理解・記憶・想像・読書

人は、視覚を通じて多くの情報を得る。

この視覚によってられる情報は、目で受容され、脳内で電気信号に変換され、認知される。この認知についてであるが、脳が既に知っていること(=電気信号)を無意識に引っ張り出し、合成することで起こるらしい。

つまり、今、我々が見て、時々刻々変化している世界は、「目に届く光」「その光に無意識に反応して起こる脳内の電気信号」「過去経験した類似の電気信号の無意識で反射的な検索と合成」で形成されている。我々が知る情報は、全て、脳内の電気信号なのである。

ここで、記憶について、考えてみる。

記憶とは、新着情報を認知し、思えだせるようにする行為をさす。

新着情報の認知というのは、例えば視覚を用いて得る情報は、前述のような具合に脳で入力処理される。一方思い出す行為、つまり、想起は、どうであろうか?ここには、「目に入る光(その他、五感で感じる刺激)」はない。これは、完全に「過去に経験した電気信号を探る行為」である。思い出す行為もまた、脳内の電気信号である。

なお、この推論から何かを意識的に思い出したければ、その対象を覚えた時の五感を思い出すことが重要だと思う。なぜなら、記憶された情報は、「覚える際に五感を通じて入力され、それが電気信号に無意識で反射的に変換され、そのときに脳が勝手に行う過去の電気信号の検索と合成」で形成されるからである。思い出す時は、「どんな見た目の印象を受けたか?どんな匂いだったか?どんな音、リズム、大きさだったか?どんな味だったか?どんな肌触りだったか?その他、平衡感覚や内臓の感覚はどうであったか?」を丁寧に論理展開したり、意識したりすることが大事と思うのであうる。

さて、想像はどうであろうか?

想像とは、イメージのことである。情報を入力する行いではないので、既に知っている情報を意識的に組み合わせる行為である。既に知っている情報は、脳内の電気信号であるので、想像とは、「過去に経験した電気信号を意識的に合成する行為」であるといえる。想像もまた、脳内の電気信号なのである。ただ、合成する際には、論理展開が必須である。例えば、リンゴといって、真っ赤で、良い香りのする手に収まるサイズの果実の電気信号を脳内に走らせても、、論理展開をしなければ、、例えば、格闘家がそれをグシャッと潰す姿の電気信号にはならない。先ほどの、想起における丁寧な論理展開は、まさに、想像のことである。

では最後に、以上の推論をふまえて、ちゃんと理解し、記憶に残る読書について考えてみる。

文書は、単語、文型で構成される。文を正しく理解するのためには、この単語と文型を脳内の電気信号にし、過去の電気信号と合成させなければならない。特に、英語などの外国語は、文型を正しく理解しないと、内容が分からない。が、日本語は、文型を正しく分からなくても、単語の羅列で何を言わんとしているのかが、分かる不思議な言語である。「日本語、文型、正しく、分からない、単語、羅列、何、言わん、分かる、不思議、言語」という単語の羅列を見せられれば、学校教育を受けてきた者ならば、日本語の文型が無意識に体に染みついているので、単語を見るだけで、多くの場合、何となく何を言わんとしているかが予測がつく。このことから、日本人の大人が、日本語の文章を読むときは、単語を目で追えば基本的に良い。次に、単語についてであるが、これをどのような電気信号に変換するかが、理解の境目になる。

いきなりだが、カメラアイを持った人は、本のページ全体の見た目の印象を電気信号に変換しているはずである。ただ、普通の人がこれをやろうとすると、脳が過去の類似した風景の電気信号、つまり、ページの上に文字が書いてある漠然としたイメージ を思い出し、それ以上のことができない。理由としては、いくつか思うことがある。

・ パッと見ただけでは、文字が小さく、文字が多すぎて、文章が書かれている領域や絵くらいしか分からないから。

・単語を感覚で瞬時にイメージ化するのが、苦手だから。特に「概念」は、物体の固定した形でイメージできない。例えば、法律、規則、ロジック、メタファーなどである。こういった用語は、概念が適用されている具体的な場や、物体の動的な流れをイメージで捉えられるようにならなければ駄目である。ただし、一つの単語に対して、これらのイメージが瞬時にできても、ページ上の単語があまりにも多すぎるので、全てを瞬間的に捉え、同時にイメージ化することは出来ない。

だから、我々は文章を音声化して、一回音にし、その聴覚(的)刺激による電気信号で理解するのである。黙読とて同じことである。だが、難点は、音の響きに頼った理解になるので、理解が浅く、何より音の響きや順番を思い出さないと想起できないと思われる。覚えていることは、経験上、音読(黙読)の最中に、単語の響きに連動して、勝手に映像や味覚、嗅覚的な感覚とその動き(論理展開)を想像できたときである。それが出来なかったものは、何も覚えていない。

このことから、文章を理解し、内容を記憶するには、まず単語を意識し、それを映像、味、匂いで捉えることが重要である。ここで、単語毎にイメージが出来ても、単語間のつながりをどうするか?という問題がある。一つの段落で、複数の単語とその感覚的イメージができたが、つながりが分からない。。単語の出てきた順にストーリー化しようとしたが、どうもうまくいかない。結局、音読して言わんとしていることをまとめたら、「AがBを使ってCをした」しか言ってなかった。しかし、音読したら弱い記憶しかできないし、どうしたものか。。。

これについては、まず単語に目を走らせ、単語毎にイメージ化を試みる。その作業をしながら、「つながりは何だろう?」という意識を持つ。そして、一段落終わったときに、「イメージのつながり(=内容)は、これだ!」という自分なりの答えを作る。この際、無駄な単語のイメージは削除してよい。そして後で音読をして答え合わせをするのである。記憶は、「反復、イメージ化で強化される」「間違えたものは強く記憶される」という特徴があるので、その理に叶う方法と思う。

以下、提案する記憶に残ると思われる読書術をまとめる。

❶ 一段落の全体パターンを見る 

❷ 単語を見た順にイメージ化( 視覚、嗅覚、味覚etc)

❷ 同時に、イメージ間のつながりはどうか?という意識を持つ

❸ 一段落が終わったところで、イメージによる自分なりのストーリーを確定

❹ 一段落を音読して、ストーリーを答え合わせ

→ 「反復、イメージ化」「一度間違えた事柄は強く記憶される」という記憶の特徴を使う。

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