薦入試で入学する時代である。彼らの能力を示す指標は、高校時代の活動であり、それは高校のテスト勉強の結果が主である。よって、暗記学習を基本姿勢にもつ人がさらに入学してくる。こうして、「学習≒暗記」と考える大人がより増え、実態は、70%程がそう思っているのではないかと思ってしまう。

私は、暗記は悪いとは言っていない。しかし、学びに際して暗記に偏ることで、「洞察力」を養うことを疎かにしてしまう人が多く、その結果、多くの成長の機会を見捨ててしまっていることを嘆いているのである。というのも、テストで高得点を採ったり、偏差値60以上の学校に合格したり、難関資格を突破したり、会社で直面する課題解決を立案するには、暗記だけでなく、この洞察力を養うことが大事だからだ。

洞察力とは、物事の本質を見極める能力のことを言う。具体的には、表面的な観察から始まり、知識・知恵と照合し、整理しながら法則性( 等価性 ,一般性 )を見いだす知的行動(=洞察)を行うことをさす。

難関試験や社会で直面する課題の多くは、まともに暗記しようと思うと際限がなく、また暗記した方法をただ適用するだけでは回答できないことが多い。こうしたときに、洞察力が試されるのである。洞察力により、問題を単純化したり、別の何かとの共通性を見出したりできれば、その別の何かの解法を引用して問題を解くことができるのである。

この洞察力を試す問題を、受験勉強などでは、「論理力を問う問題」「応用問題」「実践的な問題」などと表現をする。しかし、私の経験からすれば、こんな言葉で分類されても、意識をどのようにもって、頭をどのように働かせて望んだらよいか分からないので、全く無意味な表現である。しかも、実際の試験では、「これは応用問題ですよ!」などと書いてくれることはないのだから、尚更である。「いかなる問題に直面しても、洞察によって、問題の本質を見抜いて単純化し、基礎問題に落とし込んで解を導く」、これが重要なのである。

学習塾では、「問題の解き方を先生が実践してみせる形式」が多いと思う。このとき、漠然と板書をノートに書き写すことで満足したり、その在り方を暗記することに意識を集中させてはならない。先生が、「問題をどのように観察したか?その観察から何を想起したか?連想したか?そして、比較して、法則性や別の何かとの類似性を見つけ出したか?」という洞察の仕方を理解し、自分なりに整理し、「自分が全ての問題に立ち向かうときにとる基本的な姿勢に落とし込む」のである。

もう一つ例を挙げる。武道を学んでいると、まず始めは、基礎体力の習得や、一人で行う型の反復練習を行う。その後、二人で行う型の反復を行い、組手を行う。日本の剣術流派は、基本木刀なので、ボクシングや柔道のように気軽に組手は出来ないから、師範が授けて下さることは型稽古までである。とすると、「型の暗記」が稽古の基本となってしまう。「敵がこう来たら、こう返す。ああ来たら、ああ返す。」となるのだが、実践力がないのは誰が見ても分かるであろう。なぜなら、実践の場で、「相手がこうくる」など分かるわけないからである。しかし、「相手がこうきたときは、こう返せる」ようにしなければならないので、やはり型の反復は必須で、続けなければならない。では、どうすれば、反復して身につけた技を、実践で使えるようになるのであろうか??それにはまず、学んだ多くの事項の特性を理解して整理し、次に自分が敵と対峙したときにまずとる基本的な構え(=流派特有の基本の構え)とのつながりを考えたり、型の流れや師範の動きから発見したりすることが、必要である。これが、洞察である。すると、様々な敵の多様な攻撃の共通点に気が付き、捉え方が数種類に集約されてくる。すると、敵の動き方に動じなくなるので、落ち着き、かつ迷いなく習得した技を発動できるようになってくる。さらに洞察が進むと、敵の動きを操り、得意技で仕留めることができるようになってくる。ただし、熟練者同士だと互いにそうしようとするので、日頃の基礎練度と洞察力の深さ、基礎と洞察の成果を効果的に盛り込めている流派の格で勝敗は決まる。ここまで読んで頂くと、武道での学びというのは、基本事項の暗記だけではないと理解いただけたのではないだろうか。学びとは、「暗記だけでなく、洞察力によって対象と自分の理解を深め、上手く使える体制を整えること」なのである。

さて、最後に、私が考える学ぶ方法について、まとめる。

まずは、学習対象の存在意義を明確にする。これは、「対象分野の基礎事項」と、「その試験がどういった人を選定する目的があるのか」を理解するために行うのである。この目的が理解できると、試験問題を解くときに、全ての問題をこの目的意識に照らし合わせて眺められるので、出題者の意識を考えながら問題に向き合うことができるのである。例えば、試験で難問が出題されたとき、「この試験は、現場で問題に直面したときに規範に則り課題解決を立案できる人材を認定することが目的だったな」という意識を持っていれば、「問題と関係分野の規範を整理し、過去の代表的な課題解決法(過去問の解法の流れ)と照合してみよう」という思考が働くのである。

そして、基礎事項を期間を決めて覚える

次に、問題と解答( 型や演武 )をみて、洞察を行う。学習対象の存在意義に対する問題の位置づけを考え、様々な問題の解法の流れを理解し、その捉え方の一般化を行う。

そして最後に、自分が問題に立ち向かう基本姿勢( 構え )を整えるのである。これができたら、未知の問題に挑戦して、自分の構えを定着させ、洞察力を試し、また、より対応力の広い自分を育てていくのである。

話が長くなったが、多くの人が、素晴らしい学びをしてくださることを願っている。

【本日の動画】中津川の水音

この川の柔らかい水音を聞いていると、心が癒されます。またその姿を見ていると、力を注がれているようなそんな感覚に襲われます。何かを意識的に学ぶときには、大きな力が必要です。そんなとき、心を癒し、元気になれるものは、ありがたいものです。この動画は、そんなつもりで貼り付けました。