熟語を覚えるときに困ること

言語学習において、熟語を学んでいるときに困ることがある。

それは、「熟語を構成する各単語の意味をつなげた時の印象」と、「熟語帳や辞書にのっている熟語の意味」が少し違うように感じることがあるということである。

例えば、

be willing to do

という有名な熟語がある。

英語のような構造言語は、文の形で基本的な意味が決まる。そしてそれは単語の詳細な意味より優先されるのが、原則である。そう考えたとき、この熟語の形は、どう見ても「次の動作(do)に向かって進行中の動作」を示してしている。例えば、

I’m cycling to take beautiful pictures. (俺は美しい写真をとるために自転車をこいでいるとこだよ。)

という文章がある。cyclingというのは、自転車を運転することを指す動詞cycleの進行形である。目的に向かって、今まさに自転車をこいでいるので、進行形になっている。

同じ感じでbe willing to do をみてみると、willingは、動詞の進行形にみえる。willはその原義が「強い意思」を示すので、動詞に添えれば「その動作に強い想いがあることを強調する」助動詞になるし、単独で使えば「意思」という名詞だし、動詞として使えば「強い想いがある」となるはずである。そして、強い想いがあるというからには、「どんな?」を付けなければ意味が通じないので、後ろに「それを示す新たな動作」が必ず来るはずである。よって、will to do は、「doする強い想いがある」が普通の意味である。そして、その進行形は、「doしたいという想い(気持ち)が強くなりつつある」ということであろう。ということで、willing to doを一言でいえば、「doしたい」である。

ところが、単語帳や熟語帳は見ると、

willing:(形容詞) 自発的な, 前向きな

be willing to do:(動詞) doしてもよいと思う

などと書いてあることが多い。

確かに、be動詞の後ろにくる単語は、名詞か形容詞が基本である。しかしそのために、品詞ごとに意味を提示するのはいかがなものだろうか?繰り返すが、「be+〇〇ing」は今まさに目的に向かって進行中の動きを示す文の形であり、○○の核となる意味を掴んでおけば文意がほぼ確定できるし、使いやすい。

そして、もう一つ。上記のように、日本語と新たに紐づけされ直されることで、独立した用語として記憶することになり、使いにくく、忘れやすいということである。ときに、変な意味であることも多く、覚えにくい。例えば、be willing to do だが、熟語帳にはご丁寧に前記のwillingの意味がのっているので、be willing to doは、「doすることに意欲的だ。doする気がある。(強く)doしたい」と考えるのが自然である。しかし、訳語は、「doしてもよいと思う」である。なんだか、「doしたいのだか、したくないのだか、どちらでもよい」という印象を受けるし、willingのときはまだあった will のコアイメージ(強い想い)も消えてしまっている。 。。という具合に、混乱を生み、、使いにくくなってしまうのである。

これらは、大学や予備校などの先生方は大変詳しいでしょうから、是非、「核となる単語の提示と、文法的解釈で自然に意味が決まる熟語の削除」を徹底的に行った「単語帳と文法書が組み合わさった書籍」を作成されることを願ってやまない。