覚悟の欠如

日々生きていて、様々な人と出会い、接し、観察する中で、5年ほど前から、私が目にする多くの人々( 全てではない )に対して思い続けてきたことがある。

それは、「覚悟の欠如」が目につくということである。

仕事をしていても、やり切る覚悟がない。

勉強をしていても、成就させる覚悟がない。

恋愛をしていても、相手と協力して幸せになろうという覚悟がない。

人の親になっても、子のために尽くす覚悟がない。

働く能力があっても、何かと理由をつけ権利を主張し、人様の厄介になろうとする。

男女関係なく、日本国民たる自覚、愛する者を守る覚悟がない。当事者意識がない。

目の前の現状を良くするには、自分からやらなければならないのが、道理である。

もっというと、無人島に自分しかいないとき、空腹を癒すには、自分から動かねばならないのと同じである。

殆どの人は、ここまでは分かっているのである。何をすることが正道であるかは、分かっているのである。

しかし、「やる」と決めた時に、その心を維持し、完遂することが出来ないのだ。

つまり、覚悟が、不足しているのである。

だから、

仕事をしていても、放り出そうとする。※ より良い方向を模索し、見つめ直す行為は別。

勉強に身が入らず、寝る、遊ぶ、飲んだくれる、SEXする、、結果、試験などに落ちる。

恋愛しているのに、相手を思いやれず、逆に、相手の導きや「らしさ」が足りないなどと言い、逃げる。

子をもっても、ネグレクトをする。※ だから、多くの人は、未熟な精神と知性のまま大人になる。

働く能力があっても、言い訳する。そこに付け入る、くだらない政党の無計画な甘い諌言に洗脳される。

日本国民なのに、愛国心や皇室への畏敬の念がない。自分が、何かをして、国と皇室のために貢献できないか?と考えられない。

のである。( 同じことを、二度言いました。 )

どうして、覚悟が足りなくなってしまったのか??その理由は、後日、持論を述べたいと思う。

お休みなさい。。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です