母の努力
私の母は、絵を描くのが趣味である。かれこれ、10年以上絵の教室に通っている。
はじめは、知り合いのツテで入った教室の一生徒に過ぎなかった。
しかし、3年目辺りから賞を取り出し、5年目辺りからは大賞を取り出した。
県知事賞、市長賞、大臣賞など…
同じアーティスト( 私は、設計の仕事をしています )として、たまに母に聞くことがある。
その豊かな感性や、その絵を描こうと思った動機は何処からくるのか?と…
母は、「よく分からないが…」と前置きした上で、答える。
「万物に感謝する。動植物を可愛がる。美味しい物を食べたり、作ったりする。とかは、毎日意識している。」
素晴らしい考えである。
今年も、某県の知事賞の授賞式に出かけがてら、今、某所を旅行中らしい。
夢は、小さな無料の個展を開き、それらの本にまとめ出版することらしい。
同世代の女性と比べて、極めて向上心が高く、能動的な目標がある母の姿に心打たれるばかりである。
5月写真
毎度、色々な写真を撮っております。
良い土地には植物が元気に育ってくれます。そして、それを見たり、触れたりすることで、人も元気になれます。元気になる指標としては、植物に手をかざし、鼻から息を吸い、胸呼吸をしてみてください。とても楽に呼吸できますよ!
( ↑ これ最近の気づきです。人、写真、神社、絵、植物、風景をみたり、ふれたりするとき、この呼吸法で苦しくなるものと、楽になるものがあります。きっと、これがフィーリングという感覚の一種なのかもしれません。苦しくなるものには、近づかないようにしようと思ってます)

5月初頭 実家紫陽花

5月末 実家紫陽花

5月末 実家紫陽花

5月末 実家紫陽花 と テントウムシ幼虫

ドクダミ( 薬草としての効能があるありがたい野草 )

アロマティカス( 昨年地に下したら夏の終わりに枯れた。。。一年草だと思っていたら、また生えてきた!庭が凄いアロマ臭で溢れている)

ああ、綺麗だ~

くらくらしてくる・・

こういう、主役にはなれないけど頑張っているモノを、私はとても愛おしく思います。





ツツジって、こんなに花凄かったっけ?

あと、この前、立身出世にご利益があるということで、高麗神社に行ってきました!

この神社の宮司さんは、高麗(コマ)さんです。西暦668年に朝鮮半島の高句麗国が、唐・新羅の連合軍に滅ぼされました。このとき、高句麗国の難民が日本にやってきました。その中に、高句麗王族の一人であった、高麗王若光もいました。712年に朝廷の命で、1799人の高句麗人を武蔵国に住まわせ、そこを高麗郡と名付けました。高麗王若光は、この地の郡司に任ぜられ、開発に貢献し、没しました。その後、若光は、民衆に神として奉られ、高麗神社ができたとのことです。以来、若光の子孫が、高麗氏を名乗り、代々、この神社を守ってきました。

高麗家の旧館
神社には、毎年、政治家、著名人、出世を願う社会人、皇室の方(現上皇様など)もお忍びで参拝されるそうです。
高句麗国は、中国から朝鮮半島までを部分的に700年間治めていた騎馬民族の国です。高麗一族の血は、少なくとも2051年(=2019-668+700)は続いていると考えられます。上皇様がこられたのも、皇室の歴史に匹敵するくらい長い歴史のある一族への敬意からなのかもしれません。

JR高麗川駅から歩いて15分ほどです。

視覚情報⇔イメージ
視覚情報とイメージの出し入れを行うには、どうすればよいであろうか?
目を開ければ、外界の情報が勝手に目に入ってくる。
目を閉じると、外界の情報は遮断される。今、見ていた風景は、イメージするしかない。
このとき、あたかも目でみているようにイメージすることは出来ないのであろうか?これができると、カメラアイという能力をもった人たちのように、風景をカメラのように記憶しておいて、それを頭の中で見ながら、情報をアウトプットすることができる。
参考書のページをめくっている風景を記憶し、後で、その風景を頭の中でイメージする。何ページの何処に何が書いてあったのかを、そのイメージの風景を、見て、読み上げるのである。内容は、理解していない。
どうすれば、できるのであろうか?
目を開いているときは、外の情報が常に目に入り、錐体細胞によって電気信号に変換され続け、脳内で認知される。
目を閉じているときは、視覚情報は遮断され、錐体細胞の信号変換も停止する(or 黒という情報変換をし続ける)。視覚という認知機能は、「錐体細胞による光刺激の電気信号変換」なので、光が遮断された段階で視覚による認知機能はなくなる。
よって、記憶した情報、イメージした情報を、視覚的に読み上げることは不可能であると考えられる。
しかし、もし、錐体細胞から信号変換された情報を覚えていて、脳内から錐体細胞を刺激し、その刺激の脳内への反射を認知できれば、あたかもイメージを視覚的に見るという体験ができるはずである。
しかし、電気回路を思い出せば分かるように、信号は常に漏れるので、伝送ステップが多いと情報の欠落も多くなる。
つまり、外界からの光情報を目で見ているときと、イメージを目で見るときは、下図のような情報伝達経路になり、後者の方が体内での処理が多いので、情報がロスが大きいということである。太矢印は、体内処理。
【目を開いて情報を認知するときの処理経路】
情報(光) → 光による錐体細胞の刺激 ➡ 電気信号変換 ➡ 脳内検知
【イメージ情報を視覚的に認知するときの処理経路】
イメージ(電気信号) ➡ 電気信号による錐体細胞の刺激 ➡ 錐体反応の反射➡脳内検知
また、イメージは記憶であり、そんなに精度よくとどめることは出来ない。したがって、錐体細胞を刺激するには至らないのである。
ところで、ここまで話てきて、そもそも、脳内イメージから錐体細胞を刺激し、それを視覚的に認知することなどできるのか?という疑問があると思う。
結論から言うと、私はこれは可能だと思っている。なぜなら、よくネットなどで落ちている、オレンジカード( オレンジ色の中に、青い丸の描かれたカード )を30秒ほど見て目を閉じると、瞼にその像、または色の反転した像を見ることができるからである。
目でみた視覚情報が電気信号になり、短期記憶され、それが脳内から目の錐体細胞を刺激するから、目で感じられるのだと思っている。なお、この情報を10秒ほどで消えてしまう。
よって、海馬だか、内臓だか分からないが、とにかく短期記憶で外界の情報をしっかり捉えられれば、視覚的にそれを見ることは出来ると思うのである。
※ 最も、ここまで記憶でとらえることができていたら、視覚的に読み上げる必要はないと思うが。。。
では、短期記憶を鍛えるにはどうしたらよいのであろうか?
よく、短期記憶は、脳の「海馬」というところに蓄えられると言われる。情報は電気信号だから、海馬がどのように記憶をとどめるのか?を理解し、それをコントロールできればよさそうに感じる。
この点については、また今度、考えてみる。
大伴部 博麻
昔、大伴部 博麻(オオトモべ ノ ハカマ)という人がいた。「愛国」という言葉の由来となった飛鳥時代の兵士である。戦前教育では、必ず教わった人であるが、戦後GHQの洗脳教育(=日本人腑抜け化教育)の中で、真っ先に削除された。
博麻は、百済国救済のために大和朝廷が派遣した日本軍と、新羅・唐連合軍の戦いである、白村江( ハクスキノエ or ハクソンコウ )の戦い[661年]に参加した兵士である。
しかし、戦いは日本・百済連合軍の大敗。博麻は、唐軍の捕虜になり、長安に護送された。そこで、他の捕虜兵士や遣唐使で捕まっていた者たちとともに、長安で暮らすことになる。
しばらくして、唐が日本侵略を計画していることを聞いた博麻は、このことを日本に伝えなくてはないないと考えた。伝えるには、逃走資金がいる。そこで、博麻は、自らを奴隷として身売りし、その金でもって、仲間を脱走させた[670年]。
671年、仲間たちは対馬に到着し、事の大事を太宰府に伝えたという。大宰府には、当時、防人(サキモリ)という国家防衛のための兵士が常駐しており、この知らせを受け、より防備を固めたことと思われる。
さて、博麻は、以後20年も奴隷として長安で暮らし、690年に、たまたま長安を訪れた新羅使の知り合いに連れられて、半島を通じて、日本に帰国したという。
さて、帰国した博麻は、新羅使とともにもてなされるわけだが、その際に、持統天皇より「 朕 嘉 厥 尊 朝 愛国 売 己 顕 忠 」という勅語を賜るのである。天皇から一個人に対して、公の言葉を発せられたことは、記録上この一件しかない。
【意味】
朕は、おまえの朝廷を尊び、国を愛し、我が身を売って、忠誠心を表したことを喜んでいる。
この話は、日本書紀にも登場し、博麻は、「官位」「土地」「褒美の品」「子孫三代までの免税」といった恩賞を賜ることとなる。
親のため、子のため、友のため、愛する者ののために、今、ここまで己の身を犠牲にすることができる者がいるであろうか?
日本人として、愛国という言葉の由来を知るとともに、その美しさ、その深さをかみしめながら、生きていきたいと思うのである。大伴部博麻たち先人に感謝しながら。。。