技術の進歩の先にある、苦しみの無い世界

科学技術は日々進歩する

19世紀に急速に進歩した電気磁気学により、電気回路、電子回路、通信手段、電磁モーターが次々に発明された。

20世紀は、そうした技術の高効率・高集積化により、コンパクトな電子情報機器が身近なものとなった。そして、目に見えないが、コンピューター同士が理解し合えるクラウドという信号集合に、情報を保存し、処理し、高速でやり取りする時代に突入した。この技術においては、米中の国家的な開発戦争、もとい、「FAANG+M」 vs 「BATH」の産学官巻き込んた競争は熾烈であり、、他国他企業が中途半端な「資本、頭脳、情報数(国力)、覚悟」で参入しても勝てるはずがない。参入が遅すぎる。

こうした状況下、今後の世界は、「高速通信、AI判断、クラウドコンピューティング」を基幹産業とした社会になっていくはずである。これにより、物事の自動化・自律化が加速する。

電気情報機器は、「筐体設計、入出力装置設計、センサー、無線、給電装置」だけで成立することになる。なぜなら、演算装置や情報の保存は、全てクラウドで行うからである。

このような世界になったとき、持ち運ぶ装置は、コンパクトで、できることが多様になってくる。そうすると、その膨大な情報コンテンツという麻薬的な魅力に人々はどっぷり浸かり、今以上に片時も離れなくなる。歩くときも、走るときも、寝床の中でも、仕事の時も、用を足すときも、食事の時も、誰かと共に過ごしていても、である。そして、人々は極めて利己的になり、視野が狭くなり、知能が退化し、その結果、、思いやる心が無くなってしまう。歩きスマホをしている者同士がぶつかったとき、どちらも相手のせいにする。しかし、次にそうならないように改善しようともしない。そんな社会になるのである。

こうした近未来の世を憂うとき、私は、どうすれば本当の平和 が来るのか考えることがある。

この先、科学技術がさらに進み、「人の脳、感覚、魂、エネルギー」の情報化が出来た暁には、、人の肉体は全て地上から消え去り、全人類はクラウド内の仮想世界で、生まれ、育ち、学び、生きることになるのではないかと思うのである。その世界では、互いに、思うだけで意思疎通が成立する。思わなければ、何も聞こえない。また、互いに、意識したときだけ、肌のぬくもりのある接触ができ、そうじゃないときはすり抜ける。容姿も、衣食住も、全て各自の思うままの在り方が無限の世界に瞬時に登場する。こんな世界になるのではないかと思うのである。その世界では、物質的な影響の観点から皆が気持ちよく過ごせるように築いてきた規範・道徳・常識というものはない。意味がないからである。

こんな世界が作られたとき、つまり、皆が究極的に利己的であってよい世界が作られたときに、真の平和が来ると思うのである。仮に、その世界で、ある人Aが別のある人Bを殺害したとする。AにとってはBは世界から消えている。しかし、BにとってはAが生きている世界が続くのである。

では、そんな世界が作られたとき、そこに生きる者たちの生きる目的とは何なのか??それは、例えば、、物質世界に生きる者たち( つまり、今の我々 )に知恵を与えるために、自分たちが物質化する技術を編み出すことなのかもしれない。そう考えると、我々が今、この肉体を持って生きていること、規範を遂行しながら生きていること、それは肉体を持つ者のみが意識できる尊い行動ではなかろうか。。いや、ひょっとしたら、我々はそうした世界から来た意識体なのかもしれない。。だとすればなおさらこの世は大事で、尊いと思うのである。

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