エンジニア,問題解決,基本

私は、機構設計という分類のエンジニアである。

材力、工力、流体力学、回路、熱、統計力学といった知識を駆使して、製品を成立させる形状や機構を作るのが仕事である。簡単に言えば、製品を目に見える姿にするのが仕事である。今を時めくソフト設計者は、機構設計者が作った物に、命を吹き込む役割である。これもまた、重要な仕事である。

本日は、こうしたエンジニアが、業務上の問題を解決するときにやるべきことを申し上げたいと思う。

それは、「問題をしっかり把握し、原因仮説を立て、個別に対策法を立案する」ということである。

こんなことは、当たり前のことなのだが、実際に、それなりの大手と言われる会社で何年も働いていて思うのは、この当たり前のことができない人がほとんどなのである。

本日、私か申し上げたいことは、これで終了である。ただ、話を終わる前に、「この当たり前のことをやっていない殆どの人は、どうやって対策してきたのか?」を示したいと思う。自分が、そうなっていないかを自問してもらうためである。

【多くの人の問題対策の仕方】

 過去の類似した成功体験を思い出す ➡ ( その「仕組み」を理解せず )対策を実行する

このアプローチの良くない点は、二つある。

① 目の前の問題を、分析していない。

そのため、成功体験における問題が、直面している問題と等価か分からない。

よって、対策が的外れになる可能性が高い。失敗してしまったら、また類似例を記憶から探せばよいと言うかもしれないが、そんなに沢山の記憶を引っ張り出せる人は中々いない。ベテランでもそうである。それができる人がいる職場は幸せだか、それはまれだと思った方が良い。大抵は、皆、沈黙である。

② 成功体験が何故成功したのかの仕組みが、分かっていない。

そのため、対策が失敗したときに、なすすべを失う。このとき、失敗した事実を元に、思い付きのCUT&TRYを積み上げて結果を出す方法もあるが、これでうまくいことは中々ない。上手くいったとしても、予想外の時間とお金を費やすことは確実である。

こうならないようにするためには、「問題を分析し、原因を仮説立て、対策案を立てる」という思考を、大学受験であったり、大学や大学院の研究を通じて多くの人は学んできたはずなのだが、いざ、実際に取り組むとなると、何故か出来ないのである。

本日申し上げたことは、実は、ベテラン社員が良くやりがちなことである。ベテランになると、経験が沢山蓄えられてくるので、無意識にそれを過信し、その中で解決しようとするからである。そんなとき、その成功対策の原理が分かっていて、かつ問題が過去の成功体験と等価であると分かる場合ならば良いのだが、、同じような課題に対してベテランでも、、若輩と同じく、むしろそれ以上に問題解決に難儀している姿を多く見てきて、ああ基本を疎かにしているんだなと、確信をするのである。

【本日の動画】高麗川のせせらぎ

最近、少し体調を崩しており動画の撮影に行けていません。少し前に行った、高麗川のせせらぎです。ボーっと眺めていると、眉間の左側が何だかムズムズしてきます。

あの人は今…

そんな題名の企画番組が、昔やっていたっけな。。

ゲストの芸能人の友人の近状を暴く番組なので、別に知ったところでどうという話ではないのだが、、その芸能人の生まれ育ち、知人への思い、人生という物を感じられるのが良かったと記憶している。

私も、恩師、仲間、ライバル、好きな人、嫌いな人、色んな人に出会ってきた。

その時その時、それなりに親しくても、環境が変われば、自然と希薄になり、ついには他人となる。

最近は、SNSのお陰で、学生時代の友人たちとは、何となく繋がっている気がする。

しかし、実際にSNSから近状が分かるのは、今が充実し、かつ余裕のある者だけである。

私は、もちろんSNSなどに書く近状は、ない。

あえて言うとすれば、春先に、無理やりお見合いをさせられたが、その交際をお断りしたことくらいか。。

幸せであるかといえば、幸せである。下記のように考えて、幸せとした思えないからだ。

80歳になった自分が、30代の自分になれたらどう思うだろうか?きっと、幸せで飛び上がり、走り回り、健康であることに感謝し、悩んでいる間もなくやりたいことをするであろう!ということをイメージすれば、、やはり今は幸せなのである。

こう見えても、夢も目標もある。その為の努力は人一倍している。ただ、堅実に進めようとするあまり、時間がかかるのが確定的な目標である。そのため、周りが焦らせ、私もそれをくみ取り焦り、それがしばしば寂しさと悔しさを私に想起させ、私の満たされない心理状態を作るのである。

職場での意志疎通の成立性

会社で、仲間と仕事をしていく上で、意思疎通は大事である。しかし、会話がスムーズに進む人とそうでない人がいる。こうした状況を数多く経験してきて、その原因の一つは、双方の精神年齢とIQの差が大きく関係しているのではないかと思い、つぶやくことにした。。

職場での意志疎通の成立に影響すると思う要素

① 精神年齢

② IQ

本日の話は、上記の視点を前提に展開する。①は思慮深さ、胆力のことをさす。②は頭の良さのことをさす。私は、共に仕事をする者同士が、この①と②の観点から、どの組み合わせのときに意思疎通がうまくいっているかを、自分の経験と他人の観察によって、整理してみた。下記の図1~3で示す。

( ※ 当然、 一般性はない。あくまでも参考意見に留めて頂きたい。 )

図1. 共同労働者同士の精神年齢とIQの高低による意思疎通の成立感1

チンパンジーのIQは、一説によると50程度である。人間で極度の低IQと呼ばれる者は、70程度。チンパンジーとの差は、20ほどだが、人は言語を操り、記憶、計算、推論を行うことができる。何を言いたいかと言うと、IQ20程度の差は、感受できる世界、できることが大きく違うということである。なお、人で言えば、89以下は低IQ、90~109は普通、110以上は高IQである。先のIQ20の差を適用するならば、高IQと低IQは意思疎通が成立しない。この観点から、まず、意思疎通の成立性を〇×△で示した。

ここで、精神年齢という概念を持ち込む。精神性の高い人は、共に何かをしようとすると、歩み寄りの姿勢を見せる。賢い者は、相手に伝わるように会話の程度をかみ砕き、平易な表現で言い換える。一方、知能の劣る方は、分からないなりに思考を行い、相手との理解の差を埋めようと努力する。この双方の歩み寄りにより、単純なIQ差で会話が成立しなかった者同士が、会話できるようになる。図2にこの歩み寄りの概念図を示した。

図2.「歩み寄り」が、意思疎通におけるIQ差を縮める概念図

これは、言語とイメージを操る人間だからできることである。こうして、図1に見られるように、双方の精神性が高まるにつれて、意思疎通の×が△に、△が〇になる場合があることを表現した。

図3. 共同労働者同士の精神年齢とIQの高低による意思疎通の成立感2

図3では、IQと精神性がそれぞれ一ランク異なる者同士の意思疎通の成立感を示した物である。先ほどの、IQと精神性が高くなることで見られる歩み寄りの姿勢により、表現した。上位の知能、低精神年齢の者は、基本的に下位の知能の者と共同作業ができないので、要注意である。

以上の考え方に従って、図1や2で表現されていない関係も考えてみて欲しい。職場で自分が意思疎通しにくい人と自分の立ち位置が分かり、気持ちが整理されることを期待しているからである。そうすれば、接し方を考えやすくなるとおもうのである。

【本日の動画】鎌倉のとあるお寺

のんびりお散歩を楽しんできました。時間が早かったので、あまり人もおらずよかったです。カエルの合唱、鳥の美しいさえずり、、何とも心が落ち着きます。こうした風情を感じられる鎌倉は、素晴らしい場所だと思うわけです。。

数式での遊び

機構設計者として、日々仕事をしていると、色んな問題に直面することになる。

Q: こんな構造は、どうやって作るのか?

  • 材料は?
  • メカニズムは?
  • 強度は?
  • 時間変化は?
  • 入手性は?
  • コストは?
  • 加工性は?
  • 組み立て性 は?[量産性]
  • 法律は?
  • 管理は?
  • その他…

熱設計者なら、

Q: この筐体サイズの中に、こんな発熱部品があるのだが、部品は使えますか?

  • 筐体サイズは?
  • 部品サイズは?
  • 部品毎の発熱量は?
  • 部品毎の目標温度( = 動作保証温度 )
  • 使用環境は?
  • 騒音値の制限はあるか?(=強制空冷ができるかどうかに関わる)[静音性]
  • それで冷えるの?[冷却性]
  • もっと小さくできないの?[小型化・薄型化]
  • もっと軽くできないの?[軽量化]
  • 金属なら回路部品との絶縁を取らないといけないけどどうすんの?[絶縁]
  • コストは?もっと下げられないの?[ロウコスト]
  • 加工性は?
  • 組み立て性は?
  • 入手性は?
  • 法律?
  • 管理?

などなどである。

熱設計の場合は、開発開始時点で、筐体サイズが決まっていなかったり、内部に搭載する部品の種類、数、サイズ、発熱量が決まっていなかったりする中で、常に、上記の質問を問われ、必ず「最適か?」という質問が副えられる。しかも、要求事項の全体像が分かっていない無能な企画者が多いと、設計者が見積もりを出すために「条件設定、定義」をすることすら否定される。。。

この状況に対して、一般的な理系の大学教育を真面目に受講した者ならすぐに分かるが、「条件設定が禁止された関数の最適化は、不可能」なのだが、そこが分からないのである。勉強はしっかりしましょう。思うだけで、技術の積み上げを超越した物ができるほどの技術を、我々人類はまだ手にしていないのですから。。

さて、前置きが長くなったが、、機構設計者は、上記のような多くの質問に常に答えなければならないのである。これらは、侃々諤々(かんかんがくがく)とした議論を続けていても、全く答えは出ない。計算をするか、実験をしてデータを元に推論をしていくかでしか、答えは出ない。実験は、基本的に試作をして行うので、お金と時間がかかる。いずれも有限なものですから、大切にしなければならない。そこで、基本的には、計算をして、試作をするにたる予測をするのが重要になってくるのである。。

では、どうやって計算をするのか??

一般的な強度計算に対しては、材料力学の教科書を引っ張り出してきて、モデリングしようとしている形状を角柱や円柱に簡易化し、その上で、変形や強さの関係式、安全率の概念を適用すれば、おおよその指針が立つ。その計算で強度がNGならば、CAEをやっても恐らく強度NGで、試作をしても同じである。

例えば、ある部材の変形量に関する議論においては、一つの関係式を元に、結構な設計の見通しを立てることができる。

【最大変形量の関係式】

上図は、材料力学の教科書やHPをみれば直ぐにでてくる情報である。

δ:最大変形量、L:材料の長さ、E:縦弾性係数(材料で決まる)、I:断面二次モーメント、F:付加する力、w:材料の幅、t:材料の厚み、kやαは係数。この係数も、前述の教科書やHPを参照すれば、直ぐに出てくる。正の値である。

設計する場において、材料の厚みtを何ミリにすればよいか?という議論があったとする。この時、例えば、上の式において、L,w,E,Fを固定すれば、、、

という関係式に整理できる。A=kL^3/(Eαw)

とすれば、、、

上図のような具合のイメージをすることができる。これによると、ある厚みから先は、変形量が大して変わらなくなるということなので、そのギリギリを攻めよう!という判断が可能になる。因みに、この時は既に使う材料の目星がついているはずである。世の中に出回っている材料には、、特に、板金は、鋼材の厚みがある程度限りがあるので考えやすい。例えば、上の関係式での比較の結果、0.7tと0.8tでは、力に対する変形量は0.1%しか変わらなかったとする。もう一段薄い、0.6tだと、0.7tに対して一気に5%も大きく変形したとする。。。どうやら、今の構造だと、厚みの限界は、0.7tにありそうだ。。。強度、軽さ、流通性を加味して、、よし、07tで行こう!と判断できるのである。

これらは、所詮は、数式の遊びである。

つまり、受験勉強でお馴染みの、「問題を理解して、覚えた知識を当てはめて、その枠組みの中で答えを出す」、、それと同じことである。

よく、社会人になると、、理系の、とりわけエンジニアになると、、学問や数式遊びなんて糞喰らえだ!感覚だ!経験だ!という風潮がある。そういった人たちの設計は、結果的にまともであったとしても、「これは最適なのか?」「それ以外は可能性はないのか?」という問いかけに対して「これが最適ですよ!だって、あれもこうやっているし(=具体例の提示が根拠。その具体例って本当に最適なの?という突っ込みには詰む)」「やってみなきゃわからないです。試作しましょう!(=そんなに予算がないプロジェクトチームはどうすんの?CAEでもやろうかね?)」という具合にしか答えられないのである。

感覚や経験は、もちろん大事である。でも、それが身につくまで若手エンジニアの成長を見守るほど、昨今の開発競争は悠長ではない。また、CAEはデータ作成のためにパソコンの前で四苦八苦することになり、経験豊かな人が使わないと時間がかかってしまう。こんな状況下で、短時間で、見通しのよい設計判断をするためには、数式遊びは極めて有効だと私は思うのである。

後ほど、熱設計に関する数式遊びを紹介したいと思う。。こうした情報発信が、試作前の設計判断の効率化に貢献できれば幸いである。。。では。。

なお、こうした数式の遊びをしたものは、終わった後にフォーマット化しておくと便利です。理由(目的)は下記です。

① 思考の総点検

② 次回以降、一から思考しなくて済む。時間短縮。

③ 入力値をかえたとき、結果の変化を直ぐに見積れる。

フォーマットの作り方は、過去記事を参考下さい。

理解・記憶・想像・読書

人は、視覚を通じて多くの情報を得る。

この視覚によってられる情報は、目で受容され、脳内で電気信号に変換され、認知される。この認知についてであるが、脳が既に知っていること(=電気信号)を無意識に引っ張り出し、合成することで起こるらしい。

つまり、今、我々が見て、時々刻々変化している世界は、「目に届く光」「その光に無意識に反応して起こる脳内の電気信号」「過去経験した類似の電気信号の無意識で反射的な検索と合成」で形成されている。我々が知る情報は、全て、脳内の電気信号なのである。

ここで、記憶について、考えてみる。

記憶とは、新着情報を認知し、思えだせるようにする行為をさす。

新着情報の認知というのは、例えば視覚を用いて得る情報は、前述のような具合に脳で入力処理される。一方思い出す行為、つまり、想起は、どうであろうか?ここには、「目に入る光(その他、五感で感じる刺激)」はない。これは、完全に「過去に経験した電気信号を探る行為」である。思い出す行為もまた、脳内の電気信号である。

なお、この推論から何かを意識的に思い出したければ、その対象を覚えた時の五感を思い出すことが重要だと思う。なぜなら、記憶された情報は、「覚える際に五感を通じて入力され、それが電気信号に無意識で反射的に変換され、そのときに脳が勝手に行う過去の電気信号の検索と合成」で形成されるからである。思い出す時は、「どんな見た目の印象を受けたか?どんな匂いだったか?どんな音、リズム、大きさだったか?どんな味だったか?どんな肌触りだったか?その他、平衡感覚や内臓の感覚はどうであったか?」を丁寧に論理展開したり、意識したりすることが大事と思うのであうる。

さて、想像はどうであろうか?

想像とは、イメージのことである。情報を入力する行いではないので、既に知っている情報を意識的に組み合わせる行為である。既に知っている情報は、脳内の電気信号であるので、想像とは、「過去に経験した電気信号を意識的に合成する行為」であるといえる。想像もまた、脳内の電気信号なのである。ただ、合成する際には、論理展開が必須である。例えば、リンゴといって、真っ赤で、良い香りのする手に収まるサイズの果実の電気信号を脳内に走らせても、、論理展開をしなければ、、例えば、格闘家がそれをグシャッと潰す姿の電気信号にはならない。先ほどの、想起における丁寧な論理展開は、まさに、想像のことである。

では最後に、以上の推論をふまえて、ちゃんと理解し、記憶に残る読書について考えてみる。

文書は、単語、文型で構成される。文を正しく理解するのためには、この単語と文型を脳内の電気信号にし、過去の電気信号と合成させなければならない。特に、英語などの外国語は、文型を正しく理解しないと、内容が分からない。が、日本語は、文型を正しく分からなくても、単語の羅列で何を言わんとしているのかが、分かる不思議な言語である。「日本語、文型、正しく、分からない、単語、羅列、何、言わん、分かる、不思議、言語」という単語の羅列を見せられれば、学校教育を受けてきた者ならば、日本語の文型が無意識に体に染みついているので、単語を見るだけで、多くの場合、何となく何を言わんとしているかが予測がつく。このことから、日本人の大人が、日本語の文章を読むときは、単語を目で追えば基本的に良い。次に、単語についてであるが、これをどのような電気信号に変換するかが、理解の境目になる。

いきなりだが、カメラアイを持った人は、本のページ全体の見た目の印象を電気信号に変換しているはずである。ただ、普通の人がこれをやろうとすると、脳が過去の類似した風景の電気信号、つまり、ページの上に文字が書いてある漠然としたイメージ を思い出し、それ以上のことができない。理由としては、いくつか思うことがある。

・ パッと見ただけでは、文字が小さく、文字が多すぎて、文章が書かれている領域や絵くらいしか分からないから。

・単語を感覚で瞬時にイメージ化するのが、苦手だから。特に「概念」は、物体の固定した形でイメージできない。例えば、法律、規則、ロジック、メタファーなどである。こういった用語は、概念が適用されている具体的な場や、物体の動的な流れをイメージで捉えられるようにならなければ駄目である。ただし、一つの単語に対して、これらのイメージが瞬時にできても、ページ上の単語があまりにも多すぎるので、全てを瞬間的に捉え、同時にイメージ化することは出来ない。

だから、我々は文章を音声化して、一回音にし、その聴覚(的)刺激による電気信号で理解するのである。黙読とて同じことである。だが、難点は、音の響きに頼った理解になるので、理解が浅く、何より音の響きや順番を思い出さないと想起できないと思われる。覚えていることは、経験上、音読(黙読)の最中に、単語の響きに連動して、勝手に映像や味覚、嗅覚的な感覚とその動き(論理展開)を想像できたときである。それが出来なかったものは、何も覚えていない。

このことから、文章を理解し、内容を記憶するには、まず単語を意識し、それを映像、味、匂いで捉えることが重要である。ここで、単語毎にイメージが出来ても、単語間のつながりをどうするか?という問題がある。一つの段落で、複数の単語とその感覚的イメージができたが、つながりが分からない。。単語の出てきた順にストーリー化しようとしたが、どうもうまくいかない。結局、音読して言わんとしていることをまとめたら、「AがBを使ってCをした」しか言ってなかった。しかし、音読したら弱い記憶しかできないし、どうしたものか。。。

これについては、まず単語に目を走らせ、単語毎にイメージ化を試みる。その作業をしながら、「つながりは何だろう?」という意識を持つ。そして、一段落終わったときに、「イメージのつながり(=内容)は、これだ!」という自分なりの答えを作る。この際、無駄な単語のイメージは削除してよい。そして後で音読をして答え合わせをするのである。記憶は、「反復、イメージ化で強化される」「間違えたものは強く記憶される」という特徴があるので、その理に叶う方法と思う。

以下、提案する記憶に残ると思われる読書術をまとめる。

❶ 一段落の全体パターンを見る 

❷ 単語を見た順にイメージ化( 視覚、嗅覚、味覚etc)

❷ 同時に、イメージ間のつながりはどうか?という意識を持つ

❸ 一段落が終わったところで、イメージによる自分なりのストーリーを確定

❹ 一段落を音読して、ストーリーを答え合わせ

→ 「反復、イメージ化」「一度間違えた事柄は強く記憶される」という記憶の特徴を使う。