誕生日石

こんにちは!最近、特に忙しく、また気力を削がれる出来事も少々あり、更新が滞っております。昨日有休をとれ、良く寝て、身体を温め、栄養をとって少し落ち着いたので、更新します。

今日も、独り言です。

私は子供の頃から、鉱石や宝石が大好きです。保育園時代、ルビー、サファイヤ、エメラルド、オパールの美しさに子供ながらに心奪われ、一日中「それを入手し、人知れず肌身離さず持ち歩き、日々を過ごす」ことを考えていたことがあります。何だが不思議な力が得られる気がしたからです。

大人になるにつれイメージを鮮明に、動的にできるようになると、翡翠や真珠、路傍の石に至るあらゆる石に、神秘的な美を感じられるようになりました。

石は種類も形も無限にある。この世の万物も無限にある。

あらゆる石を理解し愛せるのならば、同じく無限のこの世の万物も同じように愛せる、と最近気が付くに至ったのです。

今は、何かを愛し、深め、理解し、他と比較し、等価性を見出すことの尊さを感じているところです。この世は、素晴らしい。。

さて、誕生日石というのをご存知であろうか?5月はエメラルド、9月はサファイヤなどというように、「月」に石を割り当てる分類は、俗に、「誕生石」と呼ばれるものです。しかし、これを月ではなく「日」に割り当てた分類があるのである。それが、「誕生日石」です。下記に、データベース化してみました。

1月~7月( 「画面上にカーソル合わせ>右クリック>画像だけを表示」で拡大 )

7月~12月( 「画面上にカーソル合わせ>右クリック>画像だけを表示」で拡大 )

私は、9月3日生まれなので、サファイアを大切に感じながら生きてきました。

しかし、誕生日石の分類によると、ダイヤモンド原石 をいうことで、何だか、身が引き締まる思いです。。誕生石は持っているけれど、何だかしっくりこないんだよねーという方、今度は、誕生日石を試したらいかがでしょうか?

きっと、面白い発見があると思いますよ!

( データベースをご要望の場合は、連絡下さい。)

【本日の写真】春の予感(梅のつぼみ)

もうすぐですね^^♪

まだまだ寒いですし、コロナも脅威ですが、健康に注意して頑張っていきましょう!

ハーブティーは良い

最近、ハーブティーを飲むことにしている。

ビタミンCの補給と、鎮静効果があるので、健康を維持する面で極めて効果的である、、、とある専門家から教わったからだ。

続けて1カ月ほど経過したが、効果を実感している。

私が試しているのは、主に二種類のハーブティーである。

一つは、「ローズヒップ」、もう一つは「ジャーマンカモミール」である。

前者は、ビタミンCを効果的に摂取できる。ビタミンCは、成熟したコラーゲンの生成を促す効果があるので、老化を遅らせる効果が期待できる。朝、昼、夜と、一日コップ三杯ほど飲んでいる。。

(参考)ビタミンCが足りないと老化が進む!?

https://www.tmghig.jp/research/topics/201606/

ジャーマンカモミールの方は、自律神経を落ち着かせる鎮静効果が期待できるので、夜就寝前に飲むことにしている。寝入りが良くなったと思っている。

実は、これ以外にも、たまーに「ショウガ茶」「高麗人参」を飲んだりしている。体が寒くて代謝が悪くなっているときや、ひどく疲労が蓄積しているときに飲んでいる。

こんなご時世に関わらず、健康の基本は、免疫力を高めることだと思います。その為の基本は、適切な栄養摂取、十分な睡眠、代謝促進行為 です。つまり、 食事、睡眠、運動 が大事です。 これらを、健康、肉体改造などの目的意識をもてば、自ずと行動が変わると思います。

私は、健康寿命を長くし、生涯働き、生涯創造的であり、生涯人類の発展に貢献したいので、、健康はとても重視しています。水、コーヒー、お茶、野菜、肉、果実など、、口にするものは全て一定の基準で選ぶようにしています。

酒、タバコ、スナック菓子、ジャンクフード、、、、これからは食べないようにしたいと思います。。

【本日の写真】相模川沿いで発掘した木の葉の化石

新年、相模川沿いをサイクリングしてきました。河原には、コロナ下ということもあり、散歩する人を除いて殆ど人はいませんでした。私も少し自転車を止めて散歩をしていると、なんと、木の葉の化石を見つけました!写真右側に木の葉の本体が、左側には木の葉の型が出来ています!!こうした出会いに、感謝したいと思います😄

本年もよろしくお願いします

2021年(令和3年)もよろしくお願いいたします。

年末年始は、家でのんびり過ごしました。

掃除をして、身体を鍛えて、よく寝て、粗食を心掛け、身体を温め、映画を楽しみ、読書にふけり、、新年をスタートするのに良い準備が出来ていると思います。

Amazon Prime と Amazon Unlimited は、本当に有益です。映画も読書も心行くまで楽しめるので、本屋さんに行く必要もなく、教養を高めることができます。おすすめです。

今年も、まだまだコロナの脅威は続くでしょう。社会のニーズ、事業形態も大きく変わる中で、しっかりと準備出来た組織が、今年は真価を発揮する年となるでしょう。

本年も、私はやりたいこと、達成したいことが沢山あります。このブログの運用形態も少し変えて行こうと思っていますが、引き続きよろしくお願いいたします。

一年の最後に

本年もありがとうございました。

今年は、コロナの影響が世界を席巻し、生活形態を大きく変えることが要求される年でした。

・会社や学校には、直に行ってやることをやらなければならない。

・飲み会、宴会、旅行は、絶対必要である。

これらは、在宅でもある程度できることが分かり、会食や旅行は、本当に必要なものだけをやる(=基本はやらない)になったと思います。

コロナの脅威は、来年も続くと私は思っています。ウィルスもある種の生命体なので、寄生しながら変化し、必死に生存しようとすると思うからです。引き続き、注意をしていきたいと思っています。

注意と言いましたが、自分自身への注意と、他の方を気遣う注意があります。自分自身としては、マスク着用、鼻呼吸、うがい・手洗い・健康的な食事・睡眠・体を温めることを徹底し、免疫を高めておきたいと思っています。室伏長官みたいに、背骨を動かし神経系を整えられるようになりたいと思ったりしています。。他の方へは、マスクを着用したり、次亜塩素酸をまいたり、湿度管理をしたりと、環境を整えて皆でウィルスに感染しにくくできたらと思っています。

最後に、今年、サイクリングなどによる小旅行で偶然出会い参拝させていただいた神社仏閣と、私が大切にしている労働者の心、管理者の心構えを述べ、本年の投稿を閉じたいと思います。

【本年参拝させていただいた神社仏閣】

・寒川神社 [御祭神:寒川比古命、寒川比女命]

・宮山神社[御祭神:大物主神、須佐之男神、健御雷之男神、大雀命、聖神、宇迦之御魂命、伊邪那岐命、伊邪那美命]

・有鹿神社[御祭神:有鹿比古命、有鹿比女命、天照大御神]

・早雲寺[北条家5代の菩提寺]

・氷川神社[御祭神:素盞嗚尊]

・中津神社[御祭神:大日命]

・菅原神社[御祭神:菅原道真]

・諏訪神社[御祭神:建御名方命、八坂斗女命]

・上野東照宮[御祭神:徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜]

・望地弁財天[御祭神:弁天]

・子安神社[御祭神:木花開耶姫命]

・高幡不動尊[不動明王]

・高麗神社[御祭神:高麗王若光、猿田彦命、武内宿祢命]

・塩川滝 [竜神、不動明王]

・そうせいの滝 [竜神、不動明王]

サイクリングや散歩の最中に気が付き、ふと参拝させていただきました。それぞれ、歴史と趣のある素晴らしい場所で、感動させられました。来年も伺うかもしれませんが、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

【大切にしている労働者の心、管理者の心構え】

◇ 場・志・和・徹

一. 何をするにも、場(背景、動機、要求事項)を知ることから始めること。

一. 場を知り、志を立てること。

一. 和をはかること。団結すること。

一. 徹底的にやり切ること。細かい短期決戦が望ましい。

◇ 管理者の心構え1

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり ( 武田信玄 )

◇ 管理者の心構え2

 「将たる者の器」( 作不明 )

一. 腹黒きものを見抜き、危機を未然に防ぎ、よく部下を統率する。これ十人の将なり。

一.早朝より夜更けまで軍務に精錬し、言葉使いも至って慎重である。これ百人の将なり。

一.曲がったことを嫌い、思慮に富み、勇敢にして戦う気力旺盛である。これ千人の将なり。

一.見るからに強く、傷兵、老兵を思いやる心をもつ。これ一万人の将なり。

一.有能な人材を登用し、自らは日々怠りなく修養に努め、寛容にして仁義に厚い。これ十万人の将なり。

一.人々を慈しみ、仁義を持って近隣諸国を心服させる。これ天下万民の将たる器なり。

確かな実力を養い、思いやる心を持って皆が目的に向かって団結できるようにするのが管理職の仕事です。教育的(?)説教は無駄です。それは担当の心と労働時間を潰す愚行です。また、管理者への怨嗟の念を募らせる効果(=パワハラ認定)しかありません。管理者は、常に明確な答えを持ち、部下の報告に疑問があったときは「確認する」にとどめ、あなたの経験に基づいて「やるか、やらないか。やらない場合、後、何が揃えばやると判断できるか?」を即断してください。

本年(2020年,令和2年)もありがとうございました。

来年、ますます良い年になりますように。

自伝 -中-

自分の人生を日々見つめなおしています。その中で、私という人間の成り立ちを分析する意味も込めて、「自伝」を書くことにしました。ある種の物語になっているので、時間のある方は読んでみてください。

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(自伝 – 上- 続き)

中学生になった。私は、制服に袖を通し、毎朝満員電車に乗って都会の学校まで通った。

学校は、個性を重んじ、髪型、メイクなどの規制はなく、女の子は制服っぽい服ならOKであった。

当時は、小型携帯電話であったり、MDからMP3の転換期であったり、デジカメの小型化がPENTAXのOptio S を境に加速したりと流行のツールが目まぐるしくかわったときである。個性馬鹿出しの学校では、自慢するツールがいつもあって、元来好奇心旺盛の私には、毎日が刺激的であった。

また、大金持ち、小金持ちの子供も結構いて、親が個人ゲレンデをもっていたり、松茸狩りができたり、別荘がいくつもある奴がいて、、彼らと肩を並べて過ごす日々は、良い悪いの両面で貴重であった。

学校の授業は、大学まであるエスカレータ校のため、完全に文科省の定めた内容と外れていた。数学は基本的に計算問題の演習、社会はほとんど日本史、英語は何やっていたのだろう…?、理科?、国語や芸術系はえっらい大変だった。明らかに、外部に人を出さないようにするという学校の考えが分かるカリキュラムであったが、感性豊かな人材を育てたいという一点は非常に建設的で良かったと思っている。ここが、先ほどの服装などの印象と相まって、自由な校風を世に与えていたと思う。。

こんな環境の中、私は、楽しく過ごした。勉強もそれなりに自主的に計画的にするようになり、成績も70-80%の出来を推移、元々それなりに得意だった、日本史や国語、芸術的センスがかってに磨かれていった。

また、自由な校風のため、恋愛や性への興味が高い校風でもあった。教師自身が毎年そんなスキャンダルを起こしていた感じであった。普通の同世代よりも確実に早い経験も、必然の環境であった。

それは、自我を目覚めさせるにはとても有効であるが、10年弱急進的であるがために、学校外の世代との意識差を感じさせられることとなった。それを理解したのは、まずは、家庭内であった。

この時期、私の両親からの罵詈雑言は完全になくなっていた。私が幼少期のときの、穏やかで優しい父と母になっていた。このギャップに、私はびっくりしたくらいである。私の成績や部活での頑張り、毎日の出来事に一喜一憂してくれた。私はそれが自分を認めてくれているようで、嬉しくて、もっともっと認めて欲しくて頑張った。しかし、私の兄たちは、依然、私を見下し、揶揄い、時に手を上げた。これが、自我が目覚めた者と衝突しないわけはなかった。

この時期の私の一日は、「学校→部活→勉強→遊び→風呂→就寝→学校」であった。遊びは、思春期の男子らしく、、漫画、ゲーム、Hな読書であった。当時の目標は、父と母に認められることと、女の子にチヤホヤされることであった。その為の努力を邪魔する者は、全力で抗う覚悟があった。そして、兄と衝突した。

ある日、私は勉強をしていた。その横の部屋で、兄が大音量でゲームをしていた。私が、勉強中だから静かにしてほしいとお願いすると、、、

「馬鹿学校のお前が、勉強したって何にもならん。馬鹿が馬鹿作っているだけだ。それより、いい学校に行っている俺がストレスを発散し学問に集中できるようにして、偉くなった方が、家のため、世のためだろ。」

とほざいた。当時の兄は、今見ても明らかに、ガキであった。思想がねじ曲がっていた。それを聞いた当時の私は、生まれて初めてキレた。5年分の想いが爆発した。兄の傲慢さと、論理の曖昧さを罵り、名門大学を出てもニートの例も上げ、怒鳴りつけた。また、一つの発言をしながら兄のゲーム機を完全に破壊。ゲームのソフトもすべて壊した。これが、現状私の人生で唯一の破壊行為であり、5年間の観察をへて、兄の行動を堕落させ、かつ私の尊厳を意図せず傷つけ続ける要因がここにあると強く感じたための行為であった。ここで破壊しなければ、元の生活に戻り、この喧嘩の意義がないと判断したための行為であった。これを間違ったとは今も思っていない。このときは、兄に殴られたので応戦し、生まれて初めて兄を殴った。その後、父の介入により、騒ぎは収まった。。私は先に手を出した兄に後頭部を強く殴られた際にアザが出来たが、兄は手の甲を骨折するケガをした。。一つ間違えれば、私は死んでいたであろう。自分の尊厳をかけた男の喧嘩とは、こういうものである。

間違ってはならないが、私は破壊行為や怒鳴り散らす行為を軽蔑している人間である。精神性が低く、利己的であり、反道徳的で下等な行いだからである。だが、5年間、弟であるという理由で服従を強制され、学業成績が劣っている、容姿が劣っているというだけで、日常的に言葉の暴力を浴びせられることに耐え続けることは、私にはできなかった。

その後、3年間、兄とは一言もしゃべらなかった。兄は、父に嘆願し、敷地内にあった祖父の家の一室でくらすようになった。子供の頃から、頭でも、容姿でも、運動でも褒められ、何不自由なく、挫折なく育った兄にとって、私の反抗は、初めての挫折であった。

恵まれた才を持って、早くからモテハヤサレタ者は、案外いくつになっても精神的に子供であり、脆く、すぐに逃げようとすることを、この時私は何となく感じた。

この事件は、兄と私、双方にとって重要な決断をさせる一つのきっかけであった。つまり、理系と文系というレベルでの選択である。兄は、知能の低さで蔑んでいた弟に怒鳴られ閉口するという口論での敗北を受け、その頂点に上り詰める決心をしたように思う。元々、文学部にいき大好きな歴史学者になると言っていた兄だが、その翌年の大学進学時には、法学部を選んでいた。一方、私は、親族全員が文系という中で、優秀な兄を敵に回した以上、自分が文系に進んだら生涯に渡って争い続けることを予見し、苦手だった理系に大方針転換を決意した。これは、幸せな学校生活との決別を意味していた。

高校に進学した。学校は、相変わらずエスカレータ校のカリキュラムで、全てが受験勉強の邪魔であった。文法や構文のとり方もない英語、計算だけの数学、暗記だけの物理と難解な期末、恐怖授業の化学、、音楽や家庭科も何故が筆記試験があった。恐怖授業といったが、私が小学生の時に家でされてきた罵詈雑言を教師でする奴がいたのである。私は、三年間この苦しみに耐えねばならず、これが化学へのトラウマとなってしまった。

苦しみに耐えながら、私は学校が終わった後に、代ゼミに通い、、色々ありながらも、防衛大や、一般的には難関大と言われている幾つかの私学の理工学部に合格した。このとき、兄が三年ぶりに私に話しかけた。

「おめでとう」

と。。。これが、兄弟喧嘩の終わりであった。私たちは少し大人になり、和解した。

この6年間で知ったことは、下記である。

◎ 幼いころからチヤホヤされて挫折を知らない者の精神年齢は、かなり低い。

幼いころからチヤホヤというのは、容姿、頭脳、運動神経などに優れ、誰かに蔑まれることもなく、大事に、優しく、褒められながら育ったということである。

こうした人間は、体は大人でも心は子供なので、成人しても、、、

・面白くないことがあると、暴力をしたり、物に当たったり、喚いたりする。

・失敗すると、現実逃避したり、殻に籠ったりしようとする。

・人の意見に左右され、自分で一から考え、決断することが苦手である。

・人を上辺で見下す傾向がある。

この後、大学時代以降の話をするが、私の周りで、そんな者を多く見てきた。学業でも、仕事でも、恋愛でも、友達付き合いでも、そうである。

そして、実は、多くの人間は、「普通」以上と勝手に思い込んでいるので、目に見えた挫折はなく、いくつになっても精神は子供であり、その子供が仕事をしたり、恋愛してみたり、結婚してみたり、人の親になっているのである。

(自伝-中- 完)

自伝 -下- に続く

【本日の動画】成熟した泉

真水は、生命を育むことはできません。鉱石や養分が適度に含まれた状態が、水が自然界で最も安定するのです。このときの水は、多くの生命を育みます。この泉には、魚やサワガニがいました。一方で、生物は、真水を飲むと栄養を奪い去されてしまいます。成熟していない水は、生物を破壊するのです。同じように、心が成熟していない者は、人を心から愛すことはできず、まして人を健全に養うことなどできないのです。私の親のように。。