学ぶときの大事な意識

今日は、何かを学ぶときの大事な意識について呟きます。

〈前置き〉

我々人間は、快適に生きていくために、常に様々なことを学ばねばなりません。

例えば、社会と隔離された空間で自然を相手に一人で暮らしている人は、何もしないと、住む家も、食べる物もないので生きていけません。そこで、人類の英知を書籍やネットコンテンツから学んだり、自然の仕組みを観察し、その法則性を知り、衣食住に上手く活用する方法を模索したりすることが欠かせません。学びが重要です。

また、社会と隔離されていない場で暮らしている人は、その人がどんなに嫌だと言っても、多くの人と関わりながら生きていかねばなりません。その為には、他人が作った仕組みを素早く理解して生活に取り入れたり、自分で仕組みを作って社会運用させたりすることが必要です。そうしないと様々な損をし、空回りしながら生きていくことになります。常に、学び、上手に生きていく方法を模索し、行動していくことが大事なのです。

さて、そんな人の大事な営みである「学ぶということ」ですが、、いざ学ぼうとすると、その膨大な量に圧倒され、あきらめてしまう人が多いです。

〈本題〉

本日は、そんな膨大な量を前に、遅れをとらなくなる意識を、共有したいと思います。

・事前準備1:学びを始めるときは、雑念を消すこと。

・事前準備2:雑念を消すため、左脳側( 右手側 )の頭が、その内部まで硬化した想像をすること。

・事前準備3:腹式呼吸、または逆腹式呼吸を1分ほど行い、神経を落ち着かせること。

膨大な学習量に驚かなくなる意識

1. 学習目的を明確にすること。

2. 実践での使用を常に想定すること。

3.何でもよいから、まず実践で活かせるものを一つ作ろうとすること。

4.学習対象を階層図などで体系的に整理しようとすること。

〈説明〉

まず、事前準備です。ここでは、学びの妨げになる雑念を消すことが目的です。私たちは、脳や内臓の状態で反射的に時々刻々と様々な物を想起し続けています。それを明確に捉えることは「意識する」ことと同意であると私は考えています。このとき、特に活用するつもりでもないのに捉えたものが「雑念・邪念」です。じゃあ、なぜ邪念は生じるのか?それは、脳と内臓の状態が必要以上に活発だからです。特に、意識的な情報を扱うといわれている左脳の働きが活発過ぎると、邪念が働きやすいと思います。また、内臓も、満腹状態のときは消化・吸収・浄化活動が活発なので、その反射信号が脳を刺激するので、邪念の発生を促してしまうはずです。ですから、空腹状態の方が学習には適しているでしょう。

さて、ここまでの話から、雑念を消すには、左脳と内臓を落ち着かせることが大事だという主張が伝わったと思います。では次に、その為にどうするか?を述べます。それは、想像をすることです。人には想像力があります。目で見ているような風景は見えずとも、心の中に、「あれをこうして、あそこをああして、、、」などと考えることができます。これが、想像です。また、例えば、手に物を持っていなくとも、手に何か持っていることを想像していると手がムズムズしてきます。これが、意識をその場所に集中したということです。つまり、想像は、少なくとも想像した自分の身体の部位に、少なからず影響を与えることができるということです。この仕組みを使って、左脳がその内部まで硬化したイメージをするのです。石でも、氷でも、コンクリでもいいので、カチカチに硬化したイメージをします。上手くできていると、左脳の方、つまり右手側の頭の力が抜けてくる感覚があります。

次に、腹式呼吸か、逆腹式呼吸をします。これは、呼吸という意識的動作で自律神経を落ち着かせることで、脳と内臓を間接的に落ち着かせる作業です。例えば、6秒~10秒吸って、6秒~10秒吐く動作を行い、苦しくなくなったら自律神経が落ち着いたと考えて良いでしょう。

以上、長くなりましたが、事前準備の完了です。

さて、ここからが大事な学習姿勢の話です。

まず、学習意義を明確にしましょう。もてたいからとか、自慢したいからとかは、かけ離れすぎです。学んで、自分や社会にどのように役立てたいか?を明確にしてください。こうすると、学ぶ覚悟が固まります。学習途中で何か言ってくる輩に対しても、自信をもって発言できます。学習に対してブレない個ができます。それが目的です。

次に、常に、実践でどう使うか?を意識してください。

学校の試験や受験勉強ならば、どのように問題で問われるのか?を把握することが大事です。よって、過去問とその回答を理解してください。

これが、資格試験ならば、やることが二つあります。一つは、その資格が合格者に求める人物像が必ずあります。それを把握してください。そこでは、学習した知識を、社会で、どのように運用できる人材を選抜するかが記載されています。これが理解できると、資格問題に挑む姿勢が楽になります。というのも、資格の問題は「実社会での運用力を推し量れるように作られる」ので、運用の仕方にパターンがあります。よって、現場を想定した問題がでたときに、この運用の仕方のパターンで設問を見ると、現場用語などに惑わされたりせず回答方針が立ったりします。その為に、どのような人材を求めているのかを明確にするのです。試験要項を確認しましょう。ここで、求める人材の中に、知識を持った人とか、計算ができる人とか、その程度の試験は、、単に、暗記力や計算力を推し量る試験なので、暗記や計算を徹底してください。資格試験でもう一つやることは、受験と同じく、過去問の理解です。

また、金融や政治経済、ITなどの今の仕事や生活に直結する物事を学習する場合は、活かすことを想定して、問題意識を持ちながら資料に目を通してください。活かすことを想像できない人は、まず、自分は何を知りたいのか?やりたいのか?を明確にして資料に何度か目を通してください。

ここまでが、基本です。

ここからは実践ですが、、まず膨大な量の学習を前に、、立ち眩みがするのは、、その量の多さに問題があります。ここで、一部の天才や秀才のように、全部を短時間で覚えようとすると、実践力が伴いません。中途半端な知識や知恵は、実践の場では使い物になりません。そこで、まず一つで良いので、得意なものを作って下さい。例えば、英語の文法なら、関係代名詞の問題は任せろ!とか、日本史なら中世は任せろ!知的財産権なら、特許法は任せろ!剣術なら八相の構えからの右袈裟は任せろ!という具合です。この分野が広ぎるならば、さらにそれを直ぐに得意になれる範囲まで分解し、得意にするのです。試験問題は、学んだ箇所が出題されるかどうかは確率的な話なので7割程度習熟しないと現実的な対策はできません。しかし、得意な物が一つあるというのは、大きな救いになります。武術などでは、その一つの得意技の洗練によって頂点を取ることもままあります。

最後に、学習対象を階層図で体系的に整理してください。こうすると、学習の全体像が一つの図に集約されます。これは、自分が恐れていた対象が一つの図という小さな敵になったということで、一気に安心感が増します。また、自分の得意箇所の位置が分かるので、学習のモチベーションが増します。

学習対象を体系的に整理したイメージ図

体系的に整理するときに、もし、過去問などに出題分布などが書かれていたら、分かる範囲で、各分野の全問題に対する出題割合を算出して、体系図に書き込んでみてください。二分野で構成される問題は、問題を二分割して数えて下さい。まず、頻出分野から制圧して、実践での遭遇確率を上げたい人は、こうすることをお勧めします。

体系的に整理することの真の目的は、実践に挑むための基本姿勢の構築です。学習が進まない内は、体系図における末端の一部でしか戦えません。また、学習が3~5割ほどしか進んでいないと問題毎に分野が違うことがあるので、問題へ挑む姿勢を変えざるを得ません。これを「引き出し」に例える人もいるでしょう。しかし、これではまだ未熟です。真にその科目を究めた者は、各分野が全て得意なので、問題に挑む姿勢は、一つです。こういう状態で試験に臨むと、いかなる複合問題が来てもブレずに対応できるようになります。階層図で整理すると、出だしは必ず学習対象名の一つです。この一つの構えで試験などの実践の場に望む体制を整えることが、学びの最終的な到達点だと私は思っています。それで、必要とする目的が達成できるからです。

以上、長々と述べてきましたが、学習意欲のある者の助けになればと思うばかりです。

【本日の動画】やつぼの水の音

ここは、相模原市のこの地区に水道が引かれる以前、人々に潤沢な水を提供してくれたオアシスです。河岸段丘の崖から染み出した地下水が崖を伝って川に流れ込む前に、一段溜池を作って、生活用水として利用できるようにした場所です。昔から、神様のように崇められて大事にされてきました。令和の時代になっても、清らかで潤沢な量の水の流れる姿を見せてくれています。映像と音に触れていると、頭が冴えてきます。いわゆる、パワースポットなのかもしれません。

学校教育は大事という話

これは、私の会社に多くいる可哀想な人々のお話です。

ある日、開発現場で担当技師の一人が、試験検証の結果データをまとめ、結果の信頼率を元に設計方針に関する提言を開発メンバーにしました。

担当技師:

「 Xという状況下で、懸念される事象が起こるかを検討しました。その結果を報告いたします。

  まず、懸念される事象は、簡単な数理モデルによると、想定範囲内では起こらないといえます。

  次に、この予測を試作品により実施検証を行いました。試験回数は、条件毎に10回です。

  結果、Y量については、平均値A±2×不変標準偏差σs でした。

  Y量が、閾値Zよりバラつきを含めて小さければ、X下で問題は起こらないと言えます。

  今回の結果から、信頼率95%でY量はZより低いので、懸念事象はまず起こらないと言えます。

  よって、懸念事象に対する現状の設計方針は、現状のままで問題ないと考えます。」

上司:

「 多分とか、ダロウとか、予測じゃダメだよ。100%問題ないことを示せよ。」

担当技師:

「 信頼率95%で懸念事象は起こりません。

  何σsをとっても、信頼率を100%にすることは出来ませんが、どうすればよいのでしょうか? 」

上司:

「 試作と実験による現物確認をするしかない。やれ! 」

担当技師:

「 今回の報告内容は、仮説と、試作、及び現物評価によって導いた結論です。信頼率を高めた見積もりを出したり、試験回数を増やしてバラつきを小さくしたりして、予測精度を高めることはできますが、100%は不可能です。新たな実験を繰り返しても、そこから100%といえる判断を下すことは不可能です。手段や合格基準を、ご教授いただけませんか?」

上司:

「 そんなことは分かっている。それを考えるのが、君の仕事だ。教えちゃ君の為にならない。」

担当技師:

「 ?????

  申し訳ありません。私には、分かりかねます。会議後で、個別にご指導いただけませんか? 」

上司:

「 しょうがねーな。分かった。まず、詳しく教えてね。」 (完)

これは、それなりの大手と呼ばれる会社の設計部での話である。私の部署の同僚の報告に関するものである。この上司は、数多くの問題があるのがお分かりいただけるであろうか??

まず、この上司は、下記の中高生でも知っていることを理解していない

①. 世の中に、100%と断言できることは、思考している自分の存在以外、ない。( デカルト )

②. 思考している自分の存在を除くあらゆる事象は、予測でしか表現できない。

次に、下記の大学生なら常識なことも分かっていない

③. 予測は、基本的に「確率、統計、微積、経験則」で行なわれる。

④. 実験結果の再現性は、統計的に表現することが現状最も曖昧さがない。

以上が、科学技術的判断に必要な最低限の視点である。よって、まずこの上司がするべきなのは、部下の報告が不安ならば、「予測方法の精査」を議題とし、数理モデル、実験方法、その判断の仕方、について確認と訂正を行うべきなのである。特に、統計的な判断がなされている場合は、自分が、信頼率がどのくらいならGoサインを出せるかを明確にしなければならない。それでも不安ならば、その不安点とその不安の根源たる過去の経験を示し、新たな分析をする指示を出すべきである。

さらに、この上司の欠点は続く。

まず、自分が満足できる結果と、それを得る手段や状況を回答できない。これは、無能そのものである。

次に、自分の不勉強を棚に上げ、回答できないことを隠し、答えることは為にならないなどと言う

特に最後の、「答えることは為にならない」などは、全く持って非建設的な発言である。なぜなら、他のメンバーの発言機会を止めることになり、議論が出来なくなるからである。

この上司のような人間は、技術系管理職としての能力があまりにもかけている。頭が悪い。

また、管理職としての導く力もない。なぜなら、「自分ならこうして、こう判断するから、こういう手段で、こういう結果を持ってきてほしい。」と言えないからである。全て人の意見に乗っかり、食い散らかすだけである。

後日、この同僚は、さらに上の部長に報告し、その方には内容が円滑に伝わり、その方の働きかけで「時間もないから部長の一任ですすめるよ」という体で、先の上司たちの面目を潰さないようにして話が進んだ。

学校教育は大事です。この上司は、国内では有名な私大卒だが、基本的な技能が欠如していると思われる。もう一度言います。学校教育は大事です。