これは、私の会社に多くいる可哀想な人々のお話です。
ある日、開発現場で担当技師の一人が、試験検証の結果データをまとめ、結果の信頼率を元に設計方針に関する提言を開発メンバーにしました。
担当技師:
「 Xという状況下で、懸念される事象が起こるかを検討しました。その結果を報告いたします。
まず、懸念される事象は、簡単な数理モデルによると、想定範囲内では起こらないといえます。
次に、この予測を試作品により実施検証を行いました。試験回数は、条件毎に10回です。
結果、Y量については、平均値A±2×不変標準偏差σs でした。
Y量が、閾値Zよりバラつきを含めて小さければ、X下で問題は起こらないと言えます。
今回の結果から、信頼率95%でY量はZより低いので、懸念事象はまず起こらないと言えます。
よって、懸念事象に対する現状の設計方針は、現状のままで問題ないと考えます。」
上司:
「 多分とか、ダロウとか、予測じゃダメだよ。100%問題ないことを示せよ。」
担当技師:
「 信頼率95%で懸念事象は起こりません。
何σsをとっても、信頼率を100%にすることは出来ませんが、どうすればよいのでしょうか? 」
上司:
「 試作と実験による現物確認をするしかない。やれ! 」
担当技師:
「 今回の報告内容は、仮説と、試作、及び現物評価によって導いた結論です。信頼率を高めた見積もりを出したり、試験回数を増やしてバラつきを小さくしたりして、予測精度を高めることはできますが、100%は不可能です。新たな実験を繰り返しても、そこから100%といえる判断を下すことは不可能です。手段や合格基準を、ご教授いただけませんか?」
上司:
「 そんなことは分かっている。それを考えるのが、君の仕事だ。教えちゃ君の為にならない。」
担当技師:
「 ?????
申し訳ありません。私には、分かりかねます。会議後で、個別にご指導いただけませんか? 」
上司:
「 しょうがねーな。分かった。まず、詳しく教えてね。」 (完)
これは、それなりの大手と呼ばれる会社の設計部での話である。私の部署の同僚の報告に関するものである。この上司は、数多くの問題があるのがお分かりいただけるであろうか??
まず、この上司は、下記の中高生でも知っていることを理解していない。
①. 世の中に、100%と断言できることは、思考している自分の存在以外、ない。( デカルト )
②. 思考している自分の存在を除くあらゆる事象は、予測でしか表現できない。
次に、下記の大学生なら常識なことも分かっていない。
③. 予測は、基本的に「確率、統計、微積、経験則」で行なわれる。
④. 実験結果の再現性は、統計的に表現することが現状最も曖昧さがない。
以上が、科学技術的判断に必要な最低限の視点である。よって、まずこの上司がするべきなのは、部下の報告が不安ならば、「予測方法の精査」を議題とし、数理モデル、実験方法、その判断の仕方、について確認と訂正を行うべきなのである。特に、統計的な判断がなされている場合は、自分が、信頼率がどのくらいならGoサインを出せるかを明確にしなければならない。それでも不安ならば、その不安点とその不安の根源たる過去の経験を示し、新たな分析をする指示を出すべきである。
さらに、この上司の欠点は続く。
まず、自分が満足できる結果と、それを得る手段や状況を回答できない。これは、無能そのものである。
次に、自分の不勉強を棚に上げ、回答できないことを隠し、答えることは為にならないなどと言う。
特に最後の、「答えることは為にならない」などは、全く持って非建設的な発言である。なぜなら、他のメンバーの発言機会を止めることになり、議論が出来なくなるからである。
この上司のような人間は、技術系管理職としての能力があまりにもかけている。頭が悪い。
また、管理職としての導く力もない。なぜなら、「自分ならこうして、こう判断するから、こういう手段で、こういう結果を持ってきてほしい。」と言えないからである。全て人の意見に乗っかり、食い散らかすだけである。
後日、この同僚は、さらに上の部長に報告し、その方には内容が円滑に伝わり、その方の働きかけで「時間もないから部長の一任ですすめるよ」という体で、先の上司たちの面目を潰さないようにして話が進んだ。
学校教育は大事です。この上司は、国内では有名な私大卒だが、基本的な技能が欠如していると思われる。もう一度言います。学校教育は大事です。