視覚情報⇔イメージ

視覚情報とイメージの出し入れを行うには、どうすればよいであろうか?

目を開ければ、外界の情報が勝手に目に入ってくる。

目を閉じると、外界の情報は遮断される。今、見ていた風景は、イメージするしかない。

このとき、あたかも目でみているようにイメージすることは出来ないのであろうか?これができると、カメラアイという能力をもった人たちのように、風景をカメラのように記憶しておいて、それを頭の中で見ながら、情報をアウトプットすることができる。

参考書のページをめくっている風景を記憶し、後で、その風景を頭の中でイメージする。何ページの何処に何が書いてあったのかを、そのイメージの風景を、見て、読み上げるのである。内容は、理解していない。

どうすれば、できるのであろうか?

目を開いているときは、外の情報が常に目に入り、錐体細胞によって電気信号に変換され続け、脳内で認知される。

目を閉じているときは、視覚情報は遮断され、錐体細胞の信号変換も停止する(or 黒という情報変換をし続ける)。視覚という認知機能は、「錐体細胞による光刺激の電気信号変換」なので、光が遮断された段階で視覚による認知機能はなくなる。

よって、記憶した情報、イメージした情報を、視覚的に読み上げることは不可能であると考えられる。

しかし、もし、錐体細胞から信号変換された情報を覚えていて、脳内から錐体細胞を刺激し、その刺激の脳内への反射を認知できれば、あたかもイメージを視覚的に見るという体験ができるはずである。

しかし、電気回路を思い出せば分かるように、信号は常に漏れるので、伝送ステップが多いと情報の欠落も多くなる。

つまり、外界からの光情報を目で見ているときと、イメージを目で見るときは、下図のような情報伝達経路になり、後者の方が体内での処理が多いので、情報がロスが大きいということである。太矢印は、体内処理。

【目を開いて情報を認知するときの処理経路】

情報(光) → 光による錐体細胞の刺激 ➡ 電気信号変換 ➡ 脳内検知

【イメージ情報を視覚的に認知するときの処理経路】

イメージ(電気信号) ➡ 電気信号による錐体細胞の刺激 ➡ 錐体反応の反射➡脳内検知

また、イメージは記憶であり、そんなに精度よくとどめることは出来ない。したがって、錐体細胞を刺激するには至らないのである。

ところで、ここまで話てきて、そもそも、脳内イメージから錐体細胞を刺激し、それを視覚的に認知することなどできるのか?という疑問があると思う。

結論から言うと、私はこれは可能だと思っている。なぜなら、よくネットなどで落ちている、オレンジカード( オレンジ色の中に、青い丸の描かれたカード )を30秒ほど見て目を閉じると、瞼にその像、または色の反転した像を見ることができるからである。

目でみた視覚情報が電気信号になり、短期記憶され、それが脳内から目の錐体細胞を刺激するから、目で感じられるのだと思っている。なお、この情報を10秒ほどで消えてしまう。

よって、海馬だか、内臓だか分からないが、とにかく短期記憶で外界の情報をしっかり捉えられれば、視覚的にそれを見ることは出来ると思うのである。

※ 最も、ここまで記憶でとらえることができていたら、視覚的に読み上げる必要はないと思うが。。。

では、短期記憶を鍛えるにはどうしたらよいのであろうか?

よく、短期記憶は、脳の「海馬」というところに蓄えられると言われる。情報は電気信号だから、海馬がどのように記憶をとどめるのか?を理解し、それをコントロールできればよさそうに感じる。

この点については、また今度、考えてみる。

大伴部 博麻

 昔、大伴部 博麻(オオトモべ ノ ハカマ)という人がいた。「愛国」という言葉の由来となった飛鳥時代の兵士である。戦前教育では、必ず教わった人であるが、戦後GHQの洗脳教育(=日本人腑抜け化教育)の中で、真っ先に削除された。

博麻は、百済国救済のために大和朝廷が派遣した日本軍と、新羅・唐連合軍の戦いである、白村江( ハクスキノエ or ハクソンコウ )の戦い[661年]に参加した兵士である。

しかし、戦いは日本・百済連合軍の大敗。博麻は、唐軍の捕虜になり、長安に護送された。そこで、他の捕虜兵士や遣唐使で捕まっていた者たちとともに、長安で暮らすことになる。

しばらくして、唐が日本侵略を計画していることを聞いた博麻は、このことを日本に伝えなくてはないないと考えた。伝えるには、逃走資金がいる。そこで、博麻は、自らを奴隷として身売りし、その金でもって、仲間を脱走させた[670年]。

671年、仲間たちは対馬に到着し、事の大事を太宰府に伝えたという。大宰府には、当時、防人(サキモリ)という国家防衛のための兵士が常駐しており、この知らせを受け、より防備を固めたことと思われる。

さて、博麻は、以後20年も奴隷として長安で暮らし、690年に、たまたま長安を訪れた新羅使の知り合いに連れられて、半島を通じて、日本に帰国したという。

さて、帰国した博麻は、新羅使とともにもてなされるわけだが、その際に、持統天皇より「 朕 嘉 厥 尊 朝 愛国 売 己 顕 忠 」という勅語を賜るのである。天皇から一個人に対して、公の言葉を発せられたことは、記録上この一件しかない。

【意味】

朕は、おまえの朝廷を尊び、国を愛し、我が身を売って、忠誠心を表したことを喜んでいる。

この話は、日本書紀にも登場し、博麻は、「官位」「土地」「褒美の品」「子孫三代までの免税」といった恩賞を賜ることとなる。

親のため、子のため、友のため、愛する者ののために、今、ここまで己の身を犠牲にすることができる者がいるであろうか?

日本人として、愛国という言葉の由来を知るとともに、その美しさ、その深さをかみしめながら、生きていきたいと思うのである。大伴部博麻たち先人に感謝しながら。。。

一つ思うこと

生きていると色んな人に出会う。その一人一人に、色んな感情を抱く。

好き、嫌い、カッコいい、優しい、死ね、クズ、消えろ、馬鹿、尊敬、崇拝、反省、嫉妬、ライバル、殺意、遊び、協力、愛している、、、

その感情によって、行動がうまれ、出来事が成立する。

好きが、告白という行動をいざない、愛が成立する。

殺意が、殺人という行動をいざない、犯罪が成立する。

競争意識をもつことで、切磋琢磨し、成長する。

その中で、ライバル、敵、仲間、伴侶、パートナー、指導者、友人、家族などといった、自分と人との関係が定まる。

そして、喜怒哀楽をしながら、人は生きていく。

その行きつく先は、死 であるが、その前にふと思うであろうことに最近気が付いた。それは、、、

世の中で出会った全ての人は、皆、仲間であるということである。

共に笑い、泣き、遊び、苦しみ、、、

共に競い、罵りあい、殺し合い、勝ち上がり、逃げ落ち、、、

共に気になり、好きになり、愛し合い、助け合い、、、

皆、同じ時代を生きた仲間たちである。彼らがいなければ、自分のこの人生は成り立たなかったのである。

こう思えれば、過去・現在・未来のあらゆる迷惑な、不愉快な、我の尊厳を打ち砕くような出会いをもたらしてくれた人々でさえも、我が人生を一緒に作ってくれた仲間であり、大切な人達なのだ。

許すこととは、別であるが、これは重要な気づきである。

「分解」と「組み立て」は大事

私の勤めている会社には、今年も新入社員が入ってきた。様々な人事研修があるのだが、そのうちの一つを私がやることになった。

内容は、金型、CAD、解析、試験法についてである。皆、業務の一環で参加していることを人事からきつく言われてか、眠りもせず、しっかり聞いてくれた。

時折、知識を問う感じではなく、過去の経験や直感的な感想を問う質問を交えたり、その内容にまつわる関係エピソードを聞かせたのが良かったのかもしれない。

例えば、「分解」業務というのがある。これは、競合他社製品を購入し、分解して、構造、技術、コストの分析を行い、次機種の開発に活用するために整理する業務である。

関係するエピソードとして、私が知っているのは、二つの話である。

「種子島の鉄砲伝来」

「シャープ創業者:早川氏のラジオ」

 1543年8月25日、種子島にポルトガルの商船が漂着。商人が、鉄砲という武器を日本人に紹介した。領主:種子島時堯(種子島氏14代当主、当時16歳)は、鉄砲の威力を知り、2挺(チョウ)の火縄銃を即購入した。現代の額にして数億円である。 その後、 1挺を幕府に献上し、もう 1挺 を鍛冶職人に分析させ、自力生産を命令した。そのとき、鍛冶職人:八坂金兵衛の取った方法が、丁寧な分解と組み立てを行い、「構造、仕組み、材料、長所、短所」を整理することであった。そして、必要な物は作り、無いものは代替材料を使いながら、試行錯誤を繰り返し、2年後に国産化に成功した。

 当時、ポルトガルやスペインは、鉄砲を餌に興味を引かせ、法外な値で売り付け、それができない場合は巨大艦隊で押し寄せ強制的に植民地化を行う政策を世界各国で行っていた。いわゆる、大航海時代である。日本にもそうした時代の流れの中でやってきた。しかし、大量の鉄砲を日本に売りつけ、不条理な要求を突きつけようとしたときには、日本は、独自に高品質な鉄砲を大量生産する体制を整えてしまっていたのである。その火力は、当時のヨーロッパ全土の3倍という予測を立てる人もいる。そのため、侵略を断念したという。

 未知の道具に対し、知識が無くても、分解と組み立てを丁寧に行い、整理し、独自の鉄砲を作り上げた、鍛冶職人の努力がもたらした勝利である。我が国を、守ってくれた尊い考え方なのである。

数理モデル、シミュレーションなどがもてはやされる昨今だが、この職人魂を我々は忘れてはならない。

同じような話が、シャープ創業者の早川徳治氏にもある。。。が、これは、また今後。お休み。



記憶について思考錯誤

 目で見たものを覚えていて、その細部を完全に再現できる人が少なからずいるようだ。この人たちは、例えば、教科書を一度「見た」だけで、何ページの何処にどのような物が書いてあるかを思い出すことができるという。

 なんと羨ましい能力であろうか・・・。図書館や本屋さんに行けば、無限の知識を手に入れられる。かかるのは、ページをパララララとめくる時間だけである。得た知識は、資格習得や仕事に活用して収入UPにもつなげられるし、生活の質を高めることもできる。

 自分にはできないのだろうか???

 試しに、適当な本を一秒ほどの速度でめくってみる。。。到底、内容などは頭に入ってこない。覚えているのは、「ページをめくったという行動」「本のページのボンヤリした風景」だけである。肝心の詳細な「文字や絵」は、全く思い出すことはできない。

 ここで、今、できたことと、できなかったことは何だろう?

 ・できたこと:行動そのもの、ぼんやりした風景

 ・できなかったこと:詳細な文字や絵の再現


 できたことは、何故できたのだろうか?

行動は、自分で決めたことである。また、その行動を実際に時間をかけて行うことで、記憶に重みずけがされている。だから、容易にできたのであろう。。。

ぼんやりした風景を思い出すことができたのは、その道具を行動の間中、ぼんやりと認知し続けていたからだと思っている。記憶が、インパクトとそれにふれた回数(時間)で強化されると聞いたことがあるので、ぼんやり覚えているということは、ぼんやりした理解を繰り返していたと考えたからである。

でもここで疑問が生まれる。なんで、ぼんやりなの?紙面上の文字を図形として眺めることは容易である。一つ一つ、しっかりと眺めることも容易である。瞳でとらえられる領域のピントを合わせるのも容易である。ピントを合わせることは、ぼんやりとではなく、明確に風景を見ている証拠である。しかし、その再現はできないのである。

見る時間が足りないのだろうか?見る回数が足りないのだろうか?試しに、5秒から30秒に見る時間を伸ばしてみる。そして、目を閉じて、その風景を思い出そうとしてみる。何となく、文字列らしきものが思い出されそうな気がするが、詳細は無理である。

一方、5秒見て目を閉じて思い出そうとする。また5秒見て目を閉じて思い出そうとする。を6回行う。こちらは、先ほどより思い出すことができる。

この実験では、見るとき、思い出すときに、言葉は絶対に使わないと決心している。

ここまでやって、見たものを言語でとらえなおさないで直接思い出そうとした場合、「見る&思い出す」を何度か繰り返さないと思い出せないと分かった。

つまり、カメラアイを持っている人は、どうやら、思い出す力が凄いようだ。

こう考えると、カメラアイの持ち主は、思い出し方が常人と異なるのではないかと思うようになる。

人は、思いだすとき、どうしているのだろうか?目をつむる?目をつむったら、思い出せる?

私が、昔から思い出すためにやっていることは、関連しそうな言葉の列挙である。そして、何かの言葉をきっかけに、言葉で記憶していたことが思い出されるのである。

ex). あの女優 →Xというドラマに出ていて、A子の役やっていた。→ YやZというドラマにも出ていた→Zについて友人と話した場面を思い出し、さんざん口にしたBという女優の名前を思い出す

風景を思い出すことはできるだろうか?目を閉じても視界は暗いか、眼球がかすかに捉えた光を脳が何物かに解釈しようとして薄ぼんやりした像が色々変わりながらまぶたに移るだけである。

ただ、「椅子」と聞けば、自分で好き勝手に作った心の中の場に、ポツンとある椅子をイメージできる。その世界の色は自由自在であり、椅子と聞けば、椅子が中心に静止しているのをイメージできる。

このとき登場する椅子は、多分、昔見たことがある物がベースになっていて、自分の理解の中で無意識に加工された物が出てくるのではないかと思う。というのは、見たことが無いものは、知っているものを組み合わせて作るしかないからである。

ここで、この私のイメージは、頭に力を入れていてもボンヤリとしかできず、胸?に意識を向けたときに、少し明瞭にできる。イメージしている物が、過去の記憶だとして、それが頭や瞼に力を入れても上手く出来ず、胸の辺りでやろうとすると少し改善される。このことから、想起する際のコツは、意識を頭以外の場所におくことが大事なのではないかと思うのである。

じゃあ、目に力を入れて物を5秒間明瞭にみて、目を閉じて、胸に力を入れて思い出せるであろうか??

→ やってみてもあまり変わらない。

目と胸に力を入れて物を5秒間明瞭にみて、目を閉じて、胸に力を入れて思い出せるであろうか?

→ 何となく、風景が左目の後ろ辺りに残りそうな残像感がある。

このことから、今の私が思うのは、カメラアイの人は、見るときの意識を置く場所と、思い出す時の意識の場所が、頭以外にあると思う。

今日はここまで。引き続き、記憶と想起について、独自に試行錯誤していきたいと思う。