有鹿神社

有鹿(アルカ)神社の奥宮に行ってきました。「有る鹿」と書いて、「アルカ、アリカ」と呼びます。

この神社は、本宮、中宮、奥宮 の三社で構成されています。

鎌倉時代までは、広大な社殿を構えていたそうですが、鎌倉幕府滅亡と、室町時代の 永享の乱の兵火で小さくなってしまいました。

鎌倉幕府御家人の海老名一族( 現在の海老名市一帯に勢力をはっていた )の厚い庇護を受けていたからだと思います。

本宮と中宮は、海老名市にあり、奥宮は相模原市にあります。

ここは、神奈川県最古の神社です。寒川神社より古いです。

というのも、この神社は、勝坂遺跡という約5,000年前の遺跡の中にある神社で、祭祀跡が多数発掘されているからです。

祭祀を行う場を神社というのならば、有鹿神社の歴史は5,000年ということになります。。。

こんな歴史の神社なので、祭られている神様は、日本書紀や古事記には登場しない柱です。

有鹿比古命(アルカヒコノミコト)と有鹿比女命(アルカヒメノミコト) の二柱の神様です。

男神と女神です。御神徳は、それぞれ、五穀豊穣、子孫繁栄です。

古代の神社では、よく男と女の神様が共に祭られております。寒川神社もそうです。

古来、男女はともに陰と陽、二つで一つという考え方を顕著に表していると思います。

余談ですが、古事記における求婚の面白い成り立ちを紹介します。

伊邪那岐と伊邪那美は、島で出会い、恋に落ちました。

そのとき、まず、伊邪那美から求婚し夫婦になったら、悪い子が生まれてしまいました。

そこで、やり直し、今後は伊邪那岐から求婚し夫婦になったら上手くいきました。

以後、求婚は男から声をかけるのが習わしとなった。

この記述を真に受けると、「恋のアプローチは男からか!」と思う人が多いと思いますが、ちょっと待てよ!

古事記では、「求婚は男から!」と言っているが、「好意を伝えるのは男から!」とは言ってないぞ!

別に、女性からアプローチしても良いのだ。

あと、「失敗したらやり直せ!」というのも大事な教訓である。。。です。以上。

神社は、柔らかで豊かな水の流れと、うっそうとした木々に囲まれ、何処かにベンチでもあったら、ついうたた寝してしまうような爽やかな場所です。

興味のあるかたは、是非、訪れてみたらいかがでしょうか?きっと、水と大地の力を感じていただけると思いますよ!

 前談が長くなりましたが、動画にてお楽しみください!

勝坂遺跡→有鹿谷

有鹿谷→有鹿神社

有鹿神社→有鹿窟

有鹿窟

有鹿窟周辺の湧水

相武台駅からタクシーなどで行けますので、ちょっと変わった神社をお探しの方、一度訪れてみたらいかがでしょうか?

なお、御朱印は、海老名の本宮でいただけます。

・・・・・・・

古墳とかの遺跡を見ていると、兵士の埴輪を見ることがあります。

関東などから、九州防衛に駆り出された兵士のことを防人といいます。

一度行くと、もう帰れないことが多かったそうです。

送る出される当人も、送り出す家族、恋人、友人も皆つらく、そうした先人たちがあってこそ、今の我々がいることをフト感じてしまいました。。。

ということで、最後に、「防人の詩」という有名な歌を貼り付けておきます。

最近出会った自然

 最近、出会った自然を共有したいと思います。

相模川の河岸。断層がはっきりと見えます。

その2

断層から染み出て流れる水

美しき相模川

相模川のセラドナイト

相模川の崖にある謎の洞穴1

相模川の崖にある謎の洞穴2。防空壕の跡かな…

相模川の崖にある謎の洞穴3

実家の白梅1

実家の白梅2

梅といえば、

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(大鏡, 菅原道真)

という詩があまりにも有名ですね。菅原道真の家紋も梅です。意味は、

「梅の花よ、(春になって)東からの風が吹いたら、その香りを私のもとへ届けてください。どうか、私がいないからといって、(咲く)春を忘れないで下さい。」

でしょうかね。この梅は、ひょっとしたら、道真が、大事にしていた梅の花にかけて、自分の大切な人に向けて詠んだ歌なのかもしれません。

美しき中津川 (北里大の某研究によると相模川水系No.2の水質だとか)

ここ数週間で、川の鷺(サギ)がめっきり少なくなりました。季節が変わると、彼らも移動するのでしょう。良い場所が見つかると良いなと思います。。

物語の共感性について

小説や漫画を読んでいて、妙に共感する話と、読んでいる途中に止めようと思う話がある。今日は、その違いが何にあるのかを少しつぶやきたいと思う。

1.共感を呼ぶ話

 共感を呼ぶ要素とは何であろうか?そもそも、共感とは、共に感じることである。よって、ここでは、物語の登場人物と、読者 の考えが一致した状態を、物語に共感したと言えるを分かる。

読者である我々は、色んな常識を持っているが、物語で共感させるには、その常識の枠組みから大きく逸脱しないことが大事である。

例えば、青春物ならな、よくある色んな特徴の人が集まった教室を演出しなければならない。美男美女しかいないのは、その時点で共感は呼べない。

しかし、これで共感を呼べる状態がある。それは、我々のファンタジーという枠組みでの常識を前提とした物語の場合は、別である。その場合の学園物は、美男美女、スタイル、運動神経、頭脳抜群の集団が生まれる。

つまり、共感を生む話の必要条件としては、

① 物語の設定条件が、我々の常識から逸脱しないこと

である。

 次に、その常識の中で、我々が求めているストーリーとは何だろう?人が堕落し、ボロボロになり、他人を巻き込んで死ぬストーリーを待ち望む人は、いないと思う。とすれば、我々が好きな話は、サクセスストーリーである。

しかし、例えば、「ボクシング選手の話で、始めから(超能力か何かで裏打ちされた)無敗のチャンピョンで、淡々と防衛をかさねてギネスを取り、国民栄誉賞をとった!」という話があったとする。極めてつまらないと思う。というのも、超能力をもっており、人身ではどうあがいても勝てない絶対的優位さを備え、勝てると分かっている試合を消化しているにすぎず、そこには、苦労も、努力もないからである。

そう、サクセスストーリーには、苦労、苦境、逆境という置かれた環境の厳しさが前提にある。また、主人公の能力も我々と同等以下のレベルであることが望ましい。そんな人間が、努力を重ねることで成功を勝ち取るからこそ、我々はその登場人物に心を重ね、共感できるのだと思う。

その他、サクセスストーリー以外にも何かないか?意外性などどうだろうか?先ほど、常識が日常からかけ離れた話はNGといったことに逆行するようだが、非日常で読者を酔わせるのも物語の妙味である。例えば、「いつもの電車に普通のOLの私が乗っている。その日、偶然前で読書をしながら居眠りをしていた若い男が、列車が揺れた拍子に本を落とした。私は拾おうとして、彼もとっさに拾おうとした。その時、二人の手が触れあった…」というお話し。何かの始まりを予感させてくれないだろうか???

② 苦境、凡人、努力、成功、意外性 という要素が欠かせない

 さらに、我々人間は、物事の安定性を好む。天下をとったが、七日後に首を討たれて死んだ者の話は、それだけで共感以前の、読む気すら起きないという人がいる。※ 因みに、明智光秀のことです。

このことから、サクセスストーリーには、その成功の安定性を感じさせてくれる仕組みを示すことが肝要である。例えば、徳川家康の伝記を読んでみると、幕府を開いた時点で最早しばらく敵対できず、泰平の世の訪れを予感させてくれる。恋愛物ならば、二人の男女が付き合い、幸せな経験を重ね、結婚することを予感させてくれれば、幸せな括りとなる。

③ 主人公の身の上の安定性、永続性を感じさせることが大事

 最後に、登場人物が努力の過程で、「学び、心も体も共に成長し、個を確立する」という 要素も大事だと思う。というのも、格闘映画みたいに、ひたすらトレーニングするのも良いが、その過程で得意技を習得したり、考え方に前向きな変化が生まれたり、尖っていた心が丸く穏やかになったりという要素を入れると、そのキャラクターが好きになるからだ。例えば、ドラゴンボールのピッコロやベジータは、登場時は敵であったが、後に、心強い味方となった。ベジータは、地球人と世帯をもち、子をなし、その過程で地球人としての意識と愛情が芽生え、人が丸くなった。今でも、ベジータファンは多い。ナルトのサスケもそうだろう。余談だが、大河ドラマの本来の良さは、豪華な俳優を使うことではなく、人生訓を各登場人物の生き様から学ばせてくれることである。昨今の脚本では、それが感じられず、悲しい限りである。

④ 登場人物の、学び、心体の成長、個の確立 も大事。

2.例示

・恋愛物

① 設定条件:我々一般人の日常 [ 学校、職場、お店、主夫、主夫etc ]

② 大筋:平凡(以下)な私が、誰もが羨む美男子とひょんなことから出会い、色々あって幸せになる

③ 永続性:結婚

④ 成長と個の確立:自分磨き、思いやり、優しさ

・歴史物

① 設定条件:普通の農民、商人、町人、武士

②大筋:貧しい生まれの主人公が、博徒から田畑を守るために偶然近くに隠棲していた老剣豪に剣術を学び、剣名を馳せ、日本一の剣豪になる

③ 永続性:仕官し、所帯をもって子をなし、流派を開く

④ 成長と個の確立 :立身出世、生死の意義、兵法の極意

など

皆さんも考えてみたらどうですか?

【本日の癒し】相模川水系中津川

この川は、水深が深くなると、水の色が青くなります。相模川は、緑色になるのですが、、、癒されます。

身近な自然 (相模川)

今週も、癒やしを求めて、相模川に行ってきました。中国の春節の影響なのか、中国人や東南アジア人が、河原に沢山いました。折角日本に来たのに、相模川で石拾い??などと思いながら、彼らも、まして、地元の人も足を伸ばさないような場所に行ってきました。

1.河岸段丘の中腹

昨年の秋に、私が発見したスポットです。相模川の透き通った水の流れ、そのせせらぎ、鳥のさえずり、風と木々のざわめき、温かい陽の光、虫の声…私にとっては、歌や楽器、賛美歌よりも心に響く、自然のオーケストラです。この場所が、長く維持されることを願ってやみません。

2.岩場

河岸段丘から、川岸まで降りられる梯子があって、それを使って降りると、素晴らしい景色が広がります。川のせせらぎと、滝と風の音、鳥や動物の声しかしません。心にへばりついた粘着油のような汚れやストレスが、その自然の音に一つ一つ耳を傾けることで、洗い流されるような感覚を得ます。

天然の水瓶という感じですね。湖面を漂う泡は、この水瓶の中に、植物プランクトンがいることを感じさせてくれます。

3.河岸段丘を対岸からみた風景

水の流れが石にぶつかり、バラケ、互いにぶつかり、また交わり、そしてまた…

孫氏は、兵の動きは水に象ると言いましたが、水のこの動きは私達の人生のような感じがします。

もちろん、障害もなく、何不自由なく生き、暮らし、裕福に人生を終える人もいるでしょうが、そんな人はごく僅かです。障害が多いのに、まっすぐな性分の私は、きっと、この水の流れでいえば、石ころだらけのところを流れる水なんだなと感じます。

でも、そんな水も、いずれは本流に合流する。。。

また、頑張ろうと思います。

速読の認知って?

速読って、どうやって内容を理解しているのだろう。

私は、理解とは、まず対象を言葉で表現し、記憶の中のその言葉と紐付いた文字、映像、感覚と照合し、一致、または類推することだと思っている。

文書を理解するとは、文字を文字で受け取り、先とおなじ照合を行う。そのため、文字を文字で受け取るステップを確実なものにする音読は、理解のために有効である気がする。

しかし、フラッシュ暗算、バラララとあたかもカードを切るようにページをめくって読書する人をみて、私は、この人達は、そうした理解の手順ではないと思わざるをえない。

本当に理解できているのか?はおいといて、仮に、理解できているとしてどうやっているのかを考えてみようと思う。

まず、視覚的に情報を入れ込むのは、一般的な読書も速読も同じである。

次に、理解の仕方だが、ここが大きく異なると思う。

一般的な読書は、前述のような感じである。つまり、

文字→言葉で強くインプット→記憶内の文字・映像・感覚と照合→発見・類推

である。

一方、速読は、我々が電車の車窓を楽しむように読書をするので、文字を、一度、言葉で理解する行程を挟んでいない。読む速度が速くなる極意がここにある。つまり、

文字→記憶内の映像・感覚と照合→発見・類推

である。

このことから、どうすれば速読できるようになるのか、いくつか仮説できる。例えば、下記のようなことである。

① 単語(文字)を意識してしっかり見る。( 強く脳内にインプットするため )

② 普段から、「単語(文字)を映像化(イメージ)する」訓練をする。

これは、文字と映像のリンクを強くし、文字をみたら無意識に映像が浮かんでいる状態を作るためである。なお、同じ単語に対する映像は、毎回同じような感じが良い。毎度毎度考えていたら、結局その考える行程で時間をロスし、従来と変わらないからである。「海」という文字をみたら「浜辺、青く、広大で、水平線まで広がる水と空」などの要素を備えた情景が毎度浮かべば良い。この要素が、多く、鮮明であればあるほどよいはずだ。それだけ、脳に強くインプットされている証拠だからだ。

③ 普段から、「単語(文字)を感覚(匂い、動作、在り方)で捉える」訓練をする。

これは、文字を映像化できないものの理解を早めるために行う。例えば、概念、定義、時間変化、音、匂い、味覚、食感などは、映像化が基本できない。文章は、こうした用語を多用することで、深みがます。速読本はよく、映像化に焦点を当てているが、正直、それだけでは内容を理解できていないと思われる。

⇒ ②と③をまとめると、文字を五感でイメージする訓練を普段からする。

例えば、「頬に手が触れる」という文章であれば、「頬」「手」「触れる」の映像だけでなく、「自分の頬に手が触れた」「自分の手が誰かの頬を押した」感覚をイメージしようとするのである。この感覚が、読書速度を速めるトリガーであると私は考えている。つまり、各単語を視覚映像以外の感覚でも無意識に捉えようとすることで、単語間の連結を日常の生活感覚で捉えられるようになるからである。こうなれば、単語間に視線を走らせるだけで、無意識に内容を捉えることが可能となる気がする。

④ 単語(文字)を目で注視する速度、単語間を目で移動する速度を鍛える

①~③に習熟すれば、後は、視線を早く動かせば動かすほど、無意識に内容を五感で理解しているので、速度が上がる気がする。

⑤ バラバラのものを意味のあるものに組み立てる訓練をする。

恐らく、そのうちに、一列、または一行づつでは遅く感じるときがくる。その時は、面で捉える必要がある。しかし、文章には、主語、述語、修飾語などのように、成り立ちに規則がある。そこで、面で捉えた情報を意味のある組に構成する訓練を行い、それを無意識に行えるようにしなければならない。つまり、バラバラに散った物を再構成する能力の訓練が必要である。パズル、文法の正しい組み合わせを作る問題 などが最適な気がする。

という具合に、①~⑤が訓練して身につけている人がいれば、確かに、速読は可能な気がする。しかし、その方は、豊かな知識、経験、知恵、鋭敏な感覚、感受性を持った方なのだと思う。

今日、この場で自分で考え、こうすれば出来るのでは?と思ったことを、ちょって試してみたいと思う。

もし、この記事を読んでくれている人がいて、実践して良くなった!などあれば、お気軽に連絡ください😄

では!

本日の癒やし:相模川水系中津川