技術の進歩の先にある、苦しみの無い世界

科学技術は日々進歩する

19世紀に急速に進歩した電気磁気学により、電気回路、電子回路、通信手段、電磁モーターが次々に発明された。

20世紀は、そうした技術の高効率・高集積化により、コンパクトな電子情報機器が身近なものとなった。そして、目に見えないが、コンピューター同士が理解し合えるクラウドという信号集合に、情報を保存し、処理し、高速でやり取りする時代に突入した。この技術においては、米中の国家的な開発戦争、もとい、「FAANG+M」 vs 「BATH」の産学官巻き込んた競争は熾烈であり、、他国他企業が中途半端な「資本、頭脳、情報数(国力)、覚悟」で参入しても勝てるはずがない。参入が遅すぎる。

こうした状況下、今後の世界は、「高速通信、AI判断、クラウドコンピューティング」を基幹産業とした社会になっていくはずである。これにより、物事の自動化・自律化が加速する。

電気情報機器は、「筐体設計、入出力装置設計、センサー、無線、給電装置」だけで成立することになる。なぜなら、演算装置や情報の保存は、全てクラウドで行うからである。

このような世界になったとき、持ち運ぶ装置は、コンパクトで、できることが多様になってくる。そうすると、その膨大な情報コンテンツという麻薬的な魅力に人々はどっぷり浸かり、今以上に片時も離れなくなる。歩くときも、走るときも、寝床の中でも、仕事の時も、用を足すときも、食事の時も、誰かと共に過ごしていても、である。そして、人々は極めて利己的になり、視野が狭くなり、知能が退化し、その結果、、思いやる心が無くなってしまう。歩きスマホをしている者同士がぶつかったとき、どちらも相手のせいにする。しかし、次にそうならないように改善しようともしない。そんな社会になるのである。

こうした近未来の世を憂うとき、私は、どうすれば本当の平和 が来るのか考えることがある。

この先、科学技術がさらに進み、「人の脳、感覚、魂、エネルギー」の情報化が出来た暁には、、人の肉体は全て地上から消え去り、全人類はクラウド内の仮想世界で、生まれ、育ち、学び、生きることになるのではないかと思うのである。その世界では、互いに、思うだけで意思疎通が成立する。思わなければ、何も聞こえない。また、互いに、意識したときだけ、肌のぬくもりのある接触ができ、そうじゃないときはすり抜ける。容姿も、衣食住も、全て各自の思うままの在り方が無限の世界に瞬時に登場する。こんな世界になるのではないかと思うのである。その世界では、物質的な影響の観点から皆が気持ちよく過ごせるように築いてきた規範・道徳・常識というものはない。意味がないからである。

こんな世界が作られたとき、つまり、皆が究極的に利己的であってよい世界が作られたときに、真の平和が来ると思うのである。仮に、その世界で、ある人Aが別のある人Bを殺害したとする。AにとってはBは世界から消えている。しかし、BにとってはAが生きている世界が続くのである。

では、そんな世界が作られたとき、そこに生きる者たちの生きる目的とは何なのか??それは、例えば、、物質世界に生きる者たち( つまり、今の我々 )に知恵を与えるために、自分たちが物質化する技術を編み出すことなのかもしれない。そう考えると、我々が今、この肉体を持って生きていること、規範を遂行しながら生きていること、それは肉体を持つ者のみが意識できる尊い行動ではなかろうか。。いや、ひょっとしたら、我々はそうした世界から来た意識体なのかもしれない。。だとすればなおさらこの世は大事で、尊いと思うのである。

「駅近くにない学校」について

私は、学校は、社会に役立てるための知識・知恵・精神性を養うために通う場所であると思っている。

「読み書き計算」という基本的な技能を元に、様々な学問に主体的に触れ、問題意識を持ち、自分なりに答えを導く、、こうしたことをする場所だと思っている。

特に、大学や専門学校は、そうである。

さて、話を少し変えるが、、人は何かに問題意識を持ったとき、まずどうするであろうか?

調べたり、試したりするであろう。

そのため、学生なら、大学図書館や研究室に行ったりするであろう。

自宅にいて、ネットの情報や、仮説推論を行うだけでは不十分なはずなのである。

そんなとき、自分の所属する学び舎が、近くにあったらどうであろうか??

やる気を維持しながら、直ぐに行動するであろう。

しかし、逆に行動したいときに、それができる場所が家から遠かったらどうであろうか??めんどくさいなー、、、次、何か用事があるときにやろうかなーという感情が芽生え、結局ヤラナイ姿が想像できないであろうか?( 私は、多くの人は、高い確率でそうなると思っている )

ところで、学校は、自分の家の近くにあるとは限らない。大学などは、まさにそうである。

そうしたとき、せめて「駅」から徒歩10分圏内に学校があれば、比較的、行動のモチベーションを維持したまま家を飛び出すことができるように私は思う。というのも、日本の首都圏を走る電車の多くは、海外に比べ時間に正確で本数も多いので、行動計画を立てやすいからである。これが、バスだと、日々の交通事情の影響を直接受けるので、行動計画が狂いやすい。よって、バス通学は、行動計画の修正を高い頻度で求められるので、だんだんと通学が面倒くさくなってしまう。よって、学校に行きたくなくなる。

直接的であれ、間接的であれ、通学事情の影響を受けて行きたくなくなるような学校なんて、悲しすぎる。なにより、当初の学びの目的を達成しにくくなってしまう。だから、私は思うのである。学校に通うならば、「家の近くに良い場所があるならそこ」が最良、それがダメなら「せめて駅の近くにある良い場所」を選ぶべきだと思うのである。今は、リモート学習が主流になりつつあるが、学びには、「現場で、自分で、実際に何かを試すこと」は絶対に欠かせない。どの学問でもこれは同じである。だからこそ、学校は、直ぐに行けたり、行動計画が立てやすくて意欲が損なわれにくい場所に行くべきだと思うのである。

毎朝、都心のとある大きな駅を通るとき、どこかの大学か専門の学生さんが、大名行列を作っている。どうやら耳に飛び込んでくる彼らの会話から、学校までは渋滞しなくても15~20分くらいかかるみたいである。だから、歩いて行くような距離ではない(時速40km/hでバスが走行したとして、少なくとも1/4hかかるのだから、10kmは離れている)。あなたは、こんな学校に通いたいと思いますか??

連立微分方程式をRK法でExcelで解く方法

〈前置き〉

本日は、Excelで連立微分方程式を解いてみたいと思います。解き方は、例によって、ルンゲクッタ(RK)法を持ちいます。「え?ルンゲクッタ法のような解の更新を含む数値計算って、Excelで出来るの?」と思われる方は、過去記事:Excelによるルンゲクッタ法の使い方 を参照ください。更新する際に、コピー&ペーストを繰り返すので多少手間ですが、解析ソフトなどがなくても解の様子を描画して確認できるので、安価でそれなりの予測をすることができます。正直、解の精度や収束時間が研究対象であったり、数万回以上の解の更新を必要とする方であったりしない限り、Excelでの予測である程度対応可能に感じます。

〈ルンゲクッタ法とは?〉

科学者や技術者は、新たな発見や創造のために、現象を予測することが求められます。その予測をする方法として、「微分方程式を解く」というのがあります。この微分方程式は、「知りたい量の時間変化が、どうなる」という具合に記述される式です。上手い具合に、「知りたい量=時間の関数」に整理できれば、後は好きな時間を入力することで、知りたい量の時間変化を知ることができます。これで、予測が完了です。しかし、そういう具合に式整理ができない物があります( 殆どの方程式は、こちらに属します )。そうした式を解く方法が、「数値計算法」です。これは、「ある規則で時間と知りたい量を更新し、方程式の姿を見出す」方法です。微分方程式の目的が現象の予測であるのならば、別に、明確な変数と時間の関係が分からなくても、傾向が分かる程度の関係が分かれば十分なのです。ルンゲクッタ法は、そうした数値計算法で一般的な手法の一つです。

〈数値計算の基本的な流れ〉

1.現象の数式化 ( 解きたい微分方程式をご用意下さい )

2.微分方程式の一階化( 時間と一変数だけの姿に変換してください。当然、式は、複数になってOK )

3.初期値設定

4.数値計算法で記述

5.必要回数まで更新する

〈Excelでのルンゲクッタ法の記述の仕方〉

1.まず、「カウント、時間、計算解、更新項」の枠を作る。

2.次に、「カウント、時間、計算解」に数式を記入する。

 ・四次のルンゲクッタ法なので、一度に四つの計算を行う必要がある。

 ・カウントの初めの1は、初期値が入力される場所である。

 ・カウントの最後の1は、更新後の最初の値である。

 ・解きたい変数が増えると、計算解の列数も増える。( ex. 連立微分方程式 )

 ・計算解の列数が増えると、同じ数だけ更新項の列数も増える。 

 ・更新項には、微分方程式をdX=f(X)dt の形に変換してf(X)Δt として記入する。

3.式が記入できたら、下図の赤枠箇所を丸ごとコピーして、同図貼付け箇所に貼り付ける。

4.傾向が掴めそうな回数まで更新して、カウントの1のみピックアップして、グラフ化する。

〈例示:連立微分方程式での記述〉

二次の微分方程式に関しては、過去記事にて具体例を示した。ここでは、連立微分方程式に関して記述してみる。題材としては、1927年にケルマックとマッケンドリックによって発表された感染症流行モデルである、ケルマック-マッケンドリック方程式 (KM方程式)を扱う。

1.微分方程式の記述

2.一階化 ⇒ 上図より、二階以上になっている式はないので、済。

3.初期値設定

ここでは、とりあえず適当に、下記とする。実際には、後で出てきた結果を見て、この項目を色々調整して方程式とそれが表す現象の理解を深めていくことになる。

3.ルンゲクッタ法で記述 ( 下図にNM方程式をルンゲクッタ法でExcelに記述したものを示す )

上図の緑色に塗られた箇所が、具体的に数値や式を記入する場所である。実際に計算するときは、緑色の箇所は、数値や、引用するセル番号の組み合わせで記述された式にすること。上図は、あくまでもその一歩手前の公式を記した。ここで、連立微分方程式が、どのように記述されるのかの理解を深めて頂きたい。

では、ここで、Excelで具体的に計算する形にする。まずは、文字式で示す。対応するセル番号で記述している。

実際は、上図のように緑色のセルに文字を記入するとセル内に計算結果が表示される。つまり、4次のルンゲクッタ法の一回目の計算が完了したことになる。そこで、前述したように手動で更新(コピー&ペースト)を行うと、下記のようになる。

今回は、とりあえず一か月分の結果を見たいので、30回分( 30日分 )の更新を行う。

また、結果を見るときはカウント1の結果だけ見ればよいので、Excelのフィルター機能を使って表示を1だけにする。

ここまで出たら、あとはExcelの描画機能を使ってグラフを作成してみる。例えば、時間と計算解を選択して、散布図( 平滑線 )を作図すると下記のようになる。

図. 一カ月の各健康状態の人数推移[ X ;健康者、Y ;感染者、Z ;除外者 ]( 感染率α=0.01、除外率β=0.5、組織総人数N=100人、初期健康者X0=100人、初期感染者Y0=1人、初期除外者Z0=1人)

この結果から、この感染症をかかった人が1人だけいると、健康な人の数は1W間で半減し、20日後には20人程度まで減少して落ち着く。また、感染者は、初め1人だったが9日後まで18人まで増加し、その後減少をはじめ、25日後には0人になる。つまり、このときこれ以後感染症に新規にかかる人はいなくなる。ところで、健康者の数が急速に減少し、感染者の数が増加しているとき、除外者の数が急上昇している。除外者は最終的に80人に達する。これは、何を意味しているのあろうか?除外者というのは、感染者そのものではなく、感染する恐れのない人である。例えば、ワクチンを接種して抗体を持った人、回復した人、死者、隔離者である。対象の現象によって、想定している除外者を議論することになるであろう。というのも、例えば、致死率100%の感染症ならば、上図で25日後には8割が死ぬことを意味しているので、感染者が25日後に0人になるからOKと楽観視できないからである。除外者の推移とその想定される内訳を議論することは、感染対策を議論することにつながるのである。例えば、除外者をワクチン接種者とすれば、その接種率を8割にすれば、感染症を抑えることができる。。となるのである。KM方程式は、ネットで検索すると様々なモデルが提案されているので、是非読んでみると面白いと思う。感染率と除外率がどういう関係性の時に、感染が収束するのか、爆発するのかなどが予測されていたり、、感染症に対する方程式とそのパラメータの整合性を考察したりした論文が多数ある。

さて、本日は、Excelで連立微分方程式をルンゲクッタ法で解く方法を紹介しました。大学や大学院の研究室で非線形現象を扱っている方は、連立微分方程式を解くことが多いと思います。MATLABなどの数値計算ソフトで解いても良いですが、Excelでもある程度のことは伝わったと思います。是非、参考とする論文やデータがある場合は、その式とパラメータを入力して解いてみてください。今回のKM方程式も、ローレンアトラクタのように、「個別の解を見るとカオス状態だったのに、全体をみるとある挙動の中で収束する」傾向が確認できるかもしれません。

では!

(参考過去記事): グラフ化の方法など記載しています。

記憶って、対象の雰囲気を掴むことだと気がついた話

〈前置き〉

 映像記憶というのがある。これができる人は、目で見た風景がそのまま頭の中に残っていて、頭の中でそれをまじまじと観察することができるようだ。だから、試験でもめっぽう強い。だって、教科書や辞書がそのまま頭に映像として入っていて、それを後で見返せるのだから。

 これ、ひょっとして自分にも備わっているのでは?と思って、、風景を一瞬だけ見て、目を閉じてみる。。すると、光が遮断されるのだから、当然真っ暗闇である。ただし、それでも微妙に目蓋から侵入してくる光のせいなのか、それとも眼と言う脳の一部の電気信号のためなのか不明だが、モヤモヤした像の動きを感じることは出来る。しかし、目で見ていたような景色が、脳内で視覚的に再現されることはない。よって、映像記憶は備わっていないと分かる。こういった記憶ができる人って、何かコツがあるのだろうか??

 〈主題〉

 今日は、映像記憶の仕組みを自分なりに漠然と考えてみようと思う。

 まず、我々は目によって風景を知ることができる。風景を見ながら、それを観察し、楽しむことができる。我々は、目で見た風景を、物体に反射した光が、目の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。

 ここで別の知覚を考える。例えば、ラベンダーの香り。鼻でかいだ香りは、鼻腔内の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。例えば、ストロベリーキャンディーの味。口に含み、舌で舐めたその味は、舌の組織を刺激し、その刺激が電気信号となり、脳内で処理されることで、初めて認知できる。以降、ラベンダーの花や、ストロベリーキャンディーがなくとも、その良い香りや味の感覚や、そのときの素敵な感情、雰囲気を思い出すことができる。

 話を視覚に戻す。視覚的に入手した情報は、目を閉じるとほぼ思い出せない。まして、何ページの何処に何が書いてあったとか、部屋の何処そこに座っているクマ人形の目にまつげが何本生えていたとか、覚えていない。だが、先の嗅覚や味覚で捉えたモノの思い出し方が円滑であったことを、思い出して欲しい。匂いや味は、それを刺激で直接とらえた組織からの電気信号、つまり感覚や、その時の雰囲気、印象、気持ちから、思い出すことができたのである。このことから、五感を通して得た情報は、その五感に意識を向けて想起するのではなく、五感を通して情報を得たときの感覚・感情に意識を向けるべきなのではないか?というのが、今日の私の気付きである。何度も話をまとめて恐縮だが、視覚的に得た情報(=映像記憶)は、想起の際に目で見た風景の再現に意識を向けるのではなく、その風景を見ているときに、注視しているものに、どんな感覚を受け、どんな感情を抱いたか(=雰囲気)に意識を向けると思い出しやすいものと思う。

 ここで私が言ってもどうしようもないが、試しにある町の風景を、雰囲気を楽しむ感じで10秒だけ見て目を閉じてみた。そして、その雰囲気を言葉で表現しようとしたところ、15個の建物とその位置を思い出すことができた。風景を見るときは、全体の雰囲気を把握しながら、覚えたい個々の物をやはり雰囲気を掴みながら眺める。雰囲気と言っているのは、対象を眺めた時の感覚( 主に、色合いや凹凸感 )や感情のことであり、論理的に「あれはここにある」とか、「何番の」とかのことではない。人の記憶は、7±2個が一度に覚えられる限界と言われているから、私の15個というのは、明らかにこれを上回っている。今後、もっと試していきたいと思う。

【本日の動画】川のせせらぎ音

川の音は、ほんとに癒されます。滝の音は、頭を覚醒させてくれますが、川は癒しと言うか浄化と言う感じです。昨今、色んな出来事や社会情勢からか、皆心が疲れているように感じます。川の音を聴いて、癒されて欲しいなと思います。

学ぶときの大事な意識

今日は、何かを学ぶときの大事な意識について呟きます。

〈前置き〉

我々人間は、快適に生きていくために、常に様々なことを学ばねばなりません。

例えば、社会と隔離された空間で自然を相手に一人で暮らしている人は、何もしないと、住む家も、食べる物もないので生きていけません。そこで、人類の英知を書籍やネットコンテンツから学んだり、自然の仕組みを観察し、その法則性を知り、衣食住に上手く活用する方法を模索したりすることが欠かせません。学びが重要です。

また、社会と隔離されていない場で暮らしている人は、その人がどんなに嫌だと言っても、多くの人と関わりながら生きていかねばなりません。その為には、他人が作った仕組みを素早く理解して生活に取り入れたり、自分で仕組みを作って社会運用させたりすることが必要です。そうしないと様々な損をし、空回りしながら生きていくことになります。常に、学び、上手に生きていく方法を模索し、行動していくことが大事なのです。

さて、そんな人の大事な営みである「学ぶということ」ですが、、いざ学ぼうとすると、その膨大な量に圧倒され、あきらめてしまう人が多いです。

〈本題〉

本日は、そんな膨大な量を前に、遅れをとらなくなる意識を、共有したいと思います。

・事前準備1:学びを始めるときは、雑念を消すこと。

・事前準備2:雑念を消すため、左脳側( 右手側 )の頭が、その内部まで硬化した想像をすること。

・事前準備3:腹式呼吸、または逆腹式呼吸を1分ほど行い、神経を落ち着かせること。

膨大な学習量に驚かなくなる意識

1. 学習目的を明確にすること。

2. 実践での使用を常に想定すること。

3.何でもよいから、まず実践で活かせるものを一つ作ろうとすること。

4.学習対象を階層図などで体系的に整理しようとすること。

〈説明〉

まず、事前準備です。ここでは、学びの妨げになる雑念を消すことが目的です。私たちは、脳や内臓の状態で反射的に時々刻々と様々な物を想起し続けています。それを明確に捉えることは「意識する」ことと同意であると私は考えています。このとき、特に活用するつもりでもないのに捉えたものが「雑念・邪念」です。じゃあ、なぜ邪念は生じるのか?それは、脳と内臓の状態が必要以上に活発だからです。特に、意識的な情報を扱うといわれている左脳の働きが活発過ぎると、邪念が働きやすいと思います。また、内臓も、満腹状態のときは消化・吸収・浄化活動が活発なので、その反射信号が脳を刺激するので、邪念の発生を促してしまうはずです。ですから、空腹状態の方が学習には適しているでしょう。

さて、ここまでの話から、雑念を消すには、左脳と内臓を落ち着かせることが大事だという主張が伝わったと思います。では次に、その為にどうするか?を述べます。それは、想像をすることです。人には想像力があります。目で見ているような風景は見えずとも、心の中に、「あれをこうして、あそこをああして、、、」などと考えることができます。これが、想像です。また、例えば、手に物を持っていなくとも、手に何か持っていることを想像していると手がムズムズしてきます。これが、意識をその場所に集中したということです。つまり、想像は、少なくとも想像した自分の身体の部位に、少なからず影響を与えることができるということです。この仕組みを使って、左脳がその内部まで硬化したイメージをするのです。石でも、氷でも、コンクリでもいいので、カチカチに硬化したイメージをします。上手くできていると、左脳の方、つまり右手側の頭の力が抜けてくる感覚があります。

次に、腹式呼吸か、逆腹式呼吸をします。これは、呼吸という意識的動作で自律神経を落ち着かせることで、脳と内臓を間接的に落ち着かせる作業です。例えば、6秒~10秒吸って、6秒~10秒吐く動作を行い、苦しくなくなったら自律神経が落ち着いたと考えて良いでしょう。

以上、長くなりましたが、事前準備の完了です。

さて、ここからが大事な学習姿勢の話です。

まず、学習意義を明確にしましょう。もてたいからとか、自慢したいからとかは、かけ離れすぎです。学んで、自分や社会にどのように役立てたいか?を明確にしてください。こうすると、学ぶ覚悟が固まります。学習途中で何か言ってくる輩に対しても、自信をもって発言できます。学習に対してブレない個ができます。それが目的です。

次に、常に、実践でどう使うか?を意識してください。

学校の試験や受験勉強ならば、どのように問題で問われるのか?を把握することが大事です。よって、過去問とその回答を理解してください。

これが、資格試験ならば、やることが二つあります。一つは、その資格が合格者に求める人物像が必ずあります。それを把握してください。そこでは、学習した知識を、社会で、どのように運用できる人材を選抜するかが記載されています。これが理解できると、資格問題に挑む姿勢が楽になります。というのも、資格の問題は「実社会での運用力を推し量れるように作られる」ので、運用の仕方にパターンがあります。よって、現場を想定した問題がでたときに、この運用の仕方のパターンで設問を見ると、現場用語などに惑わされたりせず回答方針が立ったりします。その為に、どのような人材を求めているのかを明確にするのです。試験要項を確認しましょう。ここで、求める人材の中に、知識を持った人とか、計算ができる人とか、その程度の試験は、、単に、暗記力や計算力を推し量る試験なので、暗記や計算を徹底してください。資格試験でもう一つやることは、受験と同じく、過去問の理解です。

また、金融や政治経済、ITなどの今の仕事や生活に直結する物事を学習する場合は、活かすことを想定して、問題意識を持ちながら資料に目を通してください。活かすことを想像できない人は、まず、自分は何を知りたいのか?やりたいのか?を明確にして資料に何度か目を通してください。

ここまでが、基本です。

ここからは実践ですが、、まず膨大な量の学習を前に、、立ち眩みがするのは、、その量の多さに問題があります。ここで、一部の天才や秀才のように、全部を短時間で覚えようとすると、実践力が伴いません。中途半端な知識や知恵は、実践の場では使い物になりません。そこで、まず一つで良いので、得意なものを作って下さい。例えば、英語の文法なら、関係代名詞の問題は任せろ!とか、日本史なら中世は任せろ!知的財産権なら、特許法は任せろ!剣術なら八相の構えからの右袈裟は任せろ!という具合です。この分野が広ぎるならば、さらにそれを直ぐに得意になれる範囲まで分解し、得意にするのです。試験問題は、学んだ箇所が出題されるかどうかは確率的な話なので7割程度習熟しないと現実的な対策はできません。しかし、得意な物が一つあるというのは、大きな救いになります。武術などでは、その一つの得意技の洗練によって頂点を取ることもままあります。

最後に、学習対象を階層図で体系的に整理してください。こうすると、学習の全体像が一つの図に集約されます。これは、自分が恐れていた対象が一つの図という小さな敵になったということで、一気に安心感が増します。また、自分の得意箇所の位置が分かるので、学習のモチベーションが増します。

学習対象を体系的に整理したイメージ図

体系的に整理するときに、もし、過去問などに出題分布などが書かれていたら、分かる範囲で、各分野の全問題に対する出題割合を算出して、体系図に書き込んでみてください。二分野で構成される問題は、問題を二分割して数えて下さい。まず、頻出分野から制圧して、実践での遭遇確率を上げたい人は、こうすることをお勧めします。

体系的に整理することの真の目的は、実践に挑むための基本姿勢の構築です。学習が進まない内は、体系図における末端の一部でしか戦えません。また、学習が3~5割ほどしか進んでいないと問題毎に分野が違うことがあるので、問題へ挑む姿勢を変えざるを得ません。これを「引き出し」に例える人もいるでしょう。しかし、これではまだ未熟です。真にその科目を究めた者は、各分野が全て得意なので、問題に挑む姿勢は、一つです。こういう状態で試験に臨むと、いかなる複合問題が来てもブレずに対応できるようになります。階層図で整理すると、出だしは必ず学習対象名の一つです。この一つの構えで試験などの実践の場に望む体制を整えることが、学びの最終的な到達点だと私は思っています。それで、必要とする目的が達成できるからです。

以上、長々と述べてきましたが、学習意欲のある者の助けになればと思うばかりです。

【本日の動画】やつぼの水の音

ここは、相模原市のこの地区に水道が引かれる以前、人々に潤沢な水を提供してくれたオアシスです。河岸段丘の崖から染み出した地下水が崖を伝って川に流れ込む前に、一段溜池を作って、生活用水として利用できるようにした場所です。昔から、神様のように崇められて大事にされてきました。令和の時代になっても、清らかで潤沢な量の水の流れる姿を見せてくれています。映像と音に触れていると、頭が冴えてきます。いわゆる、パワースポットなのかもしれません。