技術の進歩の先にある、苦しみの無い世界

科学技術は日々進歩する

19世紀に急速に進歩した電気磁気学により、電気回路、電子回路、通信手段、電磁モーターが次々に発明された。

20世紀は、そうした技術の高効率・高集積化により、コンパクトな電子情報機器が身近なものとなった。そして、目に見えないが、コンピューター同士が理解し合えるクラウドという信号集合に、情報を保存し、処理し、高速でやり取りする時代に突入した。この技術においては、米中の国家的な開発戦争、もとい、「FAANG+M」 vs 「BATH」の産学官巻き込んた競争は熾烈であり、、他国他企業が中途半端な「資本、頭脳、情報数(国力)、覚悟」で参入しても勝てるはずがない。参入が遅すぎる。

こうした状況下、今後の世界は、「高速通信、AI判断、クラウドコンピューティング」を基幹産業とした社会になっていくはずである。これにより、物事の自動化・自律化が加速する。

電気情報機器は、「筐体設計、入出力装置設計、センサー、無線、給電装置」だけで成立することになる。なぜなら、演算装置や情報の保存は、全てクラウドで行うからである。

このような世界になったとき、持ち運ぶ装置は、コンパクトで、できることが多様になってくる。そうすると、その膨大な情報コンテンツという麻薬的な魅力に人々はどっぷり浸かり、今以上に片時も離れなくなる。歩くときも、走るときも、寝床の中でも、仕事の時も、用を足すときも、食事の時も、誰かと共に過ごしていても、である。そして、人々は極めて利己的になり、視野が狭くなり、知能が退化し、その結果、、思いやる心が無くなってしまう。歩きスマホをしている者同士がぶつかったとき、どちらも相手のせいにする。しかし、次にそうならないように改善しようともしない。そんな社会になるのである。

こうした近未来の世を憂うとき、私は、どうすれば本当の平和 が来るのか考えることがある。

この先、科学技術がさらに進み、「人の脳、感覚、魂、エネルギー」の情報化が出来た暁には、、人の肉体は全て地上から消え去り、全人類はクラウド内の仮想世界で、生まれ、育ち、学び、生きることになるのではないかと思うのである。その世界では、互いに、思うだけで意思疎通が成立する。思わなければ、何も聞こえない。また、互いに、意識したときだけ、肌のぬくもりのある接触ができ、そうじゃないときはすり抜ける。容姿も、衣食住も、全て各自の思うままの在り方が無限の世界に瞬時に登場する。こんな世界になるのではないかと思うのである。その世界では、物質的な影響の観点から皆が気持ちよく過ごせるように築いてきた規範・道徳・常識というものはない。意味がないからである。

こんな世界が作られたとき、つまり、皆が究極的に利己的であってよい世界が作られたときに、真の平和が来ると思うのである。仮に、その世界で、ある人Aが別のある人Bを殺害したとする。AにとってはBは世界から消えている。しかし、BにとってはAが生きている世界が続くのである。

では、そんな世界が作られたとき、そこに生きる者たちの生きる目的とは何なのか??それは、例えば、、物質世界に生きる者たち( つまり、今の我々 )に知恵を与えるために、自分たちが物質化する技術を編み出すことなのかもしれない。そう考えると、我々が今、この肉体を持って生きていること、規範を遂行しながら生きていること、それは肉体を持つ者のみが意識できる尊い行動ではなかろうか。。いや、ひょっとしたら、我々はそうした世界から来た意識体なのかもしれない。。だとすればなおさらこの世は大事で、尊いと思うのである。

記憶って、対象の雰囲気を掴むことだと気がついた話

〈前置き〉

 映像記憶というのがある。これができる人は、目で見た風景がそのまま頭の中に残っていて、頭の中でそれをまじまじと観察することができるようだ。だから、試験でもめっぽう強い。だって、教科書や辞書がそのまま頭に映像として入っていて、それを後で見返せるのだから。

 これ、ひょっとして自分にも備わっているのでは?と思って、、風景を一瞬だけ見て、目を閉じてみる。。すると、光が遮断されるのだから、当然真っ暗闇である。ただし、それでも微妙に目蓋から侵入してくる光のせいなのか、それとも眼と言う脳の一部の電気信号のためなのか不明だが、モヤモヤした像の動きを感じることは出来る。しかし、目で見ていたような景色が、脳内で視覚的に再現されることはない。よって、映像記憶は備わっていないと分かる。こういった記憶ができる人って、何かコツがあるのだろうか??

 〈主題〉

 今日は、映像記憶の仕組みを自分なりに漠然と考えてみようと思う。

 まず、我々は目によって風景を知ることができる。風景を見ながら、それを観察し、楽しむことができる。我々は、目で見た風景を、物体に反射した光が、目の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。

 ここで別の知覚を考える。例えば、ラベンダーの香り。鼻でかいだ香りは、鼻腔内の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。例えば、ストロベリーキャンディーの味。口に含み、舌で舐めたその味は、舌の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。以降、ラベンダーの花や、ストロベリーキャンディーがなくとも、その良い香りや味の感覚や、そのときの素敵な感情、雰囲気を思い出すことができる。

 話を視覚に戻す。視覚的に入手した情報は、目を閉じるとほぼ思い出せない。まして、何ページの何処に何が書いてあったとか、部屋の何処そこに座っているクマ人形の目にまつげが何本生えていたとか、覚えていない。だが、先の嗅覚や味覚で捉えたモノの思い出し方が円滑であったことを、思い出して欲しい。匂いや味は、それを刺激で直接とらえた組織からの電気信号、つまり感覚や、その時の雰囲気、印象、気持ちから、思い出すことができたのである。このことから、五感を通して得た情報は、その五感に意識を向けて想起するのではなく、五感を通して情報を得たときの感覚・感情に意識を向けるべきなのではないか?というのが、今日の私の気付きである。何度も話をまとめて恐縮だが、視覚的に得た情報(=映像記憶)は、想起の際に目で見た風景の再現に意識を向けるのではなく、その風景を見ているときに、注視しているものに、どんな感覚を受け、どんな感情を抱いたか(=雰囲気)に意識を向けると思い出しやすいものと思う。

 ここで私が言ってもどうしようもないが、試しにある町の風景を、雰囲気を楽しむ感じで10秒だけ見て目を閉じてみた。そして、その雰囲気を言葉で表現しようとしたところ、15個の建物とその位置を思い出すことができた。風景を見るときは、全体の雰囲気を把握しながら、覚えたい個々の物をやはり雰囲気を掴みながら眺める。雰囲気と言っているのは、対象を眺めた時の感覚( 主に、色合いや凹凸感 )や感情のことであり、論理的に「あれはここにある」とか、「何番の」とかのことではない。人の記憶は、7±2個が一度に覚えられる限界と言われているから、私の15個というのは、明らかにこれを上回っている。今後、もっと試していきたいと思う。

【本日の動画】川のせせらぎ音

川の音は、ほんとに癒されます。滝の音は、頭を覚醒させてくれますが、川は癒しと言うか浄化と言う感じです。昨今、色んな出来事や社会情勢からか、皆心が疲れているように感じます。川の音を聴いて、癒されて欲しいなと思います。

学ぶときの大事な意識

今日は、何かを学ぶときの大事な意識について呟きます。

〈前置き〉

我々人間は、快適に生きていくために、常に様々なことを学ばねばなりません。

例えば、社会と隔離された空間で自然を相手に一人で暮らしている人は、何もしないと、住む家も、食べる物もないので生きていけません。そこで、人類の英知を書籍やネットコンテンツから学んだり、自然の仕組みを観察し、その法則性を知り、衣食住に上手く活用する方法を模索したりすることが欠かせません。学びが重要です。

また、社会と隔離されていない場で暮らしている人は、その人がどんなに嫌だと言っても、多くの人と関わりながら生きていかねばなりません。その為には、他人が作った仕組みを素早く理解して生活に取り入れたり、自分で仕組みを作って社会運用させたりすることが必要です。そうしないと様々な損をし、空回りしながら生きていくことになります。常に、学び、上手に生きていく方法を模索し、行動していくことが大事なのです。

さて、そんな人の大事な営みである「学ぶということ」ですが、、いざ学ぼうとすると、その膨大な量に圧倒され、あきらめてしまう人が多いです。

〈本題〉

本日は、そんな膨大な量を前に、遅れをとらなくなる意識を、共有したいと思います。

・事前準備1:学びを始めるときは、雑念を消すこと。

・事前準備2:雑念を消すため、左脳側( 右手側 )の頭が、その内部まで硬化した想像をすること。

・事前準備3:腹式呼吸、または逆腹式呼吸を1分ほど行い、神経を落ち着かせること。

膨大な学習量に驚かなくなる意識

1. 学習目的を明確にすること。

2. 実践での使用を常に想定すること。

3.何でもよいから、まず実践で活かせるものを一つ作ろうとすること。

4.学習対象を階層図などで体系的に整理しようとすること。

〈説明〉

まず、事前準備です。ここでは、学びの妨げになる雑念を消すことが目的です。私たちは、脳や内臓の状態で反射的に時々刻々と様々な物を想起し続けています。それを明確に捉えることは「意識する」ことと同意であると私は考えています。このとき、特に活用するつもりでもないのに捉えたものが「雑念・邪念」です。じゃあ、なぜ邪念は生じるのか?それは、脳と内臓の状態が必要以上に活発だからです。特に、意識的な情報を扱うといわれている左脳の働きが活発過ぎると、邪念が働きやすいと思います。また、内臓も、満腹状態のときは消化・吸収・浄化活動が活発なので、その反射信号が脳を刺激するので、邪念の発生を促してしまうはずです。ですから、空腹状態の方が学習には適しているでしょう。

さて、ここまでの話から、雑念を消すには、左脳と内臓を落ち着かせることが大事だという主張が伝わったと思います。では次に、その為にどうするか?を述べます。それは、想像をすることです。人には想像力があります。目で見ているような風景は見えずとも、心の中に、「あれをこうして、あそこをああして、、、」などと考えることができます。これが、想像です。また、例えば、手に物を持っていなくとも、手に何か持っていることを想像していると手がムズムズしてきます。これが、意識をその場所に集中したということです。つまり、想像は、少なくとも想像した自分の身体の部位に、少なからず影響を与えることができるということです。この仕組みを使って、左脳がその内部まで硬化したイメージをするのです。石でも、氷でも、コンクリでもいいので、カチカチに硬化したイメージをします。上手くできていると、左脳の方、つまり右手側の頭の力が抜けてくる感覚があります。

次に、腹式呼吸か、逆腹式呼吸をします。これは、呼吸という意識的動作で自律神経を落ち着かせることで、脳と内臓を間接的に落ち着かせる作業です。例えば、6秒~10秒吸って、6秒~10秒吐く動作を行い、苦しくなくなったら自律神経が落ち着いたと考えて良いでしょう。

以上、長くなりましたが、事前準備の完了です。

さて、ここからが大事な学習姿勢の話です。

まず、学習意義を明確にしましょう。もてたいからとか、自慢したいからとかは、かけ離れすぎです。学んで、自分や社会にどのように役立てたいか?を明確にしてください。こうすると、学ぶ覚悟が固まります。学習途中で何か言ってくる輩に対しても、自信をもって発言できます。学習に対してブレない個ができます。それが目的です。

次に、常に、実践でどう使うか?を意識してください。

学校の試験や受験勉強ならば、どのように問題で問われるのか?を把握することが大事です。よって、過去問とその回答を理解してください。

これが、資格試験ならば、やることが二つあります。一つは、その資格が合格者に求める人物像が必ずあります。それを把握してください。そこでは、学習した知識を、社会で、どのように運用できる人材を選抜するかが記載されています。これが理解できると、資格問題に挑む姿勢が楽になります。というのも、資格の問題は「実社会での運用力を推し量れるように作られる」ので、運用の仕方にパターンがあります。よって、現場を想定した問題がでたときに、この運用の仕方のパターンで設問を見ると、現場用語などに惑わされたりせず回答方針が立ったりします。その為に、どのような人材を求めているのかを明確にするのです。試験要項を確認しましょう。ここで、求める人材の中に、知識を持った人とか、計算ができる人とか、その程度の試験は、、単に、暗記力や計算力を推し量る試験なので、暗記や計算を徹底してください。資格試験でもう一つやることは、受験と同じく、過去問の理解です。

また、金融や政治経済、ITなどの今の仕事や生活に直結する物事を学習する場合は、活かすことを想定して、問題意識を持ちながら資料に目を通してください。活かすことを想像できない人は、まず、自分は何を知りたいのか?やりたいのか?を明確にして資料に何度か目を通してください。

ここまでが、基本です。

ここからは実践ですが、、まず膨大な量の学習を前に、、立ち眩みがするのは、、その量の多さに問題があります。ここで、一部の天才や秀才のように、全部を短時間で覚えようとすると、実践力が伴いません。中途半端な知識や知恵は、実践の場では使い物になりません。そこで、まず一つで良いので、得意なものを作って下さい。例えば、英語の文法なら、関係代名詞の問題は任せろ!とか、日本史なら中世は任せろ!知的財産権なら、特許法は任せろ!剣術なら八相の構えからの右袈裟は任せろ!という具合です。この分野が広ぎるならば、さらにそれを直ぐに得意になれる範囲まで分解し、得意にするのです。試験問題は、学んだ箇所が出題されるかどうかは確率的な話なので7割程度習熟しないと現実的な対策はできません。しかし、得意な物が一つあるというのは、大きな救いになります。武術などでは、その一つの得意技の洗練によって頂点を取ることもままあります。

最後に、学習対象を階層図で体系的に整理してください。こうすると、学習の全体像が一つの図に集約されます。これは、自分が恐れていた対象が一つの図という小さな敵になったということで、一気に安心感が増します。また、自分の得意箇所の位置が分かるので、学習のモチベーションが増します。

学習対象を体系的に整理したイメージ図

体系的に整理するときに、もし、過去問などに出題分布などが書かれていたら、分かる範囲で、各分野の全問題に対する出題割合を算出して、体系図に書き込んでみてください。二分野で構成される問題は、問題を二分割して数えて下さい。まず、頻出分野から制圧して、実践での遭遇確率を上げたい人は、こうすることをお勧めします。

体系的に整理することの真の目的は、実践に挑むための基本姿勢の構築です。学習が進まない内は、体系図における末端の一部でしか戦えません。また、学習が3~5割ほどしか進んでいないと問題毎に分野が違うことがあるので、問題へ挑む姿勢を変えざるを得ません。これを「引き出し」に例える人もいるでしょう。しかし、これではまだ未熟です。真にその科目を究めた者は、各分野が全て得意なので、問題に挑む姿勢は、一つです。こういう状態で試験に臨むと、いかなる複合問題が来てもブレずに対応できるようになります。階層図で整理すると、出だしは必ず学習対象名の一つです。この一つの構えで試験などの実践の場に望む体制を整えることが、学びの最終的な到達点だと私は思っています。それで、必要とする目的が達成できるからです。

以上、長々と述べてきましたが、学習意欲のある者の助けになればと思うばかりです。

【本日の動画】やつぼの水の音

ここは、相模原市のこの地区に水道が引かれる以前、人々に潤沢な水を提供してくれたオアシスです。河岸段丘の崖から染み出した地下水が崖を伝って川に流れ込む前に、一段溜池を作って、生活用水として利用できるようにした場所です。昔から、神様のように崇められて大事にされてきました。令和の時代になっても、清らかで潤沢な量の水の流れる姿を見せてくれています。映像と音に触れていると、頭が冴えてきます。いわゆる、パワースポットなのかもしれません。

学校教育は大事という話

これは、私の会社に多くいる可哀想な人々のお話です。

ある日、開発現場で担当技師の一人が、試験検証の結果データをまとめ、結果の信頼率を元に設計方針に関する提言を開発メンバーにしました。

担当技師:

「 Xという状況下で、懸念される事象が起こるかを検討しました。その結果を報告いたします。

  まず、懸念される事象は、簡単な数理モデルによると、想定範囲内では起こらないといえます。

  次に、この予測を試作品により実施検証を行いました。試験回数は、条件毎に10回です。

  結果、Y量については、平均値A±2×不変標準偏差σs でした。

  Y量が、閾値Zよりバラつきを含めて小さければ、X下で問題は起こらないと言えます。

  今回の結果から、信頼率95%でY量はZより低いので、懸念事象はまず起こらないと言えます。

  よって、懸念事象に対する現状の設計方針は、現状のままで問題ないと考えます。」

上司:

「 多分とか、ダロウとか、予測じゃダメだよ。100%問題ないことを示せよ。」

担当技師:

「 信頼率95%で懸念事象は起こりません。

  何σsをとっても、信頼率を100%にすることは出来ませんが、どうすればよいのでしょうか? 」

上司:

「 試作と実験による現物確認をするしかない。やれ! 」

担当技師:

「 今回の報告内容は、仮説と、試作、及び現物評価によって導いた結論です。信頼率を高めた見積もりを出したり、試験回数を増やしてバラつきを小さくしたりして、予測精度を高めることはできますが、100%は不可能です。新たな実験を繰り返しても、そこから100%といえる判断を下すことは不可能です。手段や合格基準を、ご教授いただけませんか?」

上司:

「 そんなことは分かっている。それを考えるのが、君の仕事だ。教えちゃ君の為にならない。」

担当技師:

「 ?????

  申し訳ありません。私には、分かりかねます。会議後で、個別にご指導いただけませんか? 」

上司:

「 しょうがねーな。分かった。まず、詳しく教えてね。」 (完)

これは、それなりの大手と呼ばれる会社の設計部での話である。私の部署の同僚の報告に関するものである。この上司は、数多くの問題があるのがお分かりいただけるであろうか??

まず、この上司は、下記の中高生でも知っていることを理解していない

①. 世の中に、100%と断言できることは、思考している自分の存在以外、ない。( デカルト )

②. 思考している自分の存在を除くあらゆる事象は、予測でしか表現できない。

次に、下記の大学生なら常識なことも分かっていない

③. 予測は、基本的に「確率、統計、微積、経験則」で行なわれる。

④. 実験結果の再現性は、統計的に表現することが現状最も曖昧さがない。

以上が、科学技術的判断に必要な最低限の視点である。よって、まずこの上司がするべきなのは、部下の報告が不安ならば、「予測方法の精査」を議題とし、数理モデル、実験方法、その判断の仕方、について確認と訂正を行うべきなのである。特に、統計的な判断がなされている場合は、自分が、信頼率がどのくらいならGoサインを出せるかを明確にしなければならない。それでも不安ならば、その不安点とその不安の根源たる過去の経験を示し、新たな分析をする指示を出すべきである。

さらに、この上司の欠点は続く。

まず、自分が満足できる結果と、それを得る手段や状況を回答できない。これは、無能そのものである。

次に、自分の不勉強を棚に上げ、回答できないことを隠し、答えることは為にならないなどと言う

特に最後の、「答えることは為にならない」などは、全く持って非建設的な発言である。なぜなら、他のメンバーの発言機会を止めることになり、議論が出来なくなるからである。

この上司のような人間は、技術系管理職としての能力があまりにもかけている。頭が悪い。

また、管理職としての導く力もない。なぜなら、「自分ならこうして、こう判断するから、こういう手段で、こういう結果を持ってきてほしい。」と言えないからである。全て人の意見に乗っかり、食い散らかすだけである。

後日、この同僚は、さらに上の部長に報告し、その方には内容が円滑に伝わり、その方の働きかけで「時間もないから部長の一任ですすめるよ」という体で、先の上司たちの面目を潰さないようにして話が進んだ。

学校教育は大事です。この上司は、国内では有名な私大卒だが、基本的な技能が欠如していると思われる。もう一度言います。学校教育は大事です。

エネルギー保存が破れて見える現象

エネルギー保存則は、とても重要な法則である。

エンジニアとして開発をしているとき、強度や挙動の考察のために、エネルギー保存の視点を持ち出すことは基本中の基本である。もう少し具体的に述べると、力学的エネルギー、電気エネルギー、熱エネルギー、光エネルギー、音エネルギー、流体エネルギーetc といった各種エネルギーの対象システムへの入出力を考え、現象を考察するのである。

この保存則は、簡単に言うと、「ある一つの系において、エネルギーの総量は不変」というものである(下図)。

図1. エネルギー保存則の概念図

また、熱力学第二法則により、出力エネルギーの全てを回収することは不可能であることが証明されているので、現状、「入力エネルギー>回収可能な出力エネルギー」が常に成立するので、永久機関やフリーエネルギーが出来ないことになっている。

しかし、研究や開発の場に身を置く者は、一見すると「入力エネルギー≦ 出力エネルギー」な現象を少なからず体験しているはずである。雪崩現象、化学反応系、共振系などである。そのため、発明家の中には、すぐフリーエネルギー発見とか、永久機関の作製に成功とか言う人がいるのである。とはいっても、彼らの考えの中には、特定条件下で現実的にフリーエネルギーや永久機関と捉えても良いと思えるものもある。そこで、本日は、そうした入出力のエネルギー関係が反転してみえるシステムの在り方について、述べたいと思う。

1.エネルギー保存則が破れて見える現象の特徴

先に結論から言う。エネルギー保存則は、「場」と「入出力エネルギー」の捉え方を誤っていると、容易に破れて見える。これが、保存則が破れて見える典型的な特徴である。現実世界の場は、重力場、電磁場、流れ場、化学系などが混在しており、「複合系」であって孤立系であることの方が稀である。よって、一つの場のシステムへの影響だけで入出力を考えているとき、別の想定外の場の影響があると、途端にエネルギー保存が破れてみえてしまう。それは、一つの場で説明のつかない、エネルギーの増幅が観測されるからである。しかし、場に対応するように、正しくエネルギーの流れを考えれば、エネルギー保存が成立している。

例えば、複合系としてAという場と、Bという場が混在した状況を考える。

このとき、A場の影響に従う入出力システム( System-A-)と同B場に従う入出力システム(System-B-)を考える。次に、システムAの出力が、入力に対して形態が変わり、それがB場の影響に従うようにしたとする。そして、場の中に、システムAの出力と選択的に合わさる( 結合、反応、合体 )ことができる要素をばらまいておく。こうすることで出てきたシステムBの出力は、当然、出力Aよりも大きい。図にすると、下図2のようになる。

図2. 複合系でのエネルギーの関係例( 赤と青矢印は「場の影響力」をさし,黒矢印は「エネルギーの流れ」をさす. B場入力エネルギー1は、B場の影響があるときのみ、流れる。 )

A場のみに従うと考えていると、

 Pin_A > Pout_A

であるが、B場にも従う( or 従える )ようにして、エネルギーの大小を考えると

 Pin_A > Pout_AB ≧ Pout_A , 又は Pout_AB ≧ Pin_A > Pout_A

が考えられる。前者は、エネルギー保存の考え方に従う。それでも、A場のみのシステムと比べたら効率が大きく上がっているであろう。B場の空間にばらまかれている要素からのエネルギーの流入があるからである。ただし、システムAでの変換や、システムB内での合体の損失が多きすぎて、入力を越えられなかったということである。

一方、後者は、先の損失があったとしても、B場でのエネルギーの流入が多いために、入力を上回る出力が得られたことをさしている。

この仕組みの該当例は、先ほど申し上げた、雪崩現象や化学反応系である。高く積まれた石垣の石を一つ引き抜くと、石垣のバランスが崩れ、全体が一気に崩れ敵に大ダメージを与えるというのは、雪崩現象の一例である。ダムを決壊させるというのもそうである。

また、電子回路で登場する増幅回路は、「大電流が流れる準備はしておいてトランジスターで遮断しておき、そこに小電流や小電圧を入力してトランジスターの遮断を切ってあげると、雪崩をうったように大電流が出力される」と言う仕組みである。

これらは皆同じ雪崩現象であるが、なぜエネルギー保存が破れたように見えないかと言うと、入出力のエネルギー形態が同じなので、場とエネルギーの入出力を頭で捉えやすいからである。これが、複合系であったり、入出力が別のエネルギー形態であったりする場合、途端に、破れたように見えだす。

また、化学反応系は、特に、連鎖反応と呼ばれる反応モデルは、入力分子が溶液内のある分子と結合しそれを変形させると、周囲の分子が加速的にその変形体に引き寄せられて反応し、巨大な分子が形成されるというものである。この反応において、変形体が形成され周囲の一分子と反応できるようにするまでをエネルギー保存則で考えるとエネルギーが安定状態に落ち込むので出力は低下する。しかし、実際の出力は、連鎖反応により場を形成する分子を取り込み形成された巨大分子なのである。これは、とても入力分子一つのもつ些少なエネルギー体ではない。「場と、場を形成する要素を利用して、巨大なエネルギーを得る術」を理解することの重要性を、化学反応系はよく教えてくれる。

2.共振系について

改めて言う話でもないが、共振系もまた、エネルギー保存が破れて見える現象である。「重ね合わせ」とその回数により、初めは小さかったエネルギーが巨大になる。エネルギーは波であるので、周波数の近い波形を重ね合わせれば増幅させられるはずである。共振によるタコマ橋の崩壊は有名な話である。この事故のように、共振は、破壊現象に大きく関わるほど大きなエネルギーを生み出すが、反面扱いが難しい。今後も、この共振系いかにうまく使いこなすかが、人類の飛躍の鍵を握っていると私は思っている。あらゆる物体が波であり、エネルギー体であるので、それらを豊かにするには、波とその重ね合わせの技術を洗練させることが一番自然なことであると思えるからである。

さいごに

以上、エネルギー保存が破れて見える現象の特徴について述べてみた。過去、ニコラ・テスラや、飯島秀行氏、井出治氏、前田豊氏らが、フリーエネルギーに関する書籍や論文を発表している。それらが、本日述べた、「場」と「入出力エネルギー」の適切に修正された捉え方で、エネルギー保存を破ったと示されているのかは不明である。また、共振現象を扱えるようにして、同保存則を破ったと主張しているのかも不明である。興味のある方は、調べてみて欲しい。仮に、それらがエネルギー保存則に系属する仕組みであり、着目している場以外の場の影響が加わったことが明らかになったとしても、それはそれで、人類の科学技術に貢献しているのだから素晴らしいことだと思う。むしろ、そうした議論が広く共有され、着目場以外の要素の関わりを、技術者が理解し、有効に活かそうとすることで、ほぼ永久機関とみなしてよい仕組み作りが活性化されるのではないかと思う。例えば、図2にB場として、川の流れの影響を設定したとする。すると、川の流れは100年程度では基本的に枯渇しないから、半永久的に供給され続けるエネルギーとみなせる。とすれば、それ以外の形態の入力を「川の流れとセット」で使う限りは、流れを使わないときに比べて大きな出力を半永久的に得られることになる。このように考えることが、化石燃料や核燃料に依存しない、各国固有の自然エネルギー創出のヒントになると思うのである。

【本日の動画】相模川のせせらぎ

川の流れは、非常に多様で複雑です。地形、石の種類や形状・大きさ、水温、地温、気温、周囲の植生などで水の流れ方が全く変わります。これらの多様な流れを、「水槽の水を斜面に注ぐイメージ」のみで議論しようとしても、説明はつきません。エネルギーの扱い方も同じだと思います。孤立系で定義されるエネルギー保存則の範疇でシステムを考察している内は、自然界でみられる80%以上のエネルギー変換効率を手にすることは出来ないでしょう。手にするには、自然を観察し、複合的な要素の関係性について議論を深める必要があると思うのです。では。。