大伴部 博麻

 昔、大伴部 博麻(オオトモべ ノ ハカマ)という人がいた。「愛国」という言葉の由来となった飛鳥時代の兵士である。戦前教育では、必ず教わった人であるが、戦後GHQの洗脳教育(=日本人腑抜け化教育)の中で、真っ先に削除された。

博麻は、百済国救済のために大和朝廷が派遣した日本軍と、新羅・唐連合軍の戦いである、白村江( ハクスキノエ or ハクソンコウ )の戦い[661年]に参加した兵士である。

しかし、戦いは日本・百済連合軍の大敗。博麻は、唐軍の捕虜になり、長安に護送された。そこで、他の捕虜兵士や遣唐使で捕まっていた者たちとともに、長安で暮らすことになる。

しばらくして、唐が日本侵略を計画していることを聞いた博麻は、このことを日本に伝えなくてはないないと考えた。伝えるには、逃走資金がいる。そこで、博麻は、自らを奴隷として身売りし、その金でもって、仲間を脱走させた[670年]。

671年、仲間たちは対馬に到着し、事の大事を太宰府に伝えたという。大宰府には、当時、防人(サキモリ)という国家防衛のための兵士が常駐しており、この知らせを受け、より防備を固めたことと思われる。

さて、博麻は、以後30年も奴隷として長安に暮らし、690年に、たまたま長安を訪れた新羅使の知り合いに連れられて、半島を通じて、日本に帰国したという。

さて、帰国した博麻は、新羅使とともにもてなされるわけだが、その際に、持統天皇より「 朕 嘉 厥 尊 朝 愛国 売 己 顕 忠 」という勅語を賜るのである。天皇から一個人に対して、公の言葉を発せられたことは、記録上この一件しかない。

【意味】

朕は、おまえの朝廷を尊び、国を愛し、我が身を売って、忠誠心を表したことを喜んでいる。

この話は、日本書紀にも登場し、博麻は、「官位」「土地」「褒美の品」「子孫三代までの免税」といった恩賞を賜ることとなる。

親のため、子のため、友のため、愛する者ののために、今、ここまで己の身を犠牲にすることができる者がいるであろうか?

日本人として、愛国という言葉の由来を知るとともに、その美しさ、その深さをかみしめながら、生きていきたいと思うのである。大伴部博麻たち先人に感謝しながら。。。

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