今年も新人が入社してきた。
スーツに身を固め、元気な挨拶をし、礼儀正しくする様は、とても清々しいものである。
この就職というのは、この日本において、人が受動的でありながらも大きく変化できる最後の機会であろう。
低学歴な者は、語学や資格などを習得して信用される個を確立し、それを社会に役立てて欲しい。
高学歴な者は、その鍛えてきた地頭を使ってよい仕事をし、社会をより豊かにして欲しい。
そして、学歴関係なく、常に「志(こころざし)」を掲げて生きて欲しい。
先輩社員の一人として、彼らとの協業と成長、活躍を楽しみにしている。
これらが、私の素直な気持ちである。
余談だか、学歴は就職を有利に働かせるためではなく、自分が「社会で活躍するために必要な知性を養うため」に修得するものである。
知性とは、「教養」「仮説思考」「問題解決能力」のことであると私は考えている。社会に出て行う仕事というのは、答えのない問題である。それを答えのありそうな問題に落とし込む頭の使い方が、仮説思考である( 例えば、「○○として、◆◆とする。その場合、、、云々」と言う具合 )。そして、程よく加工した問題を処理する能力が、問題解決力である。
これは、極めて重要な能力である。このことが分かっていないと、有益な成果を上げることは出来ない。仮に管理職になったとしても、成果を出せず有能な人材を潰すので、組織を破滅に追いやることになる。実は、日本は、バブル期前後から仮説思考と問題解決力のない無能な管理職が増え、革新が求められる昨今、成すすべがなく有能な若手を潰すことしかできず、高給をむさぼり続けている会社が多いように感じる。
この現状に歯止めをかけるには、こうした現状に気が付き能動的に努力をし続けてきた私や私のような人と、こうした知性を備えた若手が協力し、社会を回していくしかないのである。その為、一人の先輩として、私は彼らに自分の実力を示すことで教えていきたいと思っている。積極的に悩みを聞き、助言を与えようと思う。説教にはならないように心がけたいと思う。そして、私生活には踏み入らないように心がけたいと思う。
話を少し戻すが、どんなに学歴を積んでも、上記の知性を養えていないのならば、学歴を積んだ能力的な意味はないと思ってほしい。中学を出て、職人になり、自分の仕事に責任をもって汗を流している人の方がずっと有能である。大工さん、左官屋さん、理容師さん、、、彼らの社会貢献は、下手な大卒や院卒より上である。このことを肝に命じ、襟を正しながら社会人生活を送ってほしいし、私も日々精進したいと思うのである。