もう少しだ!

今週を乗り切れば、ぐっすり眠れる!!

と思って、突っ走ってきた。。

次から次へと、問題が発生し、、、日本の製造業の欠陥を身に染みて感じ、それを憂いて生きてきた。( 欠陥のない電気製品は、この世に存在しません。 )

ぐっすり眠ることは出来ないが、、80点ほどの製品がもうすぐ出来そうである。

とりあえず、日々一生懸命頑張ろうと思う。。

それにしても、自分が望んでなった職種なのに、望んでやっているはずの仕事なのに、なんで幸せを感じないのだろう。。。

なんで自分は、自分のプライベートを捧げ( 恋人って何だっけ?)、確実に身も心もボロボロになりながら会社に尽くしているのだろう。。。

こんな自問を最近しばしばしてきた。

最近気が付いたのだが、好きな仕事をしているのに、幸せを感じないのは、、その好きという感覚やその実現方法において、自己中なところがあって、議論や準備に疲労しているからなんだなということである。

言葉の上では、「世の中の人のために!」という大義を掲げて頑張っているが、そのために「自分の範疇でやってよいと定めた設計」を行い、その概念を他人に押し付けていたのではないかと思うようになったのである。だから、それを他人に否定されたときに、ストレスを感じ疲弊しているのではないかと、、でも世の中のためにと思っているから前進をやめないのではないかと、、、

もちろん、私は、まがいなりにも粗末な設計論を語れるような知識はあるので、世の中を分析し、傾向分析し、要求仕様にまとめられた事項を、満たす設計をしてきたつもりである。しかし、その「満たす」が、合意できない人がおり、そこに強いストレスを抱えていたと分かったのだ。

この合意できない人も、視野を広げれば、世の人の一人であるので、その意見は大事だ。私は、(既に要求分析がされて整理された)要求仕様こそが全てで、今更何を言っているの?と邪見にし過ぎてきた。いや、基本的に、私のスタンスは正しいはずだが、その要求分析の解釈について(いつでも)議論をしなければならないということなのだ。言葉というものは、本当に人によって180度近く捉え方が違う。。。

ここに気が付いて、また少し成長できた気がする。他人にももっと優しくなれそうである。ここに気が付かないで偉くなったり、苦しんで貶されることを良しとしつぶれる人は多い。

この気づきに感謝したいと思う。

【本日の動画】:次から次へと現れる水鳥(オオバン)