物語の共感性について

小説や漫画を読んでいて、妙に共感する話と、読んでいる途中に止めようと思う話がある。今日は、その違いが何にあるのかを少しつぶやきたいと思う。

1.共感を呼ぶ話

 共感を呼ぶ要素とは何であろうか?そもそも、共感とは、共に感じることである。よって、ここでは、物語の登場人物と、読者 の考えが一致した状態を、物語に共感したと言えるを分かる。

読者である我々は、色んな常識を持っているが、物語で共感させるには、その常識の枠組みから大きく逸脱しないことが大事である。

例えば、青春物ならな、よくある色んな特徴の人が集まった教室を演出しなければならない。美男美女しかいないのは、その時点で共感は呼べない。

しかし、これで共感を呼べる状態がある。それは、我々のファンタジーという枠組みでの常識を前提とした物語の場合は、別である。その場合の学園物は、美男美女、スタイル、運動神経、頭脳抜群の集団が生まれる。

つまり、共感を生む話の必要条件としては、

① 物語の設定条件が、我々の常識から逸脱しないこと

である。

 次に、その常識の中で、我々が求めているストーリーとは何だろう?人が堕落し、ボロボロになり、他人を巻き込んで死ぬストーリーを待ち望む人は、いないと思う。とすれば、我々が好きな話は、サクセスストーリーである。

しかし、例えば、「ボクシング選手の話で、始めから(超能力か何かで裏打ちされた)無敗のチャンピョンで、淡々と防衛をかさねてギネスを取り、国民栄誉賞をとった!」という話があったとする。極めてつまらないと思う。というのも、超能力をもっており、人身ではどうあがいても勝てない絶対的優位さを備え、勝てると分かっている試合を消化しているにすぎず、そこには、苦労も、努力もないからである。

そう、サクセスストーリーには、苦労、苦境、逆境という置かれた環境の厳しさが前提にある。また、主人公の能力も我々と同等以下のレベルであることが望ましい。そんな人間が、努力を重ねることで成功を勝ち取るからこそ、我々はその登場人物に心を重ね、共感できるのだと思う。

その他、サクセスストーリー以外にも何かないか?意外性などどうだろうか?先ほど、常識が日常からかけ離れた話はNGといったことに逆行するようだが、非日常で読者を酔わせるのも物語の妙味である。例えば、「いつもの電車に普通のOLの私が乗っている。その日、偶然前で読書をしながら居眠りをしていた若い男が、列車が揺れた拍子に本を落とした。私は拾おうとして、彼もとっさに拾おうとした。その時、二人の手が触れあった…」というお話し。何かの始まりを予感させてくれないだろうか???

② 苦境、凡人、努力、成功、意外性 という要素が欠かせない

 さらに、我々人間は、物事の安定性を好む。天下をとったが、七日後に首を討たれて死んだ者の話は、それだけで共感以前の、読む気すら起きないという人がいる。※ 因みに、明智光秀のことです。

このことから、サクセスストーリーには、その成功の安定性を感じさせてくれる仕組みを示すことが肝要である。例えば、徳川家康の伝記を読んでみると、幕府を開いた時点で最早しばらく敵対できず、泰平の世の訪れを予感させてくれる。恋愛物ならば、二人の男女が付き合い、幸せな経験を重ね、結婚することを予感させてくれれば、幸せな括りとなる。

③ 主人公の身の上の安定性、永続性を感じさせることが大事

 最後に、登場人物が努力の過程で、「学び、心も体も共に成長し、個を確立する」という 要素も大事だと思う。というのも、格闘映画みたいに、ひたすらトレーニングするのも良いが、その過程で得意技を習得したり、考え方に前向きな変化が生まれたり、尖っていた心が丸く穏やかになったりという要素を入れると、そのキャラクターが好きになるからだ。例えば、ドラゴンボールのピッコロやベジータは、登場時は敵であったが、後に、心強い味方となった。ベジータは、地球人と世帯をもち、子をなし、その過程で地球人としての意識と愛情が芽生え、人が丸くなった。今でも、ベジータファンは多い。ナルトのサスケもそうだろう。余談だが、大河ドラマの本来の良さは、豪華な俳優を使うことではなく、人生訓を各登場人物の生き様から学ばせてくれることである。昨今の脚本では、それが感じられず、悲しい限りである。

④ 登場人物の、学び、心体の成長、個の確立 も大事。

2.例示

・恋愛物

① 設定条件:我々一般人の日常 [ 学校、職場、お店、主夫、主夫etc ]

② 大筋:平凡(以下)な私が、誰もが羨む美男子とひょんなことから出会い、色々あって幸せになる

③ 永続性:結婚

④ 成長と個の確立:自分磨き、思いやり、優しさ

・歴史物

① 設定条件:普通の農民、商人、町人、武士

②大筋:貧しい生まれの主人公が、博徒から田畑を守るために偶然近くに隠棲していた老剣豪に剣術を学び、剣名を馳せ、日本一の剣豪になる

③ 永続性:仕官し、所帯をもって子をなし、流派を開く

④ 成長と個の確立 :立身出世、生死の意義、兵法の極意

など

皆さんも考えてみたらどうですか?

【本日の癒し】相模川水系中津川

この川は、水深が深くなると、水の色が青くなります。相模川は、緑色になるのですが、、、癒されます。

身近な自然 (相模川)

今週も、癒やしを求めて、相模川に行ってきました。中国の春節の影響なのか、中国人や東南アジア人が、河原に沢山いました。折角日本に来たのに、相模川で石拾い??などと思いながら、彼らも、まして、地元の人も足を伸ばさないような場所に行ってきました。

1.河岸段丘の中腹

昨年の秋に、私が発見したスポットです。相模川の透き通った水の流れ、そのせせらぎ、鳥のさえずり、風と木々のざわめき、温かい陽の光、虫の声…私にとっては、歌や楽器、賛美歌よりも心に響く、自然のオーケストラです。この場所が、長く維持されることを願ってやみません。

2.岩場

河岸段丘から、川岸まで降りられる梯子があって、それを使って降りると、素晴らしい景色が広がります。川のせせらぎと、滝と風の音、鳥や動物の声しかしません。心にへばりついた粘着油のような汚れやストレスが、その自然の音に一つ一つ耳を傾けることで、洗い流されるような感覚を得ます。

天然の水瓶という感じですね。湖面を漂う泡は、この水瓶の中に、植物プランクトンがいることを感じさせてくれます。

3.河岸段丘を対岸からみた風景

水の流れが石にぶつかり、バラケ、互いにぶつかり、また交わり、そしてまた…

孫氏は、兵の動きは水に象ると言いましたが、水のこの動きは私達の人生のような感じがします。

もちろん、障害もなく、何不自由なく生き、暮らし、裕福に人生を終える人もいるでしょうが、そんな人はごく僅かです。障害が多いのに、まっすぐな性分の私は、きっと、この水の流れでいえば、石ころだらけのところを流れる水なんだなと感じます。

でも、そんな水も、いずれは本流に合流する。。。

また、頑張ろうと思います。

速読の認知って?

速読って、どうやって内容を理解しているのだろう。

私は、理解とは、まず対象を言葉で表現し、記憶の中のその言葉と紐付いた文字、映像、感覚と照合し、一致、または類推することだと思っている。

文書を理解するとは、文字を文字で受け取り、先とおなじ照合を行う。そのため、文字を文字で受け取るステップを確実なものにする音読は、理解のために有効である気がする。

しかし、フラッシュ暗算、バラララとあたかもカードを切るようにページをめくって読書する人をみて、私は、この人達は、そうした理解の手順ではないと思わざるをえない。

本当に理解できているのか?はおいといて、仮に、理解できているとしてどうやっているのかを考えてみようと思う。

まず、視覚的に情報を入れ込むのは、一般的な読書も速読も同じである。

次に、理解の仕方だが、ここが大きく異なると思う。

一般的な読書は、前述のような感じである。つまり、

文字→言葉で強くインプット→記憶内の文字・映像・感覚と照合→発見・類推

である。

一方、速読は、我々が電車の車窓を楽しむように読書をするので、文字を、一度、言葉で理解する行程を挟んでいない。読む速度が速くなる極意がここにある。つまり、

文字→記憶内の映像・感覚と照合→発見・類推

である。

このことから、どうすれば速読できるようになるのか、いくつか仮説できる。例えば、下記のようなことである。

① 単語(文字)を意識してしっかり見る。( 強く脳内にインプットするため )

② 普段から、「単語(文字)を映像化(イメージ)する」訓練をする。

これは、文字と映像のリンクを強くし、文字をみたら無意識に映像が浮かんでいる状態を作るためである。なお、同じ単語に対する映像は、毎回同じような感じが良い。毎度毎度考えていたら、結局その考える行程で時間をロスし、従来と変わらないからである。「海」という文字をみたら「浜辺、青く、広大で、水平線まで広がる水と空」などの要素を備えた情景が毎度浮かべば良い。この要素が、多く、鮮明であればあるほどよいはずだ。それだけ、脳に強くインプットされている証拠だからだ。

③ 普段から、「単語(文字)を感覚(匂い、動作、在り方)で捉える」訓練をする。

これは、文字を映像化できないものの理解を早めるために行う。例えば、概念、定義、時間変化、音、匂い、味覚、食感などは、映像化が基本できない。文章は、こうした用語を多用することで、深みがます。速読本はよく、映像化に焦点を当てているが、正直、それだけでは内容を理解できていないと思われる。

⇒ ②と③をまとめると、文字を五感でイメージする訓練を普段からする。

例えば、「頬に手が触れる」という文章であれば、「頬」「手」「触れる」の映像だけでなく、「自分の頬に手が触れた」「自分の手が誰かの頬を押した」感覚をイメージしようとするのである。この感覚が、読書速度を速めるトリガーであると私は考えている。つまり、各単語を視覚映像以外の感覚でも無意識に捉えようとすることで、単語間の連結を日常の生活感覚で捉えられるようになるからである。こうなれば、単語間に視線を走らせるだけで、無意識に内容を捉えることが可能となる気がする。

④ 単語(文字)を目で注視する速度、単語間を目で移動する速度を鍛える

①~③に習熟すれば、後は、視線を早く動かせば動かすほど、無意識に内容を五感で理解しているので、速度が上がる気がする。

⑤ バラバラのものを意味のあるものに組み立てる訓練をする。

恐らく、そのうちに、一列、または一行づつでは遅く感じるときがくる。その時は、面で捉える必要がある。しかし、文章には、主語、述語、修飾語などのように、成り立ちに規則がある。そこで、面で捉えた情報を意味のある組に構成する訓練を行い、それを無意識に行えるようにしなければならない。つまり、バラバラに散った物を再構成する能力の訓練が必要である。パズル、文法の正しい組み合わせを作る問題 などが最適な気がする。

という具合に、①~⑤が訓練して身につけている人がいれば、確かに、速読は可能な気がする。しかし、その方は、豊かな知識、経験、知恵、鋭敏な感覚、感受性を持った方なのだと思う。

今日、この場で自分で考え、こうすれば出来るのでは?と思ったことを、ちょって試してみたいと思う。

もし、この記事を読んでくれている人がいて、実践して良くなった!などあれば、お気軽に連絡ください😄

では!

本日の癒やし:相模川水系中津川

役員との対話

私の会社は、毎年、組織の構造改革を行っている、やばいところである。

従来は縦割りの組織であったが、3年前に横割りに切り替わった。色んな業務上の以降手段を経て、昨年から本格的に横割りになっている。

こにような記事を書くわけだから、現状どうなっているか?といえば、、、全く上手く行っていない。横割り型の組織とは、私の会社では、機能別組織を意味するわけだが、組織間の連携ができず、意思決定が遅れ、結局、従来の体制で物事を判断して製品を作っている始末である。

先日、この状況に焦りを感じた一人の役員が、平社員向けに意見回収の個別面談を実施してくれた。私は、現状を変えたいと常日頃思っていたので直ぐに応募し、面談をし、その役員に現状の課題を伝え、こうすれば改善することを意見具申した。

本日は、その内容を列挙したいとおもう。

みなさんも考えてみてほしい。

【現状課題】

・組織間の意思決定が遅い

・その解決法を「コミュニケーション不足」で片付けようとしている。

・責任者がいない

・プレーヤーに請負業務の禁止の徹底が求められ、責任が集中する

【私の見解】

・まず、組織の職務、職域を定義付けしましょう。こうしないと、各組織とその下の人員が、勝手に職務と職域を定義し、仕事をしなくなるからです。結果、全体に関わる設計職などに全てをやらせることになってしまうます。

組織感でかぶっている業務も必ずあるので、完全に定義するのは不可。抽象的に作り、議論して互いにかぶらない領域まで具体化し、定義化しましょう。

・次に、業務を束ねる責任者を立てましょう。言い換えれば、きちんと仕事をする管理職を立てましょう。こうしないと、全ての業務が担当に集中し、担当の判断が全てというおかしな状態になるからです。担当が行った内容を責任を持って判断し、より大きなゴールに導いてほしいものです。

・組織内、組織間の意思決定手法を定めましょう。例えば、複数の部署が関係する業務とその判断に関しては、「こうした方法で進められた業務と結果を、その責任者に対して説明し、このように承認されることで決定される」という具合に大枠を定め、事案ごとに個別に詳細を作っていくという具合です。こうすることで、「コミュニケーション不足」という言葉で片付けようとしている現状を、一歩推し進めた、仕組みが作れます。

・担当の請負業務の禁止に例外を定めましょう。担当が主体的に物事を考え、提案し、成し遂げていくのは良い姿です。しかし、業務日程が差し迫って担当の手に負えないと上長が判断したときや、会社の上意が新たに下った場合は、担当はそれを受けざるを得ません。この場合は、担当は、請負業務にならざるを得ないので、上意には従うが、方針に反することになってしまいます。日本の憲法と法律の関係のように、上意と業務方針にも力関係を明確にし、施行するべきと考えます。

皆さんは、どうおもうであろうか?

謹賀新年

皆様、あけましておめでとうございます。

本年も、よろしくお願いたします。

母曰く、今年の前半は、私はとても大変らしいです。。。小学4年生以降の人生で、大変じゃなかったときなど一度もないのですが、、、と思いながら、おみくじを引いたら、実に8年ぶりに大吉を外して、中吉でした。

その中身は、、大変だがその努力は報われる。。。と。。。

神様の御言葉を信じ、日々、健康に注意しながら頑張っていきたいと思います。

そんなかんなで、今年も箱根で正月を過ごしたわけですが、、、昨年の台風19号の影響なのか、湯質が極めて悪かったです。鉱泉という感じがしなかったです。ですが、駅伝の活気を近くで感じながら、ゆたりとした時間を過ごせた気がします。

箱根:塔の沢

新年の相模湖:光の路が美しい。私と皆の前途を導いてくださっていると信じている。

新年一発目の相模川で出会った猫ちゃん。一段づつ近づいてきて、私の靴紐を引っ張ってきた。

新年に浅川で見つけた堆積層の岩場:素晴らしいの一言。悠久のときを感じます。

新年浅川で出会ったセキレイ

新年相模川であったヒタキ?

本年は素晴らしい出会いに感謝をすることになりそうな、そんな気がします。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。