エネルギー保存が破れて見える現象

エネルギー保存則は、とても重要な法則である。

エンジニアとして開発をしているとき、強度や挙動の考察のために、エネルギー保存の視点を持ち出すことは基本中の基本である。もう少し具体的に述べると、力学的エネルギー、電気エネルギー、熱エネルギー、光エネルギー、音エネルギー、流体エネルギーetc といった各種エネルギーの対象システムへの入出力を考え、現象を考察するのである。

この保存則は、簡単に言うと、「ある一つの系において、エネルギーの総量は不変」というものである(下図)。

図1. エネルギー保存則の概念図

また、熱力学第二法則により、出力エネルギーの全てを回収することは不可能であることが証明されているので、現状、「入力エネルギー>回収可能な出力エネルギー」が常に成立するので、永久機関やフリーエネルギーが出来ないことになっている。

しかし、研究や開発の場に身を置く者は、一見すると「入力エネルギー≦ 出力エネルギー」な現象を少なからず体験しているはずである。雪崩現象、化学反応系、共振系などである。そのため、発明家の中には、すぐフリーエネルギー発見とか、永久機関の作製に成功とか言う人がいるのである。とはいっても、彼らの考えの中には、特定条件下で現実的にフリーエネルギーや永久機関と捉えても良いと思えるものもある。そこで、本日は、そうした入出力のエネルギー関係が反転してみえるシステムの在り方について、述べたいと思う。

1.エネルギー保存則が破れて見える現象の特徴

先に結論から言う。エネルギー保存則は、「場」と「入出力エネルギー」の捉え方を誤っていると、容易に破れて見える。これが、保存則が破れて見える典型的な特徴である。現実世界の場は、重力場、電磁場、流れ場、化学系などが混在しており、「複合系」であって孤立系であることの方が稀である。よって、一つの場のシステムへの影響だけで入出力を考えているとき、別の想定外の場の影響があると、途端にエネルギー保存が破れてみえてしまう。それは、一つの場で説明のつかない、エネルギーの増幅が観測されるからである。しかし、場に対応するように、正しくエネルギーの流れを考えれば、エネルギー保存が成立している。

例えば、複合系としてAという場と、Bという場が混在した状況を考える。

このとき、A場の影響に従う入出力システム( System-A-)と同B場に従う入出力システム(System-B-)を考える。次に、システムAの出力が、入力に対して形態が変わり、それがB場の影響に従うようにしたとする。そして、場の中に、システムAの出力と選択的に合わさる( 結合、反応、合体 )ことができる要素をばらまいておく。こうすることで出てきたシステムBの出力は、当然、出力Aよりも大きい。図にすると、下図2のようになる。

図2. 複合系でのエネルギーの関係例( 赤と青矢印は「場の影響力」をさし,黒矢印は「エネルギーの流れ」をさす. B場入力エネルギー1は、B場の影響があるときのみ、流れる。 )

A場のみに従うと考えていると、

 Pin_A > Pout_A

であるが、B場にも従う( or 従える )ようにして、エネルギーの大小を考えると

 Pin_A > Pout_AB ≧ Pout_A , 又は Pout_AB ≧ Pin_A > Pout_A

が考えられる。前者は、エネルギー保存の考え方に従う。それでも、A場のみのシステムと比べたら効率が大きく上がっているであろう。B場の空間にばらまかれている要素からのエネルギーの流入があるからである。ただし、システムAでの変換や、システムB内での合体の損失が多きすぎて、入力を越えられなかったということである。

一方、後者は、先の損失があったとしても、B場でのエネルギーの流入が多いために、入力を上回る出力が得られたことをさしている。

この仕組みの該当例は、先ほど申し上げた、雪崩現象や化学反応系である。高く積まれた石垣の石を一つ引き抜くと、石垣のバランスが崩れ、全体が一気に崩れ敵に大ダメージを与えるというのは、雪崩現象の一例である。ダムを決壊させるというのもそうである。

また、電子回路で登場する増幅回路は、「大電流が流れる準備はしておいてトランジスターで遮断しておき、そこに小電流や小電圧を入力してトランジスターの遮断を切ってあげると、雪崩をうったように大電流が出力される」と言う仕組みである。

これらは皆同じ雪崩現象であるが、なぜエネルギー保存が破れたように見えないかと言うと、入出力のエネルギー形態が同じなので、場とエネルギーの入出力を頭で捉えやすいからである。これが、複合系であったり、入出力が別のエネルギー形態であったりする場合、途端に、破れたように見えだす。

また、化学反応系は、特に、連鎖反応と呼ばれる反応モデルは、入力分子が溶液内のある分子と結合しそれを変形させると、周囲の分子が加速的にその変形体に引き寄せられて反応し、巨大な分子が形成されるというものである。この反応において、変形体が形成され周囲の一分子と反応できるようにするまでをエネルギー保存則で考えるとエネルギーが安定状態に落ち込むので出力は低下する。しかし、実際の出力は、連鎖反応により場を形成する分子を取り込み形成された巨大分子なのである。これは、とても入力分子一つのもつ些少なエネルギー体ではない。「場と、場を形成する要素を利用して、巨大なエネルギーを得る術」を理解することの重要性を、化学反応系はよく教えてくれる。

2.共振系について

改めて言う話でもないが、共振系もまた、エネルギー保存が破れて見える現象である。「重ね合わせ」とその回数により、初めは小さかったエネルギーが巨大になる。エネルギーは波であるので、周波数の近い波形を重ね合わせれば増幅させられるはずである。共振によるタコマ橋の崩壊は有名な話である。この事故のように、共振は、破壊現象に大きく関わるほど大きなエネルギーを生み出すが、反面扱いが難しい。今後も、この共振系いかにうまく使いこなすかが、人類の飛躍の鍵を握っていると私は思っている。あらゆる物体が波であり、エネルギー体であるので、それらを豊かにするには、波とその重ね合わせの技術を洗練させることが一番自然なことであると思えるからである。

さいごに

以上、エネルギー保存が破れて見える現象の特徴について述べてみた。過去、ニコラ・テスラや、飯島秀行氏、井出治氏、前田豊氏らが、フリーエネルギーに関する書籍や論文を発表している。それらが、本日述べた、「場」と「入出力エネルギー」の適切に修正された捉え方で、エネルギー保存を破ったと示されているのかは不明である。また、共振現象を扱えるようにして、同保存則を破ったと主張しているのかも不明である。興味のある方は、調べてみて欲しい。仮に、それらがエネルギー保存則に系属する仕組みであり、着目している場以外の場の影響が加わったことが明らかになったとしても、それはそれで、人類の科学技術に貢献しているのだから素晴らしいことだと思う。むしろ、そうした議論が広く共有され、着目場以外の要素の関わりを、技術者が理解し、有効に活かそうとすることで、ほぼ永久機関とみなしてよい仕組み作りが活性化されるのではないかと思う。例えば、図2にB場として、川の流れの影響を設定したとする。すると、川の流れは100年程度では基本的に枯渇しないから、半永久的に供給され続けるエネルギーとみなせる。とすれば、それ以外の形態の入力を「川の流れとセット」で使う限りは、流れを使わないときに比べて大きな出力を半永久的に得られることになる。このように考えることが、化石燃料や核燃料に依存しない、各国固有の自然エネルギー創出のヒントになると思うのである。

【本日の動画】相模川のせせらぎ

川の流れは、非常に多様で複雑です。地形、石の種類や形状・大きさ、水温、地温、気温、周囲の植生などで水の流れ方が全く変わります。これらの多様な流れを、「水槽の水を斜面に注ぐイメージ」のみで議論しようとしても、説明はつきません。エネルギーの扱い方も同じだと思います。孤立系で定義されるエネルギー保存則の範疇でシステムを考察している内は、自然界でみられる80%以上のエネルギー変換効率を手にすることは出来ないでしょう。手にするには、自然を観察し、複合的な要素の関係性について議論を深める必要があると思うのです。では。。

新人

今年も新人が入社してきた。

スーツに身を固め、元気な挨拶をし、礼儀正しくする様は、とても清々しいものである。

この就職というのは、この日本において、人が受動的でありながらも大きく変化できる最後の機会であろう。

低学歴な者は、語学や資格などを習得して信用される個を確立し、それを社会に役立てて欲しい。

高学歴な者は、その鍛えてきた地頭を使ってよい仕事をし、社会をより豊かにして欲しい。

そして、学歴関係なく、常に「志(こころざし)」を掲げて生きて欲しい。

先輩社員の一人として、彼らとの協業と成長、活躍を楽しみにしている。

これらが、私の素直な気持ちである。

余談だか、学歴は就職を有利に働かせるためではなく、自分が「社会で活躍するために必要な知性を養うため」に修得するものである。

知性とは、「教養」「仮説思考」「問題解決能力」のことであると私は考えている。社会に出て行う仕事というのは、答えのない問題である。それを答えのありそうな問題に落とし込む頭の使い方が、仮説思考である( 例えば、「○○として、◆◆とする。その場合、、、云々」と言う具合 )。そして、程よく加工した問題を処理する能力が、問題解決力である。

これは、極めて重要な能力である。このことが分かっていないと、有益な成果を上げることは出来ない。仮に管理職になったとしても、成果を出せず有能な人材を潰すので、組織を破滅に追いやることになる。実は、日本は、バブル期前後から仮説思考と問題解決力のない無能な管理職が増え、革新が求められる昨今、成すすべがなく有能な若手を潰すことしかできず、高給をむさぼり続けている会社が多いように感じる。

この現状に歯止めをかけるには、こうした現状に気が付き能動的に努力をし続けてきた私や私のような人と、こうした知性を備えた若手が協力し、社会を回していくしかないのである。その為、一人の先輩として、私は彼らに自分の実力を示すことで教えていきたいと思っている。積極的に悩みを聞き、助言を与えようと思う。説教にはならないように心がけたいと思う。そして、私生活には踏み入らないように心がけたいと思う。

話を少し戻すが、どんなに学歴を積んでも、上記の知性を養えていないのならば、学歴を積んだ能力的な意味はないと思ってほしい。中学を出て、職人になり、自分の仕事に責任をもって汗を流している人の方がずっと有能である。大工さん、左官屋さん、理容師さん、、、彼らの社会貢献は、下手な大卒や院卒より上である。このことを肝に命じ、襟を正しながら社会人生活を送ってほしいし、私も日々精進したいと思うのである。

心構えが大事です

生物は、基本的に自己または仲間の生存以外のために、その命を奪うことはしない。

これは、我々人間も同じである。

植物を収穫するのも、牛や豚、魚を食べるのも、蚊を殺すのも、皆、生存のためである。

これらに異議を唱える者はいない。いたら、その人は人として生存できないからである。

つまり、生物にとって、その生存に欠かせない行動は、正義なのである。

では、人を殺めることや、戦争をすることは、正義であろうか?一般的な社会通念でいえば、これらは悪である。

しかし、自分や、自分の愛する者たちの命を奪いに来る者がいるとして、逃亡や潜伏が何の解決にもならないと分かったときに戦う行為は、正義である。これに異を唱える者は、生物ではない。犬も、猫も、カラスも、蜂も、皆自分の大切な物を守るとき、相手の強大さに関わらず自分を犠牲にして戦う。何もしないことは、一族の滅亡を意味するからである。つまり、生存の危機(=他からの殺戮)において、何もしないで自分が殺されるのを待つことは、悪なのである。

私は、世界の多くの人と同じく、戦争は悪だと思っている。しかし、生存が脅かされる場合に限り、戦争は正義だと思っている。これについて、分かっているがしちゃダメだ!と言う人がいるが、彼らの多くは、戦争しない場合の答えを持っておらず、お話にならない。なぜなら、彼らの考えは綺麗ごとだからである。平和は、綺麗ごとでは守れないのである。せめて、天下100年の計などを引用し、侵略国の国力を内部から崩壊させる案や具体策を提案するなどしてほしいものであるが、、仮にその話をしたところで、、今まさに襲ってくる敵に対しては、やはり戦うしか手段はないのである。実は、このことは、日本の政治家たちも、9条保持を訴える政党の政治家たちも分かっている話なのである。なぜなら、彼らは人であり、警察や自衛隊を正義とし、武術を嗜む人も多いので、平和を得るためには、戦力が必要なことを少なくとも本能で分かっていると考えられるからである。それが国家のレベルに拡大したところで、同じである。国家は人で構成されるからである。違うことと言えば、国家国土の大きさ故に標的が分散されるために、敵の攻撃を自分事として捉えることに、時間的ズレを感じてしまうことである。つまり、有事の際に自分たちが攻撃されている実感が湧きにくいのである。そのため、やれ交渉だとか、やれ国連に援軍をとか、一つづつ順番にやろうとするのだが、これらをやりつつ迎撃戦闘をするのが本来の在り方であろう。。

2/24に、ロシアが戦争を始めた。太平洋戦争の時の日本のように、欧米による経済封鎖で国家の生存が脅かされているわけでもないのに、ウクライナへ侵攻した。これは明らかに、悪である。大儀が伴っていないからである。歴史上、「悪である戦争」をして勝利した者や国家は、それが大多数の賛同と協力を得た場合を除いて、前例がない。「ローマ帝国」も、「元」も、「秀吉の朝鮮出兵」も、皆失敗をした。悪が勝利したのが、第二次大戦時の連合国である。今回の戦争は、ロシアに明確な賛同をしている国は、現状ない。発言を控えている国は、世界大戦になったときにロシアの協力国となるであろう危険な国であるが、今のところ、大国が一つ、小国が二つほどであろうか。日本の近くにその内の二つがあるのは要注意であろう。日本は、地政学的に、今かつてないほど重要な場所にあるのである。

このような社会情勢を踏まえて、我々は、時代に適応的で大儀ある生存行動を起こせるように、我々の価値観をもう一度見直さなければならない。そこには、今の50歳以上80歳未満の人の価値観は不要である。なぜなら、彼らの概念は平和を前提としたもので、特に日本人ならば、綺麗ごとがまかり通ってきた世代だからである。このような中、国家存亡を考え、行動し、次の世代のことを考えねばならない現役世代は、、自分と愛する者、そして国家と人類の恒久平和とは何か?その為に、個人はどうあるべきか?戦闘は悪なのか?戦闘をしなければならない場合に備えてどうするべきなのか?自分は何ができるのか?などなどを考え、自分なりの考えを出し、調べ、修正し、行動し、次世代に紡いでいかなければならないのである。そうして個人が生存の意義を考えることで、行動が変わり、集団の体制が修正され、現在と未来に大儀のある行動ができる責任ある国家が作られるのである。

なお、こうした存亡の危機に対する考察は、中国の兵法書や、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、幕末、明治期など日本存亡の危機に際して先人たちが残した書物でも深い考察があるので、そうした書物を読んでみると有意義である。というのも、時代の流れに適応していける視野を養い、体制を整えることができるからである。その様は、例えば、おもちゃのヤジロベエのような感じである。フラフラある範囲をふらつきながらも決して倒れない様である。

心構えをしておくことが、大事です。

【本日の動画】せせらぎ

自然の川の流れを見たりすると、自己効力感が高まります。未来に期待が持てるようになります。そうすると、今をしっかり生きようとする意識が芽生えてきます。その意識でもって、自分で考え、自分で答えを出す姿勢を一人でも多くの人が養うようになれば良いなと思います。

靴を長く使う方法

最近、靴を購入した。普段使い用のウォーキングシューズである。

ネットで情報収集し、店舗で質感や足形状への追従性などを確認し、過去の経験から三年ほど使用できると考え、購入した。価格は、約2万円である。

私の考える良い靴とは、下記の条件を満たすことである。

①. 歩きやすいこと。

②. 丈夫であること。( 補修含め、2年は美しく使える )

③. 落ち着いた外観であること。

④. 価格が①~③に対して適切であること。

これらの点をまずネットから情報収集する。このとき、①と③については、非常に優れたものが多く、直ぐに価格とのバランスが良い候補が10足ほど揃う。しかし、これらについて②の点で口コミを見ると、全く参考にならないことが多く、選定が振り出しに戻ることが度々ある。

どういうことかと言うと、ある人は三か月で壊れたといい、別のある人は三年間使っていても大丈夫という。。こういう情報が交錯しているのである。これを見て私は、こうした問題の原因は、「靴そのものの構造的な壊れやすさ(強度)」と、「靴を使う人」にあると仮定し、選定を見直すことにした。

まず、強度についてである。私は、靴の設計者ではない。しかし、電気製品の機構設計に関わる者として、日々、強度は重要課題の一つとして意識している。電気製品の設計ならば、「想定使用条件に対応する安全率を設定し、その負荷に耐えられる」ように構造を作る。もし、靴も同じ視点で設計されているのならば、少なくともその靴は、「想定した使用者が、想定される使い方をする分には、想定された期間」で壊れるはずがないのである。こう考えると、知らないメーカーやファッション店の出した靴は信頼性が極めて低そうに感じてしまう。というのも、体重40~100kgの物体に、踏み込みによる初速が加わって立式される衝撃力Nが、歩行の時に、靴を圧縮させたり、摩擦力(μN)という形態で常に靴を摩耗させたりしているのだから、論理設計をしないと直ぐに壊れるのが当たり前だと思うからである。そう考えると、会社のサイトや展示会で靴の3D設計とCAE解析のデータの一部を公開しているメーカーは、若干信頼できるような気がする。特に、スポーツシューズメーカーや登山靴メーカーの製品は、衝撃との戦いを常にしており、新製品発表会のときは前述のデータの一部を公開するので、期待が持てる。そこで、私は、こうした会社の製品で、選定を絞ることにした。

次に、こうした会社の製品であっても、やはり、三か月ほどで壊れたという口コミを見かける。ここで、街にでて、色んな人の歩き方を観察すると、皆、ビックリするくらい汚い歩き方をしていることに、私は愕然とした。つまり、ちゃんと踏み込まないで歩いているのである。後で詳細するが、これらの歩き方による衝撃が靴にかかることは、靴の設計者たちも想定外なのではないかとさえ思ってしまうくらいだ。汚い歩き方をしているかどうかは、歩行音を聞けば分かる。というのは、音の大きさと強弱の特性から、靴に加わる負荷具合を推定できると考えるからである。

例えば、私が100人の観察したところ「パッタン、パッタン(43人)」「ズッ、ズッ(28人)」「コツ、コツ(29人)」と言う具合に分類できた。この中で、靴のかかとが削れが激しい順に並べると、「パッタン、パッタン」「ズッ、ズッ」「コツ、コツ」であった。前の二種類だけで、実に70%を占めていた。まとめると下図になる。順に少し説明する。

図. 管理人の街角における独自調査結果

「パッタン」は、パとタンの部分で、一回の踏み込みつき二回の大きな着座点を持っていると考えられる。イメージとしては、スリッパやサンダルを履いて、高速歩行するときの要領である。踏み込み時の「パ」で大衝撃が踵に加わり、その後、踏み込む力を靴底で分散させる「彫り」をあまり使わないで、靴の前部で「タン」と着地する。パとタンそれぞれの時間も、他の着地方法に比べて長いために、靴底で広く力を受け止められないので、着地点の衝撃は極めて大きいと思われる。従って、こうした歩き方の人の靴は、靴の前と後ろが大きく削れており、恐らく直立不動が難しいとすら感じるほどに歪に擦り減っている。加えて、足音が異常に大きく、品の無い人に感じる。(実際、見た目や所作もおかしいい人が多い 。) 

「ズッ」は、二種類の人がいる。「前足で着地し、歩くたびに推進を止めるような歩き方の人」と、「靴を引きずるように歩く人」である。前者は、前足部が大きくすり減っているのが外目でよくわかる。現代剣道をやっている人や、フォアフット走法の人は、ひょっとしたらこうした傾向があるのではと感じる。後者は、重心が後ろに落ちがちな老人によくみられる傾向である。先のパッタンよりは傾斜は小さいが、踵が削られている。最後の、コツコツは、一番まともで、靴底の削れ具合や傾斜も前のパターンに比べて明らかに小さい。これは、一次衝撃を踵部で受け止めた後、靴底全面で摩擦を効かせながら次の推進のつなげているので、靴の削れ具合の偏りが先例に比べて少ないからではないかと感じた。いわゆる、しっかり踏み込んだ歩き方が、一番靴に負荷を与えないのだろうということである。これは逆にいうと、多くの人は、しっかり踏み込んで歩いていないということである。その結果、靴の劣化は早まり、歩く音がうるさいので、品のない人に見られる可能性があり、良いことはないなとも思った。

以上から、靴を長く使うには、「靴の耐衝撃設計をしっかり行っていると思われるメーカーの品を探す」「しっかり踏み込んで歩く」ことが大事であると思うのである。

【本日の動画】白波

自然の絶妙なバランスで白波が生じています。歩き方も、人生も、バランスが大事だと思うのです。

新年あけましておめでとうごいざます。

本年もよろしくお願いいたします。

一昨年頃から感じていたことですが、世の中の流れが加速しています。

新しい概念を素早く取り入れ、咀嚼し、自分の価値観、観念、考えを更新し、行動と計画を修正する柔軟さが、ますます必要になるであろうと感じております。読書習慣が大切です。

一方で、新しい概念を取り入れることにだけに意識を集中させてはいけません。そうすると、思考力や発信力が大幅に衰えるからです。故に、「考えを整理する」意識を日々持つことも必要です。作文習慣が大切です。

さらに、精神や感受性を豊かにする行動も毎日しなければなりません。情報の波とそれを処理する生活をしていると、精神が歪んでくるからです。言い換えれば頭でっかちになり、利己的になるからです。利己的になると、周りが見えなくなり、ヒステリーや破壊衝動、過剰な欲望に支配され他人を傷つけることになります。そうならないために、心に栄養を与える時間を毎日とることが必要です。瞑想、自然に触れる、運動、芸術などに没頭できる時間をもつことが大切です。

以上により、知能と精神が豊かになると、健康状態が良くなり、それがさらなる活力を生み、周囲に良い影響を与え、自他ともに充実した日々を過ごせるようになると考えています。

このように心がけ、今年一年を楽しく過ごしていきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

【本日の動画】陽の光