電験三種に合格した話

先日、電気主任技術者三種試験に合格した。

学生時代に習得を試みたが、片手間で勉強するには難しすぎて合格できなかった。

社会人になってからも三度チャレンジを試みたが、業務や人間関係の問題に追われて勉強に身が入らず、合格できないでいた。

※ 人間関係の問題:過干渉、低俗、低級、精神異常な連中が多くいる職場だったので、毎日それを受け流すのにえらい苦労をしたということ。

そんなとき、コロナが流行り、一時的だが在宅勤務することになり、自分の仕事である製品開発も開発日程が大幅に修正されるようになり、思わぬ時間ができた。そして、再度のチャレンジを志した( 年齢的にもラストという意気込みで!)。今年の5月からは ( 隙間時間を合わせて ) 何とか毎日2.5時間の勉強時間を確保し、無事、四科目を一気に合格できた。なお自己採点では、「理論:90、電力:95、機械:70、法規:80 」であった。平均合格率が7~9%を推移する難関国家資格でありことと、生涯通用する職業資格であり、昔から憧れていたので、喜びもひとしおであった。余談だか、私の親族の大人で、唯一、国家資格を有していないのは私だけだったので、そういう意味でも、長い呪縛から解放されたような不思議な感覚があった。。

この試験には、本当に、色々と思い入れがある。色んな情報に惑わされながら、試行錯誤を繰り返した。

さらに、試験本番では、とんでもない失態( 電卓を忘れた )をしてしまったが、覚悟を決めて臨み乗り切った。この試行錯誤と対応力こそが、私が今日まで磨いてきた一番の宝物であり、これを共有することが、電気主任技術者三種試験合格の誠の近道であり、社会貢献であると思い、、ブログに書こうと思った。

今後、折に触れ、電験三種のネタを書きたいと思う。温かい目で、読んでもらえたらと思う次第です。。では!

【本日の動画】中津川の美しいせせらぎ

仕事、プライベート、資格勉強をする中で、苦しいこと、悲しいこと、思い悩むことがあるとき、私は自然に会いに行きます。この中津川のせせらぎには何度救われたことか。動画を通じて、その優しさを感じてもらえたらと思います。

覚悟の欠如

日々生きていて、様々な人と出会い、接し、観察する中で、5年ほど前から、私が目にする多くの人々( 全てではない )に対して思い続けてきたことがある。

それは、「覚悟の欠如」が目につくということである。

仕事をしていても、やり切る覚悟がない。

勉強をしていても、成就させる覚悟がない。

恋愛をしていても、相手と協力して幸せになろうという覚悟がない。

人の親になっても、子のために尽くす覚悟がない。

働く能力があっても、何かと理由をつけ権利を主張し、人様の厄介になろうとする。

男女関係なく、日本国民たる自覚、愛する者を守る覚悟がない。当事者意識がない。

目の前の現状を良くするには、自分からやらなければならないのが、道理である。

もっというと、無人島に自分しかいないとき、空腹を癒すには、自分から動かねばならないのと同じである。

殆どの人は、ここまでは分かっているのである。何をすることが正道であるかは、分かっているのである。

しかし、「やる」と決めた時に、その心を維持し、完遂することが出来ないのだ。

つまり、覚悟が、不足しているのである。

だから、

仕事をしていても、放り出そうとする。※ より良い方向を模索し、見つめ直す行為は別。

勉強に身が入らず、寝る、遊ぶ、飲んだくれる、SEXする、、結果、試験などに落ちる。

恋愛しているのに、相手を思いやれず、逆に、相手の導きや「らしさ」が足りないなどと言い、逃げる。

子をもっても、ネグレクトをする。※ だから、多くの人は、未熟な精神と知性のまま大人になる。

働く能力があっても、言い訳する。そこに付け入る、くだらない政党の無計画な甘い諌言に洗脳される。

日本国民なのに、愛国心や皇室への畏敬の念がない。自分が、何かをして、国と皇室のために貢献できないか?と考えられない。

のである。( 同じことを、二度言いました。 )

どうして、覚悟が足りなくなってしまったのか??その理由は、後日、持論を述べたいと思う。

お休みなさい。。