自伝 -あとがき2-

自分の人生を日々見つめなおしています。その中で、私という人間の成り立ちを分析する意味も込めて、「自伝」を書くことにしました。ある種の物語になっているので、時間のある方は読んでみてください。

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 先日の(自伝 -あとがき1-)の続きです。全部で三回の自伝の中で、その時々の私の考えや行動が、合理的で正しかったかのように書いてしまったが、実際は、もっとダサく、情けないことの方が多かった。それをきちんと示さないと、私の本質が見えてこない。そう感じ、「あとがき」として、私の情けないエピソードを書き連ねることした。「あとがき1」では、幼少期~高校までを記した。本あとがき2では、【自伝 -下-】の大学以降を記す。

【自伝 -下-】の時代の、情けないエピソード

・大学時代、C言語で一度落第しました。二回目はSでしたが。。

 英語学習の時もそうでしたが、5文型を使いこなせず苦労したくらいなので、、C言語特有の記述形式を素直に受け入れることができませんでした。特に、「=」が「格納する」を意味するのが受け入れが難く、毎度頭が固まっていました。。数学では、「=」は「両辺が同質」を示し、「格納するという動作なんてないじゃん!」とどうしても思ってしまったのです。。つくづく、自分の頭の固さを思い知らされました。。ただ、この失敗で、「新着情報を一度受け入れる」という心構えを学びました。結構、これが出来なくて一度とことん失敗することが多かったです。

・嫌い過ぎて、冷たくあしらってしまった同級生がいました。

 大学の実験演習の同じ班に、I君という奴がいました。彼は、某県の田舎の公立高校から指定校推薦できたのですが、何とビックリ「オームの法則」すら分からない人でした。こんな奴が何故理工学部にいるのか疑問だったので、まず、話を聞くことにした。。。彼の高校は大学進学率がとても低く、理系は彼の代は一人であった。この高校に、偶然大学の指定校枠が一つ新設され、高校の先生のすすめで乗っかったとのこと。。私は次に、「何でオームの法則が分からないに、高校に入れたの?」と聞くと、、、彼の高校は倍率が1倍を大きく切っていたらしい。。。とても悲しい事実である。。。馬鹿なりに正道を歩んで筆記試験を突破してきた私は、こんな奴と同じ土俵にいるのが情けなくて、そのとき泣きそうになったのを覚えている。ただ、私はこの後、3カ月ほど彼を「友」として、中高レベルの知識から大学の授業で習った事項までを一々教えるなどして、実験を進めた。そうしないと授業が進まないというのもそうだが、自分が落ちこぼれで救いを求めていた人だったので、彼に手を差し伸べたかったからかもしれない、とにかく教えた。。しかし、彼は、一度でもそれを覚えて活かせるように努力したことはなかった。こちらが書くまではメモもとらず、聞いているだけ。そこで見限った。私は確かに大した知性はなかったが、努力は怠らなかった。一方、彼はその努力の振りすら見せなかった。私は、志しのある友と切磋琢磨して知力を鍛え、世に羽ばく準備をしたいと思っていた矢先に、とんでもない爆弾を抱えてしまったのである。私は、再三にわたり彼と別の班にしてほしいと教授にお願いに行ったのだが聞き入れてもらえず、2年間苦労することになった。1年の後期からは、私は、学問に対してやる気を見せない彼に冷たく接していた。今思えば、彼のような問題のある者と真摯に向き合う協調性を養う良い機会だったのに、私はそれを放棄してしまっていた。。実は、私は小学生の頃まで、こうした問題児とペアになることが多かった。「私が優しいから」「習い事しているので問題を早く解き終わるから、その子に教えさせるため」という理由だったらしい( 同窓会のときに酔った先生談 )。。。私は、そうした普通ではない人を引きつけてしまう運命の下に生まれているような気がしてしまうのである。( ちなみに、職場でも近くにそんな人がいる ) とにかく、この大学時代にいた変な奴をスマートに対処できなかったことは、情けない経験であった。

・真面目過ぎたと思うが、それ以外になれなかった。

 勉強していないと忘れるのが怖くて、常に何かを学んでいた。その為、いわゆる遊びがなさ過ぎた。旅行にいったり、友達と何処かに行ったりすることもなかった。何度か、男友達から、お金を出して女性と遊ぶ店に行こうと誘われたが、、そのことごとくを断った。行くと心が辛い(「デミセクシャル」参照)というのは事実であるが、一方で、女性に興味はあるので、、女性との接し方を磨く意味で一度は行っても良かったかなと思うこともある。この話は、会社の先輩や同僚には話したことはない。嘲笑の対象になるのは明白で、その時間は、私にとって何にもならないからである。

 尚、この特徴は、大学院時代に極まることになる。大学院時代は、研究室に寝袋を置いて、寝泊まりしていた。。シャワーもあるし、身体を洗う道具も、食料も一通り売店で売っていたので、生活するのに何も困らなかった。一度、研究のために一カ月ほど実験室に寝泊まりしているときに生理現象で夢精してしまい、ジャージを着て過ごしたことがあった。そのとき、先輩に「二週間に一回は出さないと、いつ来るか分からないから焦るよね。情けないから、彼女を作りなよ!」と言われて、処理対象としてではなくもっと広く幸せという意味で彼女を作ろうかなと考えたことがある。そこで、大学時代に気になっていた子に探りをいれたが、既に特定のお相手とより深い次元にいる(、又は求めている )ことが予想できて、そうそうに諦めてしまった。こんな話を年上の方にすると、奪いに行かないとダメだよとお説教を頂くが、そのエネルギーを持てなかった。真面目さゆえに、自分にも自信がなかった。修士課程は、研究の成果もそうだが、就活もすぐにくるので正直緊張しかなかった。出会いにおいてこの時期の理想を言うならば、研究室や学会発表で素敵な方に出会うことであったが、いかんせん、、女性などは技術員の年配の淑女しかおらず、研究も仕上がっていなかったので無理であった。技術員のおばさんとは、席が隣だったので、ざっくばらんに恥ずかしい話をしたものである。そのとき、おばさんから夢精対策としてアドバイス頂いたのが、とにかく体を鍛えて疲れることであった。元々、夢精や遺精は、肉体のエネルギーに変換できなくなった余剰精子が外に排出される現象である。体が極限まで疲れていれば、その修復にエネルギーが使われるので起きなくなるということである。そこで、元々体を鍛えるのが好きで、精神を鍛えられる物を始めようと思っていたので、マラソンしたり、居合を習ったりしたのである。この後、本当に起こらなくなった。。でも、恥ずかしい話である。こういう、恥ずかしい経験を人に見られたりしてしまうのも、私の子供の頃からの特徴である。

・ ずっと追い求めている国家資格がある

 長い間、習得を夢見てチャレンジし続けている国家資格がある。といっても、一年中勉強しているわけではなく、試験の三か月くらい前からの挑戦になってしまう。。合格率は7~9%とかなりの難関である。。大学時代みたいに集中してできたら一回で合格できた自信はあるのだが、今はかなり難しい。しかし、そこをあえてチャレンジし、ノウハウとして整理し、今後の人生に活かしたいので、ずっと続けている。途中、仕事で受験できなかった年も何度かあったが、来年こそは絶対受かりたい!

 このように、初志貫徹のために、客観的に見て無駄と思う物事に長くチャレンジし、回り道をする傾向が私にはあります。現に、私は、資格の勉強のために、会社の同期と合コンに行ったりもせず、出会いの機会を自ら放棄してしまいました。

・自然を愛し、自然に触れることに喜びを感じ、ますます文明から遠ざかりたい衝動がある。

 自然の癒し効果を実感し、自然に触れることで色んな学びや気づきがあることを知り、休日は必ず自然のあるところに行くようになった。特に、水の流れのあるところ。。電気メーカーにいるが、ますますその対極の自然に強い関心を持つようになっている。。具体的には、自然を知り、学び、残し、自然を活かたテクノロジーを作りたいという衝動である。いわゆる、エコロジストである。この観点から、現在のエレクトロ二クスを包括した新しい技術を作り、人類に貢献したいと夢を描いている。。。誰かが、、私を、「国語・社会」を得意にさせ、「数学・理科」が嫌いだけど学ばざるを得なくさせ、「電気工学・生命科学・機械工学」を学ばせ、「熱設計や機構設計」という激務な仕事をさせて心をつかれさせ、「自然の癒し効果と学び」に気づかせ、そして、「自然を生かしたテクノロジーの創出」に挑戦させようとしている気がしてならないのである。。

 私とは、こんな人間なのである。

【本日の動画】浅川の魚 ( 12月 )

12月の浅川には、こんなにも沢山の魚が泳いでいました。色んなサイズの、数種の魚が所狭しと泳ぎ回っていました。水面から飛び上がってくるものも沢山います。水面方飛び跳ねたときに、野鳥に救われて命を落とすものもみます。魚種、大きさ、行動、それらを持って魚の個性というならば、一見するとこの川の中では彼らの個性は尊重されているように思えます。しかし、個性に従って飛び跳ねた結果命を落とすとは思っていなかったでしょう。。これを運命で片づけてしまったら、何の学びもないです。。もし、魚に知能があって、命を危険にさらしうる個性を知っていたのなら、飛び跳ねることはしなくなるでしょう。。私の、三回にわたる「自伝」と、二回にわたる「あとがき」は、自分が生きる上で大失敗せず成功に向かって行動していくための、自分の個性を知るための試みであったのです。

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